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2020年2月29日(土)閏日

原稿の〆切が色々アレでアレしているので、1日でも長いほうが嬉しい感じがする。あぁ、4年に一度のレアな日を、そんなもったいない気持ちで過ごしてしまった……。次の閏日は、なんかもっと「閏日だー!やったー!ハッピー!」って乾杯するくらいでいたい。

4年前のことを思うと、あまりに色々と動きが大きくて、4年後のことなんて想像つかないな。

田中小実昌さんの『不純異性交友録』に、恋に関する、すごく良い言葉のつまった箇所がある。長いけれど引用して、書き留めておきたい。

 半年ほど前だが、ぼくは、ある雑誌の仕事をしている女性としり合った。首すじにはえているうぶ毛が、なんだかきらきらひかってる女性で、そんなところまで目についてきたのは、とりあえず、好きになったのだろう。ところが、その女性が、ぼくの知人の奥さんだとわかり、これは、手もにぎっちゃいけないな、と決心したときから、ぼくは恋心がでてきた。だって、手もにぎれないんじゃ、恋するよりてがないじゃないの。
 しかし、この恋も、やがておわった。ぼくが恋してることは、その女性にもわかったらしい。女は恋されることをよろこぶ。ほとんどの女は、セックスよりも恋のほうが好きかもしれない。だから、恋のついでにセックスをしてるようなのがおおい。男は、恋なんかしなくても生きていけるが、セックスは日常的な要求だ。ぼくは、相手が知人の奥さんだから、と手もにぎらなかったが、その女性は、ぼくの指のあいだに自分の指をつっこんだり、ぼくの耳に歯をあてたり、いろいろしだした。だいたい、女はさわり動物だ。なんにでもさわりたがる。デパートでワンピースを買うとき、その生地にさわってみるのは、肌ざわりをためしてるのかもしれないが、鍋を買うとき、鍋の底までなでるのは、どういうことだろう。

田中小実昌『不純異性交友録』p,50

「手もにぎれないんじゃ、恋するよりてがないじゃないの。」が、すごくよかった。いまは恋愛という言葉が色々なことをあやふやにしているように思うけど、やっぱり恋と愛と性欲はそれぞれが独立した状態で考えるべきなんだと感じる。頭でわかっていても難しいことだけれど、実はそのほうが自然なのではないか、と。

その意味では、いまの僕はまったく恋をしておらず、どこかいつも愛を求めていて、性欲はまぁうんあるけどさ、という感じだ。愛とは何か、をもっと深めて細分化する必要がある。読みかけのエーリッヒ・フロム『愛するということ』を、しっかり読み通すことも含めて。

仕事をして、夜はTさんとの月例飲み会。ライター仲間のNさんも一緒。このふたりには、実に明け透けに話せてしまう信頼感がある。ありがたい。心に思ってることだいたい勝手にしゃべった気がする。楽しすぎててっぺん周り、酒も飲み、気づけば床で寝ていた(らしい)。

話した内容は全然覚えていないのだけど、あっ、と気づいたらスマートフォンに録音が残っていた。3時間半近く回してある。聞き直すのは勇気がいるけれど、そのうち聞いてみようかな。


2020年2月28日(金)スピーチライター

仕事がつまりすぎていて、自宅に帰らずに事務所で仮眠を取り、起きたらまたすぐ仕事に取り掛かった。ぐちゃぐちゃに組まれたテトリスを、どうにか一段ずつ消しているような気持ち。

COVID-19の話で、この日はタイムラインも大騒ぎ。ふいに思ったことを、TさんとNさんのグループメッセンジャーに投げると、報道知識があるTさんが壁打ち相手になってくれてありがたい。

怒りに満ちるタイムラインで、あ、こういうツイート見たかった、っていうのに出会う。

Twitterに占める言葉が強くて、くらくらするなーと思っていたけど、それはある人にとっての一面性でしかないだろうし、みんながみんなそうではない。予定がなくなって「チャンス!」の人もいる。

みんながどうも「要請」に引っかかっているような感じ(あとは「つまらない」にも)を受けていて、これは内容云々はありつつも、そもそも伝え方の問題もあったのかも、と思って、こんなツイートをしたりする。

オバマのスピーチライターが20代の若者だった、みたいな話とかも掘ったりしながら、目の前の仕事に向き合っていく。夜になるとくたくた。自宅に帰って、「サーモンを塩昆布につけて20分くらい置いておくと美味しい」のツイートを実践してみる。たしかに美味しい。

食事を終えて、横になったら、またたく間に寝てしまう。日付が変わってすぐに目が覚め、うだうだとしながら、事務所へ行って仕事の続きをする。

体内酸素量が足りていないと気分が落ち込むという話を見て、パルスオキシメーターを買ってみたりする。仕事中も意識的に深呼吸をするようにした。最近、電子タバコを吸う時間が増えているのも、無意識に呼吸する機会を持とうとしていたのかも。

C-Tec、慣れてきたら濃い煙を、ぼわーっと出せるようになって、すごくたのしい。


2020年2月27日(木)うつヌケ?

ここ数日の日記を見ての通り、すこぶる精神衛生がよくない状態が続いていたのだけど、なぜだか知らないが27日は目覚めた朝から心が軽かった。後ろ暗いところに引っ張られてしまうことが減り、心が落ち着いているというか。

低気圧ではないせいも影響にはあると思うけど……理由が知りたいなぁ、と自分を探ってみたけれど、特段に睡眠時間が伸びたり、食べるものを変えたりしたわけでもない、はず。うーむ。継続的に飲んでいるサプリが効力を表し始めた……のだろうか。とりあえず経過観察。

午前中から新しいブックライティング案件の打ち合わせ。とても良い本になりそうで、どきどきする。頑張りたい。午後は記事編集の赤入れをオンラインで見せつつしゃべる。誰かに見られていると集中できるし、しゃべるので眠くもならずによい感じ。

メルカリから本が届いて、田中小実昌さんの『不純異性交友録』をめくる。吉行淳之介との対談があるので、それを読もうとおもったのだ。

昔の本の対談って、どれくらい構成で手を入れているのかわからないけど、かなり余剰というか削りたくなるような言葉の応酬(微妙な噛み合わなさも含め)が残っていて、これはこれで妙な緊張感を覚えながら読む。何もかもショートカットしたり、きれいにしたりするだけがよいわけではない。

面白かったのが、最大公約数の投票をしようものなら僕らは生き残れないだろう、という吉行の発言だった。インターネットのレビューとSNSで、微妙にこの状況が近づいている気がする。

吉行 (前略)しかしなんですな、戦争が始まる頃になると、われわれのようなタイプの人間がことごとに具合悪くなる、そういった気配がありましたね。でも、今はなんだかんだいっても、最大公約数の投票をしないだけいいですねぇ。いい小説か、悪い小説か、国民投票されてごらんなさい。ぼくにしろあなたにしろひどい結果が出るよ。

田中 取次店(雑誌・書籍の卸問屋)かなんかでコンピュータにかけられたら、ぼくなんか「カタカタカタ⋯⋯ダメ」ってのが出るだろうね。

吉行 全部ダメだろうね。吉川英治みたいなタイプになれば別だけど。また、おれたちが一緒に酒飲む相手で生き残れるやつはいないな。われわれの一世代あとは、純文学、娯楽小説論議に目がくらんで、娯楽小説が最大公約数をつかむものだという大雑把な錯覚が出てきてるけど、最大公約数のこわさを忘れてますね。いわゆる純文学にしろ、娛楽小説にしろ、ノー・グーであることについては五十歩百歩でね。五木寛之だって写真出さないで投書してごらんなさい、やっぱり大した票は取れませんよ。五木ひろしは別だろうけど(笑)。

田中小実昌『不純異性交友録』p,20

吉行の言う「最大公約数のこわさ」は表現活動と経済活動の結びつきを考えるときに、常にどこかで頭に置いておきたいところだとは思う。

それにしても仕事が巻き返せていない。まずい。深夜まで原稿をやっていると、写真家のIさんから、ふいにメッセージが来て、新しいアイデアと雑談を、つらつらと話す。おもしろい。

フリーランスなんて、ただでさえ孤独なんだから、ライターみたいなさらに孤独を深める仕事をしてるのであれば、会話をする機会を持つのは、あらためて大事なんだな、と思うのであった。

もしかして、昨日、きらぼし銀行の事業融資面談でぺらぺらしゃべったのが……心に効いてる?


