2021年4月20日〜30日 引っ越し
これを書いているのはGWも終わりの5月5日で、もうあっという間に、この2週間近くは過ぎていった。細かなことをすべて取りこぼすように、ただひたすらに引っ越しのことを進め、無事に荷物を梱包することに全力を尽くし(手伝ってくれた母とNくんには頭が上がらない)、さらに合間にある〆切を2つほど乗り越え……。
ダンボールを閉じて閉じて閉じて、動かして後、開けて開けて開けて。2つの拠点を1つの家にまとめたので、今までと同じふうにいかないのも悩ましく、想定よりずっと時間がかかる。
未だ手つかずの本の山を横目に、ひとまずリビング、キッチン、仕事場だけは、一旦の決着を見られたのでよかった。本を戻したりする細かな部分は、日々、進めていくとしよう……。
4月20日の頃からのことを覚えていないので、雑談用アカウントのツイートから引っ張って、すこし膨らませてみるとする。
結局出た緊急事態宣言。でも正直、24日に懇意にしているコンカフェの卒業イベントがあって、それが無事に開かれるように祈り続けていたのだった。その後、25日から発令でイベントは開催されていた。ご卒業おめでとうございます。
痩せたら食べたいものが増えていく。メンテナンスカロリーに押さえて、好きなものをある程度は食べられるようになりたいな。しっかり揚げ物が食べたい。カツ丼とか唐揚げ定食とか、あと絶対にほっともっとの特タルのり弁。無性に食べたくなるアレ。
とか言ってたら家系ラーメンしばいてた。Nくんとガッツリ堪能した蒲田小旅行。温泉と家系の街になった蒲田最高。
これ本当に負の遺産という感じで、すくなくとも都市生活者、サラリー生活者の実状と全然合っていないので、ガンガン法改正なり何なりで変えて欲しい。
セブンイレブンの「たんぱく質が摂れるサラダ」シリーズに、野菜と、チキンと豆のサラダを足して食べるのが非常によろしいということを知り、しょっちゅう食べている。引っ越し期間中も何度もお世話になった。欠点は総額800円近くすること。ちゃんと外食だ。
危惧していたら割と現実味を帯びてきて怖い。
だいたい2週間おきにカーボリフィードを入れたのが4月だった。糖質も摂っていないわけではないけど1日100g前後を目指しているので、割に不足しがち。次の日から体の調子がぐんと良くなる感じがするから、今後も上手いこと入れていきたい。白米いっぱい食べれて幸せ。
こういうのが観たかった、というのが観られて、なんかすごくよかった。この後、29日にNくんとTさんと、いつもの「29日会合」をしたとき、結局僕(やTさん)はインターネットのカウンターカルチャーな空気に惹かれてこの世界から抜けられなくなったところがあるから、いつでもカウンターの存在を探しているし、そういうものに出会ったときの喜びが続くのだった。
いろいろとギリギリになりながら引っ越しを打ち込んで敢行した。
楽しかった秋葉原。でもコロナがなかったら、と思ってしまうのも事実。コロナがなければ街の賑わいは失われず、外国人観光客たちで華やかで、コンカフェも変に増えまくってもいなかっただろうし、この数年が秋葉原に与えた影響は大きい気がする。後々振り返ったときにね。
4月30日、明日からGWで大型連休という直前の平日に出来ること全部、という感じで放り込んでいった。ここまで書いて保険証の住所変更申請を忘れているのに気づいたので、明日忘れずに手続きしなくちゃ……。
そんなわけで、4月はもう右往左往という感じで終わっていった。引っ越しをするという大きな転換点を経て、資金はしっかり減りましたけれど、また新しい日々をがんばっていきたい。
2021年4月8日〜19日 誕生日とか
この2週間くらい、いろんなことを進めてきた。「とりあえず生きている」という状態を脱したくて仕方がなく、自分の心と体を次に進めるための大きな決断だったと思う。
まず、年齢が、ひとつ更新された。35歳。
30代の後半になってしまった。いよいよそういう歳なんだなぁ、という思いが一つと、周囲とのライフイベントのバランスがずれてきていることへの焦りと申し訳無さも感じつつ、とはいえまだ35歳なんだ、という第二次モラトリアム的な思いにとらわれている。ここでの踏ん張りが、30代後半や40代以降の自分を決めていくような気がもっと強くなっている。
