2021年6月の日記

日記

←5月 日記一覧 →7月


2021年6月19日(土)コペ転

「あったことはあった」

Podcastの収録の後で、戸田さんと飯田さんと食事をした。ピザをとって、サイドメニューをいろいろとつくってみたり。

https://twitter.com/hasex_spa/status/1406266957523947524

お腹いっぱい食べて(料理は満足いただけたみたいでホッとした)、すこしその満足感に甘えるかたちだなぁ、恥ずかしいな、と思いながら、最近のぼくの身の上話を聞いてもらう。ふたりは、とてもふたりらしく真面目に聞いてくれ、それは僕が想像するよりも、はるかに真面目で、真摯で、瞬間的にぼくは保健室を訪れたかのようになった。

いろいろと現状を聞いてもらい、ゆらゆらとした話の筋を経ていき、とても大切な当たり前に行き当たったのが、冒頭の絶対的な態度だ。

あったことはあった。あった、とは、固く言うと事実は事実でしか無い、という意味だ。有ったし、逢ったし、遭ったのである。

あったことをなかったことにはできない。

あったことを変えることもできない。

あったことは、こうだったかもしれないと思うことはできても、あったことはあった。ただそれだけなのだ。

あったことはあった、という態度で眺めてみるなかで、それ以上でも、それ以下でもなく、受け止められることが、今への集中につながる。

そして、かつて「あったこと」が、当人にとってものすごく大事な大きな光だったとしても、その眩しさは、かつての自分が感じていたものであり、今の自分にとって同じだけの光量を感じるものとは限らない。ただ、光であったことはあった。光は否定されるものではない。光であったことは変わらないのだ。ただ、感じ方や見え方は変わることがある。

たとえば、その時には今よりずっと視野が狭いから、小さな光でも、とても眩しく見えたりする。でも、人間は成長や感性や経験を得ることで視野が拓けると、その光が「小さかった」と初めて知るかもしれない。そうなれば、自分にとって、より大きな光を浴びることもでき、小さな光にこだわっていたことを知る。

あったことはあった。それは変わらない。正しく、あったことを認知できれば、今の自分の置かれた場所や成長も、確かめられるのかもしれない。

あったことを変えよう、変えたい、戻ってやり直したいという負のループに囚われたとき、何度でも唱えたい。いや、あったことはあった。ただ、それだけだ、と。


2021年6月18日(金)試み

頑なにこの日記はスマホから書いたことがなかったんだけど、うっかりワードプレスのアプリを開いてしまって、そうしたら案外打ちやすそうな入力画面が出てきた。

試しに何か書いてみるかと思ってポチポチと打ち始めた後で、音声入力にも手を出して、ペラペラと今この文章を日記に残している。

正直言ってキーボードで書くのとスマホで書くのとでは、やっぱり感覚的に違いがあって、どうしても長くなっていくし、自分がさして何も考えていないことがばれてしまうような恥ずかしさがあるからなかなか手が出せないのだけれど、この気楽な入力スタイルは、正直言ってかなり魅力的である。

ほら、正直言って、と、もう2回も言ってる。そういうのが嫌なんだけども。

今日は久しぶりにカメラマン役で取材に行った。人物写真を撮るのが久しぶりで、うまく撮れていたか不安だけど、記事に使うのとしては、それなりに及第点じゃないかと思う。

記事に使う人物写真はポートレートとも微妙に違う感じがして、僕の写真は消して優れていると思わないけれど、使えないと言うことがない。というより使うためにとっているんだからそうでないと困る。

she will do better

この英文は「今仕事が」と入力しようとしたけど間違えて英語入力になっていたらこうなってしまった。英語入力は日本語入力よりだいぶスムーズだったので、そりゃあ海外含めてみんな音声入力の方を使っていくよなぁと思わざるを得ない。

ずっと何か僕もpodcastとかしゃべることをやってみたいなーと思っているんだけど何を話していいか見つからないまま時がずっと経っている。

それはいま音声入力で日記を書いているのと似ていて僕が頭を使わずにペラペラしゃべれる体っていうのが、どうにもこうにもやっぱり恥ずかしさがあるんだと思う。

これは特技なのか、あるいはいっそのこと才能なのか、あるいは後天的に身に付けてしまった自分を守るための術なのか、あるいはなくしてしまった方が良いことなのか。

仕事がたくさんある事は嬉しいのだけれど、いささか手がいっぱいでいたたまれなくなり、最近は寝る瞬間と起きてすぐ、あーまた眠ってしまった、大丈夫なんだろうか、と少し先の未来を不安に思うことが増えている。