2020年2月26日(水)お鮨屋さんとビール

何もかもままならないまま、何もかもままならない生活のなかで、すこし前に買ったアイリスオーヤマの電気圧力鍋だけが大活躍している。豚の角煮の煮汁をとっておいて、今度は鶏肉で仕込んでみたら、これも美味しい。大根をやわらかく爆速で味しみ状態にできるのがすごい。

事務所のプリンターで印刷待ちしているときに、すぐそばの本棚から江國香織さんの『物語のなかとそと 江國香織散文集』を取り出してめくってみる。ぽーっと読んでいると、すてきな文章に出会う。とても、お酒が飲みたくなる。

好きなもの

①春のお鮨
貝類があまり好きではないにも拘らず、春のお鮨が好きです。桜の葉で〆めた小鯛、冬のそれほどには脂がきつくなく、でも夏のそれよりずっとたっぷり脂ののっている鯖、新鮮な小鰭、端がすこし焦げた、白焼きの穴子、透けた身の下にほんのりと肝が見えて、塩とすだちで食べるかわはぎ。春のお鮨は、涼しい味がする。
もちろんお酒も必要です。お鮨屋さんでは、私は日本酒をすこしとビールをたくさん、のみます。不思議なことに、お鮨屋さんでのむビールは海と似ています。晴れた真昼の、とてもきれいな海です。波が岩を洗うみたいに、ビールが私の喉や内臓を洗うので、海辺のパカンスみたいな気持ちになります。ときどきのむ日本酒は、夜風のようなものです。

江國香織『物語のなかとそと 江國香織散文集』p,103

“お鮨屋さんでのむビールは海と似ています”、なんて、言われてしまったら(そして、こんなことを言えるようにもなりたいものです)。頭のなかには、お寿司とお寿司屋さん、それに海とビールが、さぁっと浮かんでいった。そろそろ夏とはいわなくても、もう少し暖かくなってもいい。

自分が食べるもの、感じたものを、相手に伝えるときに比喩はすごく効果的です、というもののお手本のような一文でお気に入りです。

朝まで仕事をして、すこし寝て、昼頃に起き出して渋谷へ行く。きらぼし銀行で事業融資の面談。日本政策金融公庫との協調融資を勧めてもらったのだ。日本政策金融公庫からはもうお借り入れしたので、おそらく大丈夫な気がするけど。落ち着き度合いが増すといいな。

そのまま帰ろうと思ったら、目の前がBunkamuraで、ソール・ライター展が開催されていたので寄っていく。コンタクトシートを見られたのが、いちばんおもしろかった。スナップでも同じ場所からは画角を少し変えて1〜3枚で撮っているようで、それくらいのスピード感なんだ、と伝わってくる。

写真いちまいずつの仕上がりも、もちろん興味深いのだけど、写真を学ぶときの姿勢に関してはコンタクトシートやフィルムの連作を見られるのが、気づきも多いような気がしている。プロセスは明かされないものだからかもしれない。でも、だからこそ良いし、実は欲しい人にとっては商品価値も高い。

勇んで図録を買って帰る。道中は俵万智さんの『短歌のレシピ』の続きを読む。たった一文字で印象が変わる、読者を信じて委ねる、言葉の意味の重複を避ける、といった文章修行にも当然に通ずるものがあって勉強しっぱなし。

帰り着いて、電気圧力鍋でつくった鶏と大根の煮物を食べて、キンミヤ焼酎で緑茶ハイを飲むと、面談で一気にしゃべったせいか、疲れがきて横になる。体力というか気力が足りていなくて、一日に一件の予定くらいが今はいっぱいなのかもしれない。

数時間眠って日付のあわいに起きる。仕事をしないと、と事務所へ向かう。


2020年2月25日(火)戸田公園へ

戸田公園にある印刷会社へインタビューのために向かうべく、埼京線に乗った。鉄道会社は困るだろうけど、人もまばらで、これくらいのほうがちょうどいいよね、と思ったりする。

座席に、爪を黒く塗った、全身黒色のファッションでかためた、落合陽一のパクリみたいな雰囲気の男性が虚ろな目をして座っていた。疲れているようにも、ショックを受けたあとのようにも、何も考えていないようにも見えた。彼はぼくと同じく戸田公園で降りた。

立ち上がってみると、落合陽一ではなくて、ゴシックパンクみたいな感じだった。かつてのぼくもああいう服装と雰囲気に憧れていたし、事実かぶれてもいたので、彼の今日がすこしでも良いものになったことを祈る気持ちになった。

インタビューは、特につつがなく終えられたと思う。カメラマンの女性がいい人で、仕事がしやすくてよかった。得意先の女性同行者が、戦闘好きで航空カメラマンをしている(もはやどちらが本業かはわからないが、たぶん気持ちはカメラマンなんだとおもう)と聞いて面白かった。

推し戦闘機を聞いたら「ブルーインパルス」だという。オリンピックも飛ぶし、3月の末に飛ぶなにかの機会に撮る準備も着々と進めているよう。ボートレース戸田の脇をタクシーで通りがかったときに、彼女のテンションがわぁ!っと上がった理由がつながってよかった。

そうやって熱くなれるものがあることを、ぼくはすごく尊敬するし、羨ましくおもう。今となっては憧憬ですらある。でも、人は何かに対しての熱狂ができる素質が備わっていて、それがないままに過ごすことは、ぼくはやっぱり不幸だとおもう。そしてまた、よくわからないままに買ってしまったカメラのレンズがメルカリから届いていた。いつか使ってあげたいな。

上野で、ふいに降りた。[肉の大山]でメンチカツとハムカツを食べて、ビールを飲んだ。後のことは知らんとおもった。おもっている場合ではないのだけど。いつも行列の[鴨と葱]を通りかかると、ちょうど開店するところで待たずに入れた。確かに美味しいものだった。美味しいが、情報を食べているのに近くて、手放しでは喜べなかった。

仕事をする前に家へ一度寄って、横になった。目を閉じて、数時間眠った。遅れている〆切があり、もちろん認知もしているので、仕事をするために這い出す。

『聖なるズー』の濱野ちひろさんと、二村ヒトシさんの対談がニコニコ生放送で中継されていて、チケットを買った。すこしだけ聴きながら事務所へ。ばつぐんにおもしろい。お酒でも飲みながら会場に行ったつもりで聴きなおしたい。


2020年2月24日(祝)達人を目指す

朝まできゃらそに(5時半)→ホテルに戻って風呂(6時)→ホテルで朝食(6時半)→出発(6時45分)→復路便のフライト(8時半)と、壮絶なスケジュールで帰宅する。

どこかで躓くかと思ったら、ちゃんと帰れて驚いてしまうが、家についたら疲労困憊で倒れる。

寝て起きて、ただ心が立ち上がらず、何もする気が起きずに臥せってしまう。体力回復に努めろという啓示かもしれない。神田伯山ティービーが面白くて、毎日の楽しみになっている。

