2021年5月の日記

日記

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2021年5月14日〜31日 2週間すぎていた

この日記を書きはじめて一番、日付があいてしまった。何も書けない状態にあったというわけではなく、ネットも開通したし、無事に調子を取り戻していくはずが、別のことにせっせと時間を投入していた。部屋の片付けだ。もう、それはもう片付けた。人生で一番片付けた。

なにせ2つの賃貸物件を1つにまとめた荷物量が有り、本棚はばらばらになり、どこに何を配分するかに頭を悩ませ……と孤独な作業が続く。細かな買い出しを何度もして、欲しいものがあればヤフオクやメルカリなどネットを潜っていき……とすれば、時間なんてあっという間だ。

合間に予定もあったので、「ここまでには、これくらいは終わらせたい!」目標を意地でもこなしていきつつ、〆切があれば仕事をする。考えないといけないことに頭を使う。そしてまた片付けをする。新しい生活環境に慣れる。スーパーの特徴をつかもうとする。など、など。

2週間ばかり時間を費やし、星野源さんと新垣結衣さんが結婚したのも横目に見つつ、ついに炙り用のバーナーを買ったり、なんのかんのと日々は過ぎていった。

自炊だけは、めちゃくちゃ楽しく続けている。痩せるためにも必要なので、手を抜かずに取り組んできた。5月も目標体重を割ることができた。よかった、よかった。

電動丸ノコを買って、以前使っていた壁面収納の木の長さを変えて再利用したり。

MOTHER3がやりたくなって、あれこれ調べて、ゲームキューブを買った。ゲームボーイアドバンスの受難である。Wiiコンソールの手も思ったけど、なんか気持ちが乗らず。ゲームキューブ、今見るとめっちゃかわいい。

そして6月に入る。6月、7月は、なかなか忙しくなりそうだ。生きて、終えられるか。


2021年5月13日(木)光ダブル

待ちに待った新居の光回線開通工事日で、予定より早くNTTからの派遣作業員は到着してくれた。引越し時は気づかなかったが、実は光回線のアダプタがあったことを発見していたので、僕は作業員にそれを案内した。

作業員はそれを少し見るなり、「あぁ、これはNURO光のものなので今回は使えませんね」と言った。に、にゅーろひかり…だ…と?

あの引きたくても引けない回線が標準装備されていた事実(不動産屋も教えてくれたらよかったのだが、たしか「光インターネットって書いてあるけど、これは記載ミスでしょうね」と言っていた気がする。ミスなんかじゃなかったのだ)にくらくらしつつ、粛々とNTTの光回線工事が始まっていった。

どうやらNURO回線は取り外さず、NTTの回線も増設できるようで、結果として我が家には2つの光回線が導入されたことになる。無駄な贅沢仕様だし、今後、何かのタイミングで切り替えちゃうみたいなことができるわけで、それはそれでお得な気もする。話の種にもなるし。

そんなわけでずっとモバイルルーターでしのいできたが、ちゃんとIPv6オプション入り、常時500mbpsほどが出てくれる回線が手に入り、ほっと一安心。ネットを使う仕事なのにネットの不具合があるのは、精神衛生にまったくよくないもので。

オムレツ、ちょっとだけ上手になった気がする。しばし、ハマりそうな予感。


2021年5月12日(水)変わらない部分

しいたけ.占いが「懐かしい場所に行けたら行ってみて」と言っていたなぁ、と思い出したのは、はるばる来た荻窪の無印良品が改装中で、ほとんど空っぽだったときだった。

地図で調べてみると、近いのは吉祥寺の無印良品で、徒歩でいくにはほどほどに遠いが、ウォーキングするならちょうどいいくらい、と思えてしまった。目の前にある気乗りしない仕事から目をそらしたい欲もわいて、夕焼けから夜に差し掛かる女子大通りを歩いていった。

吉祥寺は僕の青春が大きく詰まっていて、それは隣町の三鷹が地元だからこそ、僕にとっては「遊びに行くところ」も「買い物へ行く」も「家族で食事」も、とにかくなんだって吉祥寺だったのだ。しいたけ.占いの言う「懐かしい場所」にはおあつらえ向きだった。

ひとつ、今のヨドバシカメラがあるところは、かつて近鉄百貨店があって、たしかその頃だったとおもうんだけど、アメリカンな良い古道具屋があった記憶が蘇ってきた。だいたい記憶にそって歩いたけれど、その店は見つからなかった。ガレージみたいな店内だったんだけど、すっかりなくなってしまったか、僕の記憶が曖昧だったせいか。

無印良品で目当ての収納用品やら、予定になかったアロマストーンやらを買い込んで、うきうきとしながらサンロードやダイヤ街を歩いた。途中、SOCOに立ち寄って、インド産のかわいいキッチンクロスが変えた。キッチンまわりが広くなってから台所用品が楽しくて仕方ない。