そして、新居が決まった。審査が無事におりたのだった。引っ越しのあれこれの煩雑さに、やれ引っ越しの見積もりだ、ライフラインの連絡だ、とやることが増えて右往左往していた。
この間に、他にもちょこまかと特記すべき体験はあった。
人生初のプライベートジェット体験をさせてもらえたり、右上の親知らずを抜いたり、下の親知らずを抜く予約をしたり、これから世界を大きく変えるかもしれない起業家に話を聞いたり、コンカフェで人気キャストの卒業イベントを味わったり、毎日に何かしらの起伏はあった。
それと同時に、根本的なところで、僕自身のエネルギー不足を感じてしまうことはあって、きっとそれをどうにか充足したくて、どうにか継ぎ足したくて、いろんな動きをしているんだろう。
単に「休む」ということは非常に難しい行いで、心からそう思える時間が、あと数年以内に訪れることなんて、いやもしかたらこの先もずっと、無いのかもしれない。
のびのびとできる環境で何もしないことは、決して「休む」と同義ではない。一側面だと思う。有りもしない「休む」という観念にとらわれるくらいなら、別のことを求めたほうがいいのではないか、という感じがしている。
そんなことを思っていたら、どうにもうまく眠れなくて、ぶっ続けで起きて何かをして3時間眠る、みたいな断続的な生活を続けてしまい、見事に心身を崩していくのであった。
18日の午後は、いろんな疲れに一斉に襲われ、半ば引きこもるように眠った。起きたり寝たりを繰り返しながら、ほんとうの無為に自分をさらしていくと、だいぶ楽になった。
話は変わるけど最近は「自信」ということへの懐疑が深くて、何か自信という目に見えないものがいろんな根拠になってしまうことの座りが悪い。自信を言い換えたり、捉え直したりする必要がある。いま一つあるのは、自信の作用とは「再現性に関わる見積もり」だ。
つまり、「以前にやったことがあることを、うまく進められる可能性の高さ」みたいなことが自信であって、体験していないこと、経験していないことに関して、自信を持つことはできない。あくまで「再現性」に関わるものであるからだ。
では、「根拠なき自信」とは何か、というと「これまでに同じことを体験していないが、自分なりに同じような文脈で処理できることを意識的/無意識的につなぎ合わせ、自信らしきものに変えている」ではないか。ここでも、何かしらの体験や経験を応用しているに過ぎない。
スポーツや一人旅が情操教育として勧めれるのは、未知に対する挑戦や自分を律する体験が、応用しやすいからだと思う。「やったことがないけれど、あの体験に比べればマシ」みたいなこととか、「あのときの緊張感に比べれば、別に大したことはない」とかは、事象として異なる2点を自分なりに無理やり紐付けて処理しているわけだ。この紐付けを「自信」という。
だから、自信というのは何か他のところに存在していて、「有る」とか「得る」とかして身に入れるのではなく、基本的には内側での処理反応であるから、外へ求めてもつかめない。
……みたいなことをぼんやりと考えながら、仕事のことに気を払いつつ、生きている。
それにしても引っ越しはお金が飛ぶ。いやぁ、一気に余剰がなくなる感じだ。そして、余剰がないことは僕をしっかり焦らせてくれる。お尻を叩いてくれる。今の僕に必要なのは、金銭という即物的なものであったとしても、こういった焦燥感も活用した情熱の再点火に他ならない。
とかなんとか言っていますが、今週もがんばります。引っ越しは来週なので、しばらくはそれが終わるまで、ままならない日々が続くことでしょう。みなさんもお元気で。
2021年4月7日(水)力加減
昨日のラーメン二郎の影響は現状はなく、むしろ体重は減少の記録を叩き出し、ひとり洗面台の前で高笑いする。もっとも、これに気を良くすると自滅することがわかっているので、あくまで劇薬的な扱いは変わらないでいたい。
ラーメン二郎と家系ラーメンは劇薬。チョコレートは向精神薬。
突如のお誘いで、明日の予定を全部一旦は御破算にする。美容院の予約をキャンセルし、今日髪を切ってくれる初訪問の美容院へ赴く。とはいえ、今は髪を伸ばしているので、ツーブロックにする周囲の刈り上げさえしっかりやってくれれば、あとはなんとかなるはずだと踏んだ。