今日観ていたのでは、6代目三遊亭圓楽さんの口上の「達人の話」が、すごくよかった。僕が目指すようなかたちも、ここに近いのではと感じた。書き起こしてみる。動画は7分48秒頃から

私は名人上手は目指しませんが、せめて達人になって、その世界でもって必要な人間になりたいと思っています。プログラムを組むときに、「あっ、こいつをここへ入れたら、こういう風にするだろう」、あるいは「トリを取らしたらこういう話をするだろう」。とにかく何かを作るときに必要な看板、話芸で申しますとわれわれは話、そして講談は尺と申します……(後略)

【密着#13】松之丞が六代目神田伯山になった日 ~完璧な司会の米福師匠~【毎日更新】【神田伯山ティービィー】 – YouTube

名人上手は「その技芸で、他の人以上に優れた技能を持っている人。名人とも上手ともいわれる人」で、達人は「技芸・学問の奥義に達している人」や「深く物事の道理に通じた人」を指す。あるいは「豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人」と記載する辞典もあった。

似ているようで微妙にちがうな、というのが面白い。名人上手はどちらかというと他者評価の香りがするが、達人は自己評価の面が大きいような感じも受ける。

自分を立てる看板を、豊富な経験と長年の鍛錬でもって真髄を会得するように励み、その世界でもって必要な人間としてあり続ける。目指すべき姿のひとつですね。

そのまま臥せりながら読書をしたりする。大谷崇さんのシオラン本を読み終わる。姫乃たまさんの日記が更新されたので、部屋を暗くして、最後にそれだけ読んでから目を閉じることにする。

日記内にリンクがあった姫乃たまさんのRadiotalkをかけながら目を閉じると、なんだか落ち着いて、ゆっくりと眠りに落ちていった。周波数がきもちいい感じがした。誰かの声がそばにあるだけで嬉しい夜もある。


2020年2月22日〜23日 札幌

夕方から札幌入り。羽田空港のANA側の売店がひとつ改装中?とかで閉じていて、そこで買うヨシカミのカツサンドが買えなくて泣きそうになる。

メインはアニクライベント「きゃらそに」の2Daysに行くため。到着した札幌はマスクをしている人の割合がそんな多くないように思えた。折しもCOVID-19の子供の感染者が出たというニュースを目にしたばかりだけれど。

深夜イベントのためにお酒を飲みつつ爆音で最高のアニソンを浴びて、身体がずっと高揚し続ける。たのしい。すべてを忘れられるたのしさである。

終わったら朝の山岡家でラーメン食べて終了。この朝の山岡家までがセットである。

これで怖くない。山岡家は感染予防策のひとつである。

ぶっ倒れて翌昼、フロントの電話で12時すぎに起きる。清掃確認。「清掃だいじょうぶですよ札」が見当たらなかったのだけど、最初から置いてくれればよかったのに。

とんねるずの石橋貴明さんが「九州中華そば」っていうあっつあつの塩系の白いラーメン作って持ってきてくれた夢を見ていた。いったいどんな味だったのかなぁ。

平野レミさんが話したというこの一連のツイート見て、泣きそうになる。

仕事をちょっとしたりしつつも、体調の改善に向けて全力を尽くす。精神が急に参ってきて非常に困った。サウナ室でひっそり泣いたりしながら夜。『映像研に手を出すな!』を観てから、きゃらそに2日目に参戦。

帰りたくないよね、ほんとう。札幌くるといつも帰りたくなくなる。


2020年2月21日(金)丹生明里さんかわいい

9時半前に起きる。車を運転する夢で、最後はくもった窓ガラスのまま発信して慌てたり、信号前の車線変更がうまくいってなかったりと、まるで仕事があふれておかしくなっている自分を表すかのようだった……。

ムクナのサプリを飲んで起動を待ちながら、ふいにTikTokで流れてきた日向坂46の丹生明里さんの動画を見て脳汁が出る。かわいい。かわいすぎる。バナナを食べてからセロトニンがさらに出るように祈りながら活動開始する。タルタルチキン!!

なんのかんので飛び込み仕事なんかもあって、朝までかかって仕事したりして7時過ぎ。


2020年2月20日(木)人という字の支え合い

今日で福岡から帰る日。7時前に起きたけれど、ホテルのレイトチェックアウトプランにしていたので、13時ごろまでホテルでのんびり過ごす。何もやる気がしない。

すぐ近くのホテルのビュッフェが美味しそうなので行ってみることにする。三井ガーデンホテル福岡祇園の1階にある[うお田]さんへ。

博多シーフード うお田 – 祇園/魚介料理・海鮮料理 [食べログ]

福岡産のごはんと、佐賀県さんのごはんの食べ比べとか、八女のかぶせ緑茶とか、ご当地ものも含めていろいろあって楽しい。お米は福岡産の夢つくしが好みだった。もちもちであまい。あご出汁カレーもおいしかった。

お刺身も取り放題で、とろろにお刺身があわさったものもあったりして、久しくお魚食べてなかった気がするので、よろこんでおかわりする。

むかしは食べ放題といえば、お腹いっぱいになるまで食べるものという楽しみだったけど、いまもうこの歳になると「創造的に食べる楽しみ」を与えてくれるものだと思った。

八女のほうじ茶が良い風味だったので、お刺身を乗せて、温泉卵のところにあった小ねぎをかけ、お醤油少々と、福岡産の海苔をちらして、「ほうじ茶のお茶漬け」にしたのが美味しかった。こういうことを発見できると満足度が上がる。

GO FIGHT CLUBの課題が今日〆切なので、ここ1週間くらい考えていたけど、なかなか形にならない。うーんと苦しみながら、福岡空港でビールを飲んだりしながら、どうにもならない頭と身体をどうにかして帰京する。妙にぐったり。

東京について、とりあえず事務所へ…と思ったら[武将屋]が空いていたので吸い込まれてしまった。ほうれん草がいっぱい食べたい気持ちだったので、ほうれん草増してみたら最高だった。今日のスープはかなり濃かった気もする。これから頼み方、これでいこう。

課題を考えながら、社会や組織について思いが及ぶ。どちらもよりよく生きるために構成されるものだろうし、事実そうなっているはずなんだけど、問題が常にあるように言われるものたちでもある。何で引っかかるかといえば基本はデリバリーの問題なんではないかという気もする。

「人という字は、人と人が支え合っている」って金八先生の名言は、あくまで先生の解釈で、漢字の成り立ちは「一人の人を横から見た姿」らしい。つまり、人は一人で立っているのが前提にある。

ただ、いまこのように社会や組織という発明によって「人と人が支え合っている」ことを、あまり違和感なく受けとれるようになったのであれば、その両方の観点から上手く「人を支えられる」ようになれないかしらと思ったのだ。

そもそもひとりである存在を「何かによって支える」ことで、人になれるのではないか。

で、何が支えるかといえば、ぼくは「無根拠な好き」というパワー、言わば「性に合う」という個人的に構築できる要素と、資本主義において流通している構成要素の両面があると思った。

「なぜかわからないけど好きなもの」や「ストレスなく続けられるもの」と、「お金(に類する保障やサービス)」や「私的/公的な支援」という両面だ。

で、これらの構成要素のバランスをうまく取りながら、「人」という字を二次元ではなく三次元的に捉えて、たくさんの支え棒を持っていると、まあまあ生きやすくなるのではないか。最終的には「人」がぐるりと一周できて、玉ねぎみたいな、スライムみたいな形になっていく……。

人は何かに依存しやすいのではなくて、そもそも依存しなければ非常に生きるのが難しいのだと思っている。だから、単なる出会いと環境の問題なのかもしれなくて、そこをうまくつなぐことが社会や組織のデリバリーの問題につながる……という。