たぶん今後もキッチンクロスをものすごい数、買うことになるんだろう。

吉祥寺アトレを歩いていると、KitchenKitchenがあった。そうそう、これも、アニメイト吉祥寺の近くの八百屋の角を曲がったところにある、NATURAL KITCHEN &というお店が、100円からの雑貨とは思えないような良いものを出してくれていて、なぜか高校生くらいの私は好きでしばしば行っていたのだった。

店内をぐるりと見て、ワイヤーバスケットが欲しかったけど持ちきれないので諦め、燕三条製だという薬味トングとスレンレス皿だけを買った。どちらかといえば女性が好みそうな内装やアイテムのなかで、高校生の私は何に胸をときめかせていたんだろう。

きっとそれは、部屋を良くする、という自分が手に入れた自由の謳歌で可能性の拡張で、それがまったく今も通じていることに、驚きつつも安堵して、これも自分らしさなんだろうと素直に思えた。

これもしいたけ.占いの言う「変わらない部分があってもいいんだ」と思えると安心できるという一節に通じていた。ぼくは心から安心して、無印良品の丈夫なポリエステルの買い物袋をがさがさ言わせながら電車に乗って帰った。


2021年5月1日〜11日 保養と整頓

秋葉原という繁華街から、しっかりとした住宅街に引っ越したもので、ずいぶんと生活の勝手が変わってきた。まず、とにかく静かである。酔った若者の奇声が0時過ぎに聞こえてくることもないし、近場のコンカフェ嬢が客を見送る甘い声が漏れて聞こえてくることもない。

コンビニに行くにはそれなりに歩かねばならず、一歩外に出ても人は居ない。コロナ禍では嬉しい状態ではあるけれど、一歩出れば電気街、そこかしこに制服姿の女性たちを見た頃からすれば、まるで街全体がずっと眠っているか、ほとんど異国に来たような気持ちさえある。

いや、むしろ、今までがちょっと異常だったということか。繁華街に住むというのはそういうことの楽しさと鬱陶しさを常に肌身に感じながら暮らすわけだから。いま、それらから引き剥がれて環境を変えてみたら、ずいぶんと心持ちまで穏やかになってきた気がする。

朝、窓を開けるようになった。風が気持ちよく吹く。種類はわからないけれど、鳥なんかが鳴いている。何度か深呼吸をしていると、部屋にこもった湿っぽさが和らいで、もっと息がしやすくなる。まるで描いたような保養所だ。ぼくは引っ越しによって、「保養」という季節を手に入れたのかもしれない。

自宅と事務所の二軒分の荷物を、一つの家に運び入れたことで、相当な量になった。ひとまず、人が尋ねてきてくれることもあるので、キッチンとダイニングを優先的に片付けた。それから仕事場を最低限、パソコンまわりだけは何とかして、Web会議ができるように。

問題は、たくさんの本が積まれたままの書斎と客間だ。この整頓がどうにも億劫ではあって、なかなか手がつかない。仕事場の作り付けの棚に、100円ショップで買いこんだ、それなりに見栄えのする整頓ボックスを詰め込んでは悦に入ったりしている。中身はまだ空である。

整頓する前に、整頓道具を買ってしまうところが、形から入りたがる自分らしくて愛らしい。元来、それほど中身の伴わない人間であるから、こんなことになってしまう。最近は、だからかもしれないが、妙に「中身」にこだわっている向きがある。昔より、意義、意味、理由、目的、将来性、未来、根本、根幹、歴史、伝統といった言葉への関心と「貢献欲」が強まっている。

もっと何の気なくいろんなことがやれれば良いのだけど、うまくいかない。誰も導いてはくれないのが個人商店の辛いところではある。

そんなこんなで、ゴールデンウィークを使い切って部屋の整理整頓を行う予定が、進捗は50%といったところ。でもこの期間に、住んでいる街から行けるリサイクルショップや古道具屋、100円ショップ、スーパーマーケットなど、あらゆるところに足を運んで、生活の解像度は上がった。

いまのところ、ケチのつけようもない場所と住まいである。キッチンに蟻が入り込むところだけが難点だったけれど、それも全自動散布式のベープと、アリを誘引する餌型駆除剤を配置したら、すっかり見なくなった。まだこれから夏だから、わからないけれど。

花を摘んで飾るくらいの余裕ができてきたのも、よいことだとおもう。

以前から料理をするのは好きで、キッチンはこの家を選んだ大きな理由だっただけに、職住一体となった今は、基本は外食せずに家で食事をこしらえている。

朝はプロテイン中心で済んでしまうので、昼食と夕食をせっせとつくって食べる。掃除や整頓をして、買い出しをして、料理をしていると一日なんてあっという間に過ぎてしまう。

ずっと緊張状態にあった心身が、保養所みたいな自宅によって、やわらかくなってきた。新しい仕事が決まったり、続きからの仕事が増えたり、頑張るべきことは多々ある。多々あるのだけども、暮らしがとにかく今は楽しく、僕は明日も料理をする。

料理の器は、毎回適当なんだけど、器が変わるだけでも同じ献立がちがうものみたいに見えたりするから面白く、また「今日と同じ日など無い」と自分に教えてくれるようでもある。


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