その美容室は、理美容室で、顔そりもしてもらえるコースがあったのでお願いした。全席個室という作りは今らしく、リッチな感じもいい。変に会話も聞こえないので落ち着く。
担当してくれたのは見た目に20代前半から半ばくらいで、小柄な女性だった。オープンしたての店だったららしく、接客にも不慣れなところと緊張が伺えたが、それくらいのほうが顔そりなら慎重でいいかもしれない。
滞りなく顔そりを終え、すっきりした気持ちになっていると、顔パックをしてくれるという。さらに、待ち時間には肩のマッサージも。髪を切りにきただけなのにいたれりつくせりだなぁ、と思いつつお言葉に甘えて受ける。倒れた椅子の上で、目を閉じていると、肩にぐっと力のこもった指がめり込んでくる。結構、強い力だ。
彼女はどうやら力を込められるように、腰をしっかり入れて、押しているらしかった。押すたびに、寝ている僕の耳元に、かすかに息を飲むような、「んっ」という声が聞こえてもくる。どうやらずいぶんと顔と顔の距離が近いらしい。目は閉じているが、その状態のほうが、逆になんかイケない感じになってくる。
「んっ」と繰り返す彼女は、何度か肩を押したあとで、耳元でそっと囁いた。
「力加減、強くも弱くも……できますから……」
僕は「そのままで……」と応えたのだけど、もう完全に、頭の中はソレである。でも、そんなところあったらいいな。髪切って、顔剃って、マッサージ受けて、締めに手か何かでうまいこと致して、すべてすっきりして出ていける……。店員はすべて理美容の資格を持つ人で……。
2021年4月6日(火)二郎
申し込んだ新居の審査に落ちたときのことも考えて、別の物件も見に行くことにした。今日は上野毛へ。古いマンションだったけれど中はきれいで広く、良い物件ではあった。
内見中に電話が来て、無事に新居の審査にパスした知らせが届く。よかった!けど、これからバタバタとした忙しさが始まるわけだ。それもいいかもしれない。この2021年はダイエットしかり何にしかり人生を変えていく年だから、住環境を変えるのも大事だろう。わくわくしてきた。
内見後には、ラーメン二郎 上野毛店で小ラーメン野菜マシをいただく。食べている途中から、体が驚いたのか熱くなってくる。この変化が病みつきになりそう。サウナみたいだ。
上野毛の二郎は非乳化系で醤油がキリッと。ラーメンとしても好きだ。おいしいおいしい。
すっかり満足するも、ネットの情報だと、ラーメン二郎は小で1600kaclらしいので、ほぼ一日分のカロリーだと恐れていたけれど、お腹いっぱいで全然空かず、特に問題は起きなかった。
上野毛は、敬愛する吉行淳之介が長く暮らした街で、まだ家が残っている。残っているというか、先日亡くなった宮城まり子さんがご自宅にされていて、ねむの木学園の事務局も置かれているようだ。ラーメン二郎のあと、門柱の前まで見学に行く。
「吉行」と「宮城」という並んだ表札を見て、ぐっとくる。そして、すてきそうな平屋のお家で、いつか中まで見てみたいものである。夢がひとつ増えた。
あまりにきれいなガラスペンの色に、心奪われる。新居の引っ越しが落ち着いたら、ガラスペンとインク、観に行ってみようかな。
2021年4月5日(月)抜歯
クロスバイクを漕ぎつつ振り返った劇場版エヴァンゲリオンQまで見て、いよいよ体制は整っていたので、全速前進で行くことにした。たしかにエヴァがわかりやすく終わった。とてもわかりやすくて、感謝にも似た気持ちが湧いた。
今日からPayPay銀行とかいう、払うんだかもらうんだかよくわからん微妙な名前の銀行と付き合っていかなければいけないのつらい。2年くらい手数料無料とか、口座持ってるだけでポイント貯まるとか、お得をくれたら涙を飲むか、くらいのレベル。
シン・エヴァを観てから、歯医者へ。左上の親知らずを抜いた。右よりも根が細かったらしくて、あっさり抜けて楽だった。左右でこんなに違うものか、と面白い。
先生が「食べ物は食べた時はきれいですから、しっかり使って慣らしてね」と言われて驚く。むしろ水分でゆすいでしまったりするのは、歯茎の根が育たないらしく、よくないそうだ。食べ物は少々はさまろうが、すぐに何か悪いことにはなったりしない。なるほど。
右上の歯茎もだいぶ育ってきて、痛みもない。きっと良い先生がきれいにやってくださったおかげだろう。ありがたい。その後、ZoomミーティングやPodcastのアップ、原稿の制作と納品、動画編集と納品までして、朝になっていた。