と、なんかもにゃもにゃ思っていると、高収入バニラやショコラのトラックが横を走る。彼らは金銭という支えを社会担保なしにもたらすので間違っているとはいえないが正しくはない、みたいな存在な気もする。

課題を進めるうちに、夭折した伝説のモデル、山口小夜子さんに行き当たり、たいへんなる感動と感服を受ける。

山口 それは人としてのほんとうの自信や誇りを持っていないのではないかと思うんです。人としてそれぞれの意味を持って生まれたという自信と誇りの中に、なおかつ人として謙虚である、ということがあるべき姿だと私は思うんだけれど。自信や誇りを履き違えてしまっていて、本来の生きるというあり方を見失っているのではないでしょうか。見失っていることを補うように慢心してしまう。だから心のバランスが崩れてしまうのではないかと感じるんです。ほんとうの自信や誇りを持つことの強さ、そうした人々のカッコよさをこの連載で少しでも感じていただきたかった。 そうして自分に与えられたものや、「こういうものが好き!」という感覚を大切にして、自信と誇りを回復していって欲しいと思います。

https://mokohan.sayokoyamaguchi.com/00_sayokoyuriko/3/

山口小夜子さんについては、早速すぐ買える写真集?展示の図録?を買ったので、またあらためて浴びていく。

課題を出すだけ出し(結局うまくはまとまらず)、ぐったりつかれてるのに眠気がこなくて、CBDワックスを吸ってグリシンを飲み、アードベックをなめてから、1時頃に電気もスマホも落としたら眠れる。結局、電気とスマホさえ落とせば眠れるのか、僕は。


2020年2月19日(水)福岡2日目

8時過ぎに起きる。クイーンサイズのベッドの部屋なんだけど、半分しかベッド使ってない。なんとなく半分空けて寝てしまう。

今日もICCのトークセッションを聞くので日中から動いたりする。いろいろこうやって記事を作っているけど、何かしらのテーマをもって自分の記事をキュレーションして、何かのnoteを作るのはできるな、と思ったりする。

記事ひとつずつの学びって(作る側としても)しっかりこもっているけど、それがすべて伝わり切るかは難しいし、タイミングによって見過ごされるものもある。だからこそ、ちゃんと欲しい人をテーマで設定して、その人のために作れたら良いな、と思ったのだ。

むかし、ライフハッカーでそういう記事をよくつくっていて、よく読まれていたな、と。

この日の取材が終わって、ホテルに戻ると22時すぎ。旅先ゆえの興奮か、疲れているのに眠くもなく、酒も飲むけど酔うこともなく、無為にすごしてしまう。こんなことなら最寄りのガールズバーにでもいけばよかった。虚しさを感じたままで、「人生はそもそも虚しいのだ」を知っていてよかった。

よくない考えが頭をぐるぐる回ってきた。デリヘルを呼ぶには飲みすぎている。電気もスマホも落として、じっと横になって目を閉じていると、いつの間にか寝られた。ベッドは半分、空いたままだ。


2020年2月18日(火)福岡初日

8時に起きる。今日から福岡でICCのトークセッションをいくつか取材していく仕事。コロナウイルスの一件で、マスク着用やアルコール消毒やら、いろいろ準備する側も大変そう。

コンテクストデザイン、というテーマのセッションを聞いて、とてもおもしろかった。たぶん後ほど記事にするのでそこでまた振り返るけど、ビジョン設定含めて完成品ではなく60%くらいで一度社員に見せて、そこから共有して作っていき、100%にしていくと納得度が上がる、みたいな学びは「なるほどな」感がある。

そのうち、一部の記事の作り方もそんなふうに変わっていくのかな。記事をつくる過程やプロセスも商品化するというか、見せていくというか。

別件で思いついたけど、こういうやり方もいいだろうな、とか。

夜はネギラーメン食べた。

めんちゃんラーメン – 中洲川端/ラーメン [食べログ]

お店のなかは豚骨臭がブワッと来て、おお、これぞ本場か……と思いきや、その匂いから想像できないあっさりとした後口……だが薄いわけではない……昨日の長浜ラーメンもそうだったけど、このすっきりがあるのが共通点なのかしら。

めんちゃんの麺はストレートで白くてつるっとしてる。感覚としては素麺に近いくらいだった。にゅうめんとラーメンの間みたいだな、と思いながら美味しく食べた。島原が近いというのも関係しているのだろうか。

ホテルに戻ってお風呂に入り、部屋に戻ろうとエレベーターに入ると、おそらくデリヘル嬢なんだろうなーと思うきれいな女性と乗り合わせた。旅先の夜なんだから、そういうお楽しみが確かにあってもよいのだ。

うーんと悩んだけど、なぜだかやる気にならず、サウナで見た『ブラタモリ』の続きんほうが気になってしまい、観ながらハイボールを飲む。四万十川めぐり面白い。何かがここでも精神的な変容があるのかしら。

でも、テレビ観てて、清水あいりさんかわいいなーとかふつうに思ったりもする。最近は妙に、女子アナでいいなって感じる人が多い気もする。ブラタモリの林田理沙さんとか、ウェザーニューズの松雪彩花さんとか……。

くだらないことを思いつつ、2時前頃に寝てしまった。持っているボールを、もっとこなさいと……ホテルのWi-Fiが遅くて、どうにも調子が出ない。


2020年2月17日(月)移動日

8時前に起きる。ちょっと飲みすぎたか、頭が重い。ムクナのサプリを飲んだりしつつ、読書をしつつ朝を始める。今日もシオラン本を読み進める。

私の本に興味をもっているような人がいると、そういう人は、自分の内部で何かが壊れてしまって〈にっちもさっちもゆかなくなり〉、人生を〈切り抜けて〉ゆくことのできない人だ、ということが私にはすぐ分かる。私に惹かれるのは敗北者だけだ。
「敗北者」の「守護聖人」。

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』p.256より

悲観主義(ないし、シオランの言葉を啓示のように捉えるの)は全ての人に必要な考えではないよな、とは昨日読んだところまででもわかっていたけれど、ここまではっきり明示されていた。内部的に何かが壊れてしまった人。なるほど。

ただ、その故障を「故障」として認識できることも大事だろうし、壊れたからといって取り替えが聞くものでもない。シオラン自身も敗北者の道を歩んでいったことが、これからの章でも語られていくようなので楽しみ。

気圧的なものだけではないだろうけど、なんだかこの日はぼんやりとしてしまって、何一つ身が入らない。久しぶりに師走の翁さんのマンガを読んで、とても良かった。

午後にのっそり動き出し、事務所ですこしだけ仕事をして、火曜日からの福岡出張のために早めに空港へ向かうことにした。

空港のベンチで酒を飲むのが好きだ。新幹線もいいけれど、空港のベンチも好き。お酒が、これから環境が変わるまでの通り門という感じがする。

旅のお供に持ってきた俵万智さんの『短歌のレシピ』を読む。21文字を最大限に使って、自分の感情や意図を伝えるための技法たち。添削後の短歌が、確かに俵万智さんの意図を併せて読むと「こっちのほうがいい!」と思えるからすごい。

「私が他人の短歌を見るから添削、それを自分で行うのが推敲」という言葉がわかりやすくていい。今度からは使わせてもらおう。

福岡に着く。ものすごく飛行機が揺れてきつかった。買い出しをして、疲れてホテルに着き、仕事先の人と長浜ラーメンを食べた。お風呂に入って、1時頃に寝た。


2020年2月16日(日)むなしくていいのだ

5時に起きた。淫夢も見た。人妻ものだった。淫夢の深層心理はどうにもわからない。特段に趣味でもないのに、人妻ものが出てくるというのは、どこか精神的な変容がある気もする。