そうだ、しいたけ占いが下半期分届いた僕は牡羊座で遅れてきた青春を謳歌できるらしいすごくすごくそれが励みになり、少し先の未来を不安に思う気持ちがわずかばかり好転した日だった。

仮眠をとって、もう少し仕事をしたら、まだ少しゆっくり眠ろうと思う。できることなら。


2021年6月13日(日)あるく

どれだけ楽しく愉快な夜を過ごしても、翌朝目が覚めたら気持ちが塞いでいることがある。低気圧のせいで訳もなく頭が重たい日もある。最近はそんなとき、すこし散歩に出る。歩いていると、ある時からふいに、心身の上昇を感じられる。万全とはいえずとも、それまでに比べたら、ずっとましになれる。

そして、今日も散歩をした。

最高じゃん。もう出自がどうとかは、すべて超越しちゃったな。とっくのとう、だけど。

むかし、記事の掲載写真を色味が明らかに赤いものに差し替えられて怒っちゃった経験があるんだけど、もしかしたら色弱の方だったのかもしれないなぁ。知っていれば、もうすこし違う話し方ができたかもしれない。反省。


2021年6月8日(火)はよやれ

ずるずるとやっていないことも、やればあっという間、みたいなことは往々にある。最近は本当にそんなのばかりで、いい加減に80%どころか60%でいいから手をつける、みたいにしたい。たぶんだけど、僕の思う60%が普通に100%みたいな状況って、全然あるはずなので。

行者にんにくを500gを買い増したので、ほとんどすべて瓶詰めで醤油漬けにした。東洋佐々木ガラスのいちばんシンプルで安い瓶の頼もしさが好きだ。この瓶に詰めるだけで、ちょっと美味しそうに思えてくる。質実剛健。中身も行者にんにくと醤油のみ。直球勝負だぜ。


2021年6月7日(月)ぐぬぬ

他人と分かち合えたり分担し合えたりする仕事ではなさそうと、心のどこかでわかってはいるのだけど、いい加減に一人でやっているわけにもいかない量と質になってきていて、かといって有効な手段を見いだせているわけではない、みたいな状況だけがずっと続いている。

とはいえ、仕事をお引き受けしているのは自分なので、それ別に全部自分のせい、というのも、にんんともかんとも言えない感じである。


2021年6月1日〜6日 光陰矢の如し

瞬きするように日々が過ぎていく。光陰矢の如しだ、と思ってググってみたら、あっという間に過ぎ去るという意味だけでなく、故事ことわざ辞典によれば「月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという戒めを含んでいる」らしい。

無為に送っている気持ちもないのだが、結果的に心身の不調でほぼ無為という日はまだある。特に深酒をした夜と翌日などはそんな気分だ。でも、飲んでいるときは、無為どころかこの世の喜び、生きていく栄養、日々の小さなことの爆散など、充実としか言えない時間があるような気になる。

今週でいちばんすごかったイベントといえば、メルカリで買った行者にんにくをしゃぶしゃぶにしたことだろう。圧倒的美味しさ。パンチがあるのに爽やかで、ひじょうに美しく喉を通っていく。牛肉の主役感を引き立てながらも、しっかり存在感を出していく。素晴らしい、実に素晴らしい。

日々は、仕事と、料理と、憂鬱と、浮力をないまぜにしながら、僕を連れて進む。髪を切った。美容師さんが当たりで、すごく好きな感じになった。髪のクセを褒められた。痩せて、首筋が見えるようになったら、そのすっきりしたところが、好ましく思えた。

仕事場の天井にスピーカーを設置してみた。ダクトレールを使ってぶらさげている。BluetoothでつながるTASCAMのVL-S3BTなら1kg程度と重量が軽く、コンパクトで、しかし2ウェイで音のインパクトや評価も良く、狙いにぴったりハマってくれた。

ずっとバルミューダーのスピーカーを使っていて、決して悪いことはなかった。ただ、置いてある場所がデスクに近いせいで、部屋の一部から音が広がってくる感じが、次第に気になり始めて変えることにした。

7月末に大きな〆切とイベントが重なり、それ以外にも日々の仕事もあり、いったいぜんたいちゃんと走りきれるのか、とてもとても不安である。不安なときこそ、やりきれればいいことがあるはず。大きな先ではなく、手元のことからしっかり片付けて前進していけばいい。きっとね。

日記も不定期だけれど、書いていると落ち着く。自分のことを話す機会が、あまりないからだろう。なんにも思っていないようで、以外に思っていることはある。それの一端がにじみ出るだけで、気が楽になるらしい。


←2020年5月の日記へ