2021年4月4日(日)内見
不動産サイトを見ていて、グッときた家があったので内見を申し込み、観に行った。すっかり一目惚れ。
こんな面白くて良い家はなさそうだ、と思って、もう損するのも経験値と申込書をもらって帰りがけのコンビニでボールペンを買い、近場の喫茶店で書き上げて、不動産家にデータを送る。
今回は自宅と仕事場を統合してもいいかもしれない、と考えて、その予算で東京中の物件を検索していった。ところが、全然ない。正直、移動制限がないなら、鎌倉や逗子のほうが良い家も多く見つかる。東京の家は、おそろしくキッチンがひどいところばかりで、悲しい気持ちになる。
ヒガシマル醤油のちゃんぽんスープ、近くにないな、と思ったらヨドバシカメラの通販で見つけて、しかもエクストリーム便で送料無料で届けてくれるという。150円くらいなのに良いのかなと思いつつ、なんとなく「レンジでつくるから揚げ粉」も追加して頼んでみていた。
で、無事に届く。2つで数百円。ほんとうによいのだろうか。
麺なしちゃんぽん、とてもよい。やさいがいっぱいたべれる。
2021年4月3日(土)無為
しなければならない仕事があるのだけど、いま思っても記憶から抜けている。いわゆるところの終日無為。
行きたいサウナが北海道にたくさん増えた。道東、いいなぁ。
2021年4月2日(金)引っ越す
引っ越し欲に完全に火が付いてしまい、夜通し、不動産サイトをめぐりまくってしまった。たくさん見ていくなかで、「どうせなら」という気持ちが湧いてきて、思い切りヘンな物件にするか、いつか住んでみたいなを叶える物件にするか、という方針が固まる。
今の環境に不満があるわけではないけれど、同じ賃料を使うなかで、面白い選択もできるんじゃないかと思った次第。憧れの秋葉原暮らしも叶えたので、次に進んでいいのではという感。
ハッと気づくと朝になっていた。よくこれだけ飽きずに間取り図も眺められるものである。
2021年4月1日(木)うそ
エイプリルフールはかつて、ネット民にとってのお祭りだった。そんなのが信じられないほど、どこも無風で寂しい限りだ。「もはやウソを楽しむだけの余裕とリテラシーがない」という嘆きは、果たして正しいのだろうか。
なんだかここ最近、かつて僕が入り浸っていたネットは、ほんとうにこれまでのネットと同じだったのかしら、と思うほどに、数年前、10年前、20年前のことが、遠く感じる。
深夜に仕事場のデスク周りを片付けて、買ったままになっていた外付けHDDをつけたり、からまったコードをほどいたりして、だいぶすっきりする。積んであった、90年代の雑誌『ライトニング』を拾い読みすると、やっぱりこれがめっぽう面白い。なんというか、わくわくする。
つまり、だ。ネットと雑誌の親和性があった90年代から00年代、両者は趣味性が高くて猥雑で、それでも雑誌からこぼれてしまうほどの熱量(同人誌文化とも重なる)がネットに溢れだしていた。それが、次第に映像文化を中心として、テレビと近くなっていくにつれて、その空気に支配されていってしまった、ということだろうか。
そこへ、テレビのコンプライアンスが厳しくなっていった。猥雑さは取り除かれていく。その空気はネットにも伝播していく……みたいな。ちょっと調べたけど、いつから厳しくなったのか、すぐにはわからなかった。
だとすれば、やっぱり90年代くらいの雑誌を手本にして、その空気感をどうにかネットに再現させることは不可能なんだろうか?
スクショと切り貼りで怖いなかで、だけど、それに挑戦するのが今の有料コンテンツであり、北ウォールなんだろうとはおもう。KAI-YOU Premiumはよく踏み込んでいると思うし、中でも新見くんのラッパー記事は本当にすごい(僕は何もしていないけれど、かつて有料コンテンツの発案者のひとりではあった)。
この先に行けば、どうなるものか。行けばわかるさ。そう、行かないと、わからないのだ。
静かに、地味に、4月が始まった。新生活の報告にあふれるSNSを横目に、書かなければいけない原稿一本を朝までかかって仕上げて送った。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。編集者・ライター。「生活技巧」発行者。