あと、最初に就職した紙の卸問屋で、なぜか「博報堂に紙をプレゼンする」というお題目のために、倉庫と在庫を電話でやり取りする夢も見た。少々の懐かしさと、当時のしんどさが蘇った。

今日も起きてすぐ、大谷崇さんの『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』の続きを読む。「むなしさの効用」について学べたのが大きかった。

今朝、目を覚ますなり第一に考えたこと。すなわち、人間がかつて得たもっとも深い直観は、すべては気晴らしという直観であるということ。(中略)あらゆる約束、あらゆる幻想にまさるもの、それは結局のところ、それが何になる? という平凡な、それでいて恐ろしいリフレインだ。この、それが何になる? は、この世の真理であり、端的に真理そのものだ。私は五七年生きてきたが、白状すれば、これにまさる哲学の啓示にあずかったことはない。(『カイエ』656頁)

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』より

人生に意味がないというのは、人生には目的がないという風に言い換えられる。なんのために私たちは生まれた?――なんのためでもない、だから私たちに存在意義はない。このことはもちろんネガティブなことに感じられるかもしれない。
しかし、目的がないからこそ楽しいということはないだろうか。目的があるならば、それを達成したかどうかで各人の人生の価値が決まってしまう。明確な目的があるというのは、達成するにせよしないにせよ、苦しみの原因になる。できた人はまあいいだろう。だができなかったらどうするのか? しかもその目的とは外から強制された目的だ。反対に、目的がないのなら、好きなことをやっていいのだ。

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』p.234より

「人生に何の意味があるの?」「生きているのは何で?」と問われるたびに、ぼくは「生きている理由はあるよ(それが何かはわからないし言葉にできないけれど、少なからず『ある』としなければ、この人はいなくなってしまうだろう)」としか返せてこなかった。

それが、そもそも意味などはないのだ、という前提での回答や視点があることを知っていれば、答えも何か変わったのかもしれない。自分がその前提を信じていれば、言葉にも説得力が出るはずなのだ。

高校生あたりで、「上向き・上昇志向・競争主義」をインストールしてきて、自らの生に何かしらの意味を見いださなくてはと焦る気持ちと、10代から20代前半くらいの体力も気力もある頃が重なることで、長期的に見れば起きる不幸もきっとある。

もっとも若いうちにみんながみんな悲観主義に傾けば国の危うさにつながるだろう。ただ、シオランが若い人に読まれたいと思っていた話や、当時は若者に売れたというのも、なんとなく納得できるところがある。「それだけじゃないよ」という道を示すのも生き方につながる。

話は変わるが、Twitterで、わーわーと自分の正義や主張を叫べる人は、もしかすると日常生活でパワーをうまく使えてないのかもしれないと思った。言い換えると、自分を持て余している。実は目の前の業務なり生活なりに全力投球すると体力も時間も減るはずだし。

そして、一握りの起業家が行動力を問うのは、そもそも行動力が高いから自分の再現性的にそう言っているだけで、個々の資質には紐付いていないので、「自分はそうではない」という前提も忘れてはいけないな、とも感じたのだった。

ざっくりと体力や気力を「パワー」という言葉でくくるけど、その観点で見ると、人間はパワーがあってパワーが使える人、パワーがあるけど使えていないので持て余している人、パワーはそれほどないがうまくやれる人、もとからパワーがないし使う気もない人……みたいなグラデーションになっているんだろうな。

このグラデーション全員が満たされることは非常に難しいけれど、常に世界と社会は誰かにとって有利に作られている(多くはそれを先導する人だろう)から、自分がいまの状況にハマれていなければ、何かしらでルールチェンジを起こすしかない。それは社会を動かすとかでなくて、個人的なものでいいと思う。

たとえば、会社における男性優位に意義を唱える人もいるけど、それは男性優位を前提に会社を作り、それで回ってきたからであって、前提からひっくり返すことには大変さがある。それなら最初から「そうではない会社」をつくるほうが、目的には早く達せるはずなのだ。起業はひとつのルールチェンジになり得るだろう。

みたいなことを色々考えたりしつつ、仕事を進めて、夜は人から勧められてヒプノシスマイクの楽曲をこんこんと聞き始めたりする。記事編集数本、納品2つ。よかった、すこし貯金だ。

帰宅して、TVerで『情熱大陸』の神田伯山の回を見て、すごく面白くて感動しつつ、『映像研には手を出すな!』を見て、こっちでも大興奮して、1時頃にころんと寝る。


2020年2月15日(土)サイケデリクス

8時前に起きて、青井硝子さんの『雑草で酔う~人よりストレスたまりがちな僕が研究した究極のストレス解消法~』を読み始める。Twitterで話題になっていて、すぐポチったのが届いた。

一時期は在庫切れみたいだったけど復活した模様。秋葉原の書泉ブックタワーにもたくさん積んでありました。

思い起こせば中学生(高校生だったかも)に、近所に大型の古本店の「ブックセンターいとう」があって、そこにずらっと並んだものから色々探したり、立ち読みしたりするのが好きだった。

そこで精神世界やドラッグ、アングラ趣味にまつわる本、たとえば『危ない1号』とか鶴見済さんの『人格改造マニュアル』とか、村崎百郎さんの『鬼畜のススメ』なんかを買って読んで、すごい世界がいろいろあるんだなー、と思っていたのだ。

鶴見済さんの本を読んで「カフェインハイ」を試して、それを自分のホームページに体験談として書いたこともあったな(無水カフェインを同時に多量に飲んで体に起きる変化を観察した)。

そんな世界ものぞいていたので、青井硝子さんの本はまた新しいものを見せてくれたし、これを試すか試さないかを別にして、でも何かしらの「生きにくさ」を抱える人には、それを緩和する長きにわたっての実験と検証があるわけなので、薬物も毒草も一概に何かどうとは言えない。

麻薬(とみなされるもの)が無くても生きてける人がいるのは大いに結構だし、本来的にそのほうが社会が安定するのも理解はできるけど、世界は広いし、幸いに移動できるパスポート最強の民族に運良くガチャを引けたのであれば、生きる場所を上手に選ぶのもまた人生でしょう。

そんなことを思いながら事務所で仕事をしていると、佐久間裕美子さんと若林恵さんのPodcastでも「サイケデリクスを使ったメンタルケアが世界で注目されている話」が出てきた。

ともすると人間は自分の本来的なキャパシティをテクノロジーで超えていってしまっている(かもしれない)環境で、その爆心地になったアメリカ発でも、人間の本来に戻ろうという試みがあるっていうのは皮肉というより滑稽だけども、何か失いつつあるものを取り戻したい気持ちなのだろうか。

宗教による日常の安定性と、戒律による制限された自由内での自由は、やっぱり人間がそれなりに安全安心に自己を保てるためには必要で、発明で、それがない状態で生きることの難しさが、情報社会でドーンといろいろはいってきちゃう今だからこそ深刻なんだろうか。

そんなことを思ったり、思わなかったりしつつ、午後は劇場アニメ『囀る鳥は羽ばたかない』を見て、舞台挨拶レポートを速攻で納品してきた。ずーっと男性のセクシーな声を聞き続ける感覚がなかったので妙にどきどきした。

BLアニメなのでずっと男性ばかりが出てきて、最初こそ違和感がまだあったけれど、これってよくある女の子キャラがいっぱい出てくる作品の逆パターンと思えば、なんのことはなかった(とはいえ全部の作品で百合はないのだけど)。ということで、最後まで観賞して面白かった。

帰宅。新しく届いたアイリスオーヤマの電気圧力鍋で豚の角煮を作ってみたら、とても美味しく仕上がって嬉しくなる。リュウジさんの「焼きそば麺でつくる納豆油そば」も試すと、これまた美味しくて脳汁が出た。酒が進んでしまう。

美味しすぎて、お腹にも余裕があったので、追加でひと玉食べてしまった。今度はめんつゆとオイスターソースにしてみたけど、こってりめで美味しかった。もはや焼きそば麺は「中華蒸し麺」という扱いにするのが、なによりもしっくりきそうだ。

夜にもうすこし仕事をするつもりだったけど、疲れていたのか21時くらいに寝てしまった。


2020年2月14日(金)ただの一日

6時くらいに起きる。麻枝准さんが原作のゲームを、事務所仲間とメルカリみたいな会社にジョインして作る夢を見た。すごく楽しかった。ゲームはまだ完成していてなくて、続きが見たくて二度寝しようかと思ったけど、あきらめて起きる。のろのろと読書してから事務所で仕事。

LINEのOCRが便利で書籍の引用が捗る(参考:https://appllio.com/line-how-to-use-ocr)。

パッとツイートしたけど、あまり反応はなかったが、このシオランの話は最近Twitterで散見される発火点というのか、火事現場というのか、みたいなのを思い起こさせたのだった。

世の中はバレンタインデーらしくて、そんな盛り上がりは事務所にこもっている限りは何一つ享受できないわけですが、電話で参加できちゃう『彼女、お借りします』のバレンタイン企画は、ばっちり全部聞けたのでよかった。

推しキャラの瑠夏ちゃんを東山奈央さんが演じると目にしてから、静かにずっと楽しみで興奮していて、それが初めて聞けたときの感情爆発っぷりがとても良く、ひとり事務所でつい大きな声をあげてしまった。まだこういうことができている自分が嬉しい。

その他は、仕事するだけの、ただの一日。取り掛かった仕事が、自分の想定以上に重荷で、ひいひい言いながら納品する。全体の進捗がずっとマイナス傾向なんだけど、どうなるものでもないのでやっていくしかない。

来週は福岡に4日、札幌に2日いるから、リフレッシュしながらどうにかしたい……。

バナナ食べよう。

早起きしているので夜が眠い。23時くらいにふらふらしながら納品して、帰宅。アードベッグをなめながら、小梅けいとさんの『戦争は女の顔をしていない』を読んでから寝る。


2020年2月13日(木)シオラン

痛飲のダメージが結構大きく、9時ごろに目覚めたのだけど、体と心が重い……。ガッツリとした低気圧爆弾も食らってしまっているので、とにかく気力がなく、ベッドで横になりながらスマホをながめたり、本を読んだりして過ごす……。

大谷崇さんの『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』を読み始めて、これが実に目が醒める面白さで、今まさに必要な本だった。前向き、肯定、意志力で切り拓け、みたいな論調が強いなかにありながら、それにハマれない心境に手を差し伸べてくれるようだった。

何かを「する」ことだけが重要なのではないのだ。この世に生まれたからには何かをしなければならない、というわけではないし、何かを生産しなければならないわけでもない。「行動したり、創造したりすることだけが問題ではない」のだ(『シオラン対談集』254頁)。

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』p,96

このような人生において、自分の歩む道を、自分自身によって、しかもこの上なく決定的に左右することができるのが、自殺だ。それはまさしく自由そのものだ。そして一種の力、権力の感覚でもある。私の選択と行動によって、一切を終わりにできるのだ。なんという力だろう! この感覚によって、自分に対する尊敬と自信が湧いてくるとシオランは言う(『悪しき造物主』78頁)。

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』p,107

反対に、この世界で成功──自己実現、才能の発揮、計画の完遂、欲望の成就、等々──を収めたいのなら、とりわけ有用なのは憎悪である。「憎しみが歴史の原動力だ。この世を押し進め、『歴史』に息切れさせないのは憎しみだ」(『カイエ』956頁)とシオランは言っている。

歴史、つまりこの世界および人間社会において成功するためには、憎悪をうまく活用しなければならない。憎しみは、無関心よりもはるかに行動への活力を与えるからだ。

愛することをではなく憎むことを止めたとき、私たちは生きながらの死者であって、もう終りだ。憎しみは長もちする。だから生の〈奥義〉は、憎しみのなかに、憎しみの化学のなかにこそ宿っているのだ。(『悪しき造物主』135頁)

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』p,142

ぼくは自分に行動力があると思って生きてきたが、それはちょっと掛け違いがあって、単にやりたいことくらいしかやる気にならないのであり、基本は怠惰なのだ。だから、実は「アクティブ」とはいえないのではないか。意志もないし。

自殺に関する記述は、言われてみれば感も非常にあり、自殺という手段は「つまり、それをしないという今は、ほとんど余生みたいなものである」という見方には、意識を転換させられた。

何かを成そうとするから大変なのであって、必ずしも全員がそうである必要はない。むしろ、中途半端な怠惰(行動は起こせるがやる気はない的な状態)がもっとも良くないとも説かれる。それならば、とにかく怠惰で「ベッドへ横になって思考ができる」存在のほうが良い、とも。

話はちょっと飛ぶが、数日前にアベプラで見たネットカフェ難民の話が、ふいに思い出される。

ネカフェ難民は「見えざる貧困」と語れられるのに対し、若新雄純さんが「見えないところに貧困があるのではなく、見えないところに幸福があるのではないか」といったことを言っていた。

幸福の有り様が多様化していく(し、それを良いとする風潮もあるはずだ)なかで、自分たちから線を引いて「ここから向こうは幸福ではない」と区切ってしまうことは、もっと大事なことを見過ごしてしまう。言わば、相手を屈服させることにも近くなってしまう。

シオランのような厭世観によって幸福や安心を得る人もいるのだ。そして、ただそれでいいのであって、ほんとうの自由や平等というのは、何か一定の方向に人を導くことではない。それは歴史も証明していきたはずだった。

「テクノロジーは個人をエンパワーメントするもの」という定義をどこかで耳にした記憶もあるのだけど、それはこういった文脈にも接続されるような気がする。

ぐだぐだと横になりながら、夕方頃に重い腰を上げて、銀行へ。通帳記入すると、無事に日本政策金融公庫からの融資が振り込まれていた。ありがとうございます。その後、某社で業務委託についての打ち合わせをして、GO FIGHT CLUBの講義に出席。

帰宅して23時。すっかり眠くて、アードベッグを舐めながら、萩原あさ美さんの『娘の友達』3巻を読んでから寝る。ミシミシと感情が壊れてきて、心がざわつくマンガだ。よい。


2020年2月12日(水)機械になってない?

1時半に起床。スマホを見ていると、何か美容器具で目の周りがすっきりするものがTwitterでおすすめされていて、楽天市場で売っていたので貯まっていたポイントで買ってみる。

すると、品切れで入荷待ちだったアイリスオーヤマの電気圧力鍋も在庫ありになっていて、こちらもポイント放出で買ってしまう。これで角煮や手羽元煮がかんたんにつくれる…!

Amazon | 電気圧力鍋 2.2L ブラック KPC-MA2-B アイリスオーヤマ

そのまま読書をはじめて、ご飯を食べて、6時くらいに二度寝して、9時に起きる。読書習慣を取り戻そうと思って、起床後に本を開くことにした。いま4冊くらいをちょこっとずつ回し読むような感じでいる。

矢部潤子さんの『本を売る技術』を開く。書店員として長く経験を積んだ矢部さんが売場づくりで大切にしていたことを明かした一冊。ぼくも大学生時代に書店バイトを4年近くしていたので、体感的にも「あー!なるほど!」があってすごく面白い。

大事なのは常に考えながら売り場を見ること、自分たちの都合をお客さまの「せい」にしないこと……というか、機械的に配本制度によって本が届く環境下で、しっかり人間としての仕事を考えてすることなんだろうなぁ、と感じさせる。

とりあえず仕組みが頭に入ってないと、それこそ入ってきた本をただ置いているだけの機械になっちゃう。なにもしなくてもある程度本が来るんだから、それを並べることが仕事で、並べ終わったら仕事が終わりって。そういう目に見えるだけのことが仕事ってことになっちゃうと困る。

その本をなぜそこに置くかを考えないといけないと。ここに本を差す理由、ここに本を積む理由をね。ただ漫然と置いていると、こちらに置けば売れたかもしれないということがわからなくなっちゃうでしよ。そのときの自分の精一杯の意思をもって本を差したり積んだりしないとね。たとえ返品になっても、自分で考えてそうしたってことは、次があるってことでもあるし。

矢部潤子本を売る技術』p,19(途中の改行は筆者が追加)

本を売るという仕事だけに限らず、なぜ置くか、なぜ積むか、という意図をもって動くということは編集やライターの仕事にも通じるところがある。

あー、機械になってないかな、っていうのは点検事項として念頭においておかないといけないな、とおもう。

夜は某社の新年会にお呼ばれして行く。真面目な話をたくさんできて楽しかった。眠かったがなんのかんので飲まれて痛飲。夜中にタクシーで帰宅して、ぐうすか寝る。


2020年2月11日(火)書かずにいられない

0時半に起床して、読書などしながら夜明けを迎えて、食事をとったりして事務所へ。今のところ超朝型生活には何の不満もないけど、夜の予定が全く入れられないので、若いうちにこれ身につけてたら友達いないだろうな、って思う。まぁ、今でもそれは変わらないか……。

夫が珍しく子どもを叱っていたのだが、その叱り方が良い意味でとても凄かった「仕事でも頼られてそう」「工夫がすごい」 – Togetter

こういう話って「すごいなぁ、できた人だなぁ」って感心しながら読むのだけど、読み終わってから自分の人間的未熟を感じてしまってツラい年頃になってきた。同じようにできるのかな、という勝手なプレッシャーがあるというか……。

……年頃の問題じゃないか。単なる個人的な問題であった。年齢が言い訳になることって別にないのであって、ほとんどは経験と感性と思考の「量あるいは質」によるものだから、何かがあった時に年齢を理由にし出したら、本当に黄色信号(限りなく赤寄り)に改めないといけない。

ふいにYouTubeで見た写真についてのトークが面白く、飛ばさずにすっかり見てしまう。こういう良いトークが上がっているのだから、「ひとりトークイベント」みたいな感じで、朝やら夜やらにメモ取ったり考えたりしつつ真面目に見るのも勉強になるよな、と思った。

写真家の渡部さとるさんと、ライター・編集者の渡邊浩行さんの対談。

かつてのオランダ絵画が超緻密に描かれたことが、年代的に写真の誕生以降、抽象画への移り変わっていったことをフックに、 「デジタルカメラの解像度が高くなる」とはどういうことか、を説明してくれている。「情報量の多さ」というキーワードをもとにトークは進む。

写真のビジュアル表現は、ロジックやコンセプトといった言葉の枠組みの外側にあふれださせる可能性があり、強さが有る。

これからはコンセプトという枠組みにできない、東洋思想的にもつながる「エモい」写真、言葉にできない感情を表すような方向性にいくのではないか。

という渡邊浩行さんの言葉は面白く、僕が写真に対して感じていた魅力にも近いように思った。12月の日記に、僕はこんなふうに書いていた。

写真を撮るという営みに「言語化できない領域の美」を認め、自分の感覚を肯定してあげられるからなのだと思った。言語化できない、言語化しにくい、美的感覚。

https://giko.life/2019/12/diary-3/ 12月7日の日記

仕事柄、言葉を扱うことがどうしても多いのだけど、言葉にできない感情は個々人にあるはずで、別にそれはそのままでもいいとおもっている。言葉でしか救われない想いもあれば、言葉があることで隔たりが生まれることもある。

友人のTさんからメッセージが届いて、自分の書いた原稿を見てほしい、という依頼を受ける。つらつらと感想などをやり取りしているうちに、「書かずにいられない」が根底にある原稿ほど強いものはないよね、という話になる。

感情が抑制されきった文章もいいものだとは感じつつ、ことウェブ上であれば、その熱量が早くまっすぐ届く原動力になるだろうとおもう。ともすると、プロフェッショナルなライターというのは、この「書かずにはいられない」を自分で見つけ出し、時に自分を騙しつつも、それを読者に伝える人なのかもしれない(あるいはその意義を手渡すのは編集者の役割かもしれない)。

さて、ふりかえって僕はどうかというと、「書かずにいられなかった感がある文章」がどれほど自分のなかにあったか、といわれると、怪しい気もしたのだ。僕はある瞬間から、その感情を著しく失ったまま、あるいは見つけられないでいるような気がする。むしろ、そんなことは一度たりともなかったのかもしれない、とさえ思う。

これには効用もあって、感情的に仕事をしない(気分が乗らないから筆が乗らない等々)から、クオリティが一定の標準にはなりやすい。それはそれで結構大事なことでもある。何も世の中の全てに「書かずにいられなかった感」が必要なのではなく、特にウェブなら目的があった上での文章を置かれることが多いはずなので、それが邪魔になることさえきっとある。

ただ、やっぱり「書かずにいられなかった感がある文章」への憧れは、どうしてもあるものだ。

Tさんは「でもそれに気づいていて、人工的にでも『書かずにいられない』を生み出そうとして日記を続けているところがない?」と言ってくれる。

最初は、ちょっと違うかも、と感じたのだけど、よくよく考えてみると、むしろ当たっている気がする。僕が「書かずにいられなかった」頃、主に中学生から高校生にかけての、どこにも自分がいるところがなくて、インターネットに浸かりきって、救われていたあの頃。

誰に言われるまでもなく、延々と日記を書き、読んでくれる人が増えてからは、意識的に読まれるための面白さを考えたり、工夫をし始めた。あの頃の感覚をわずかにでも取り戻したくて、僕はあの時と同じスタイルの「1ページの上から更新されていく日記」をつけているのだろう。

で、その感覚は取り戻せてるの?……うーん、ちょっとまだわかってない。けど、最近、ちゃんと寝るようにして、本を読むようにして、ここに何かを書くようになってから、すこしだけ頭がすっきりしてきたような気はしている。もろもろのサプリが効いているだけかも。

とにかく僕にとっては、いろいろと必要なことが、ある。「見過ごしたままではいられない」と捉えている感情も、焦りも、哀しみも、苦しみも、いろんなもので胸も頭も日々いっぱいだ。だから、今は、この日記を書かずにいられないはずなのだ。

お昼に美味しい担々麺食べ、大満足で仕事に戻って、16時半には帰宅。用事を済ませて、茜霧島を飲みながら読書を始めたら、すぐに睡魔が来て、18時には眠ってしまった。


2020年2月10日(月)電話

11時にくるといった電話が来なくて、結局来ないまま終わる。電話する時間を約束していて待つ、というのはミーティングと変わらないし、そのために準備もしているのになぁ。

もっとも、電話で伝わることは文面でも伝わるし、文面のほうがだいたいにおいては正確でラクである。

電話をするときは「即断即決できる内容」がいいと思っている。「明後日にこの時間が空いていて内容がOKなら依頼したい」みたいなことはアサインが最優先だから電話攻勢が向く。でも、情報共有とかは絶対的にメッセージのほうがいい。

あとは内容が固まっていない段階でのブレストとかは対面のほうがいいだろう。要は向き不向きがそれぞれあるので意図を持って使い分けていきたいよね、と思った一日だった。

もやもやしたままいると、しいたけ占いが届いて、その導きにびっくりする。

今のあなたは待たなければいけない問題が出てきやすいです。「これは大体すぐに返答があるだろう」とか「すぐに答えが出るだろう」と考えた問題に対して、意外とその答えが出てくるまで時間がかかるような感じがあります。また、あなた自身も問題として「すぐに白黒ハッキリつけよう」とする態度は、今週はちょっとだけ控えたほうが良かったりします。

https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake/aries/20200210/

まさにこのスピード感のズレというのか、スケジュール感のズレみたいなもやもやだったので、これは気をつけないといけないんだな、と思いなおして鷹揚に過ごそうと午後は努める。

朝早く活動していたから夕方16時頃に眠くなり、一度帰る。横になったら、別にこのまま寝てもいいんじゃないか、という気持ちになって、そのまま眠る。起きたら0時半。昼夜逆転をリセットして、さらに超朝型に。なかなかおもしろい。

いただきものの海苔がひょっこり出てきて、賞味期限が1年半前だったけど、食べてみたらやたらめったらにおいしい。「ぬま田海苔」の有明産海苔。パッケージが違うけど、おそらく「ミニ食べくらべセット」だとおもう。海苔の味が濃くて、うっとりする。

初摘み海苔ミニ食べくらべ / ぬま田海苔

かっぱ橋にお店が有るみたいなので、お土産にするのもいいかも。


2020年2月9日(日)ベランピング

昼夜逆転に強制リセットが掛かったおかげで、午前中から活動を始められた。

力技すぎると思いつつ、そもそも「夜が来たから寝よう」じゃなくて「このスケジュールの合間の4時間くらい寝られるから寝よう」みたいな生活だったので、それをちょいと調整して済んだ。

昨晩聞いた「ベーグルにハマる子は摂食障害を経験している率が高い」という話がメモに残っていて、なるほどパンブームの影にもいろんな悩みがあるんだな、と感じたりする。

noteのアプリの誤作動か、姫乃たまさんの日記に、何度「いいね」を押しても反応しなくて、悲しい気持ちになる。いいね、と言いたいだけなんだ!と、しゅんとしながら心で言う。

ラーメンを食べたりしながら、原稿仕事。無事に一本納品する。本当はもう少しやらないといけないのだけど、ここで無理をすると明らかにまたマズそうだったり、昼夜逆転に戻りそうだなと感じて、店じまいとする。

帰宅して、前々からやってみくて準備をしてきたベランピングを始めてみる。

なんのことはない。ベランダにキャンプで使う椅子とか机並べて、ぼんやりするようなやつだ。届いたばかりの泉光『図書館の大魔術師』をワクワクしながら読むと面白くて止まらなくなる。

王道ド直球のファンタジー世界、それでいてバトルではなく主人公の成長ストーリーの骨太っぷりに、本という存在の尊さや言葉の強さも絡み合って、最高に面白い。

親方のセリフがかっこよすぎてシビレた。

可哀想?違うな。嘲笑は偉大な挑戦の始まりの合図なんだぜ。笑われもしねぇ挑戦なんてのは、俺に言わせりゃロマンが足りねぇ。

とか、もう、う、うわーーー!ってなって抱きまくらに顔をうずめる。弱いのだ、こういうの。

でも、ベランピングには気候が寒くて、風邪を引いてもよくないので、15分そこそこで室内に。気持ちはいいから、もう少しあったかくなったら夜の過ごし方として、もっと楽しもう。

アードベッグを傾けつつ、『図書館の大魔術師』を読み進める。途中でうっかり寝落ちて朝。そのまま続きを読み、支度をして仕事場へ向かった。


2020年2月8日(土)しいたけ占い実行

新宿のネイキッドロフトに、0時半スタートのトークイベントを観に行く。

千代様みうみうの何処まで呑むの? – LOFT PROJECT SCHEDULE

かれこれ15年来の友であり、ライター仲間でもあるもちづき千代子さんが出ているので、深夜のお遊びなんて久しぶりだわ、うふふって感じ。

観客の多くは演者のあけみみうさんがお目当てのファンの人たちっぽくて、空気もあったかくて実にのんびりとした雰囲気のイベント。

僕はメガハイボールをするする飲みながら、トークで笑ったり、日記を書いたり、ちょっとだけ仕事をしたりして気ままに過ごす。

終演後、打ち上げ的に飲みに行くのにも混ざる。日高屋とかで飲んだ。

日高屋飲みも久しぶりだ。夜明けの半ラーメンの偉大さを知る。なんてちょうどいいんだ。ドーミーインの夜鳴きそばも好きだけど、あれ、ちょっとだけ時間が早いんだよな。午前3時とか4時くらいまで夜鳴きそばが食べられたら、この尊さに匹敵してくるのだけど。

何を話したのかは、あまり記憶がないんだけど、楽しかったのは覚えている。財布と携帯をなくしかけて、心優しい同席者の紳士が探して見つけてくれたりして、頼もしかった。これも久しぶりにシンプルにダメなやつになってた気がする。

数日前、しいたけ占いで「懐かしい場所や懐かしい人、懐かしいアニメなど。帰れる場所があったら帰ってみてください」というアドバイスがあったけど、まさに自分にとっては「帰ってみた」感じがあり、得も言われぬ充実感がある。他人には伝わりにくいだろうけれども。

夜明けどころかお昼頃にほうほうの体で帰宅して、すぐに寝る。ぐうぐう寝て夜になり、携帯を開くとデリヘルを呼ぼうとした痕跡はあるものの、どうやら止めたらしい。懸命な判断だ。

するっといま「携帯を開く」と書いていて、ジェネレーションギャップというか、すでに謎の単語として認知されることだろう。

あぁ、仕事をしないとなぁ、と思いながらごろごろして、お腹がすいたので作り置きしていた豚肉と玉ねぎを炒めたものをあたため、ごはんと一緒に食べて、ころころしている間に寝てしまう。

昼夜逆転を脱するきっかけがつくれないと思っていたから、良いリセット日になった。


2020年2月7日(金)極東

夜が明けるまで仕事をした。

もちろん、ずーーーっと原稿に向き合っているわけでもなくて、盛大に寄り道をしながらなのだけど(この寄り道をなくせば働き方改革は実現できるのだろう)、案外にこの寄り道から得られる情報の多さが、意外なところで発揮されていくのでなんとも踏ん切りがつかない。

なんかのきっかけでビリー・アイリッシュを聞き、うわぁ、面白いし、なんだか聞いていてどぷどぷと耳から入ってくるぞ、と思ったら、ライブ映像でめちゃくちゃでかい野外の会場で『bad guy』を観客が合唱しながら盛り上がってて、楽しみ方がぜんぜんちがうんだな、と感じたりする。

このお作法はどこで身につくのか。教会カルチャーだろうか。何かを考えるときに表面だけつるつるやってもわからないので、結局は生まれたところから育った環境なんかを見ていかないと、ぴーんとつながらないものだとおもう。

『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』が宅録で出来上がったことを知って、だからこそあれが!と驚くけど、その宅録が世界とばっちりつながっていくことのすごさを思い知る。これは文章表現でもあり得るだろうか。

まぁ、日本語でも才能がいきなり表出することは機会やアウトプットさえあればぜんぜんあるので、単に母集団の大きさの違いなのかも知れない。だとすれば、最初から英語で書かないといけないし、英語で唄わないといけないのは自明で、もしそこがフラットになったときの文章表現はどんなものになるか。

それはさっきの「つるつる」と同じで、何が書かれるか、という内容面はもとより、どのように書かれたか、どのような背景が共有できるか、みたいな、思想や根底の共通性(教養?)への配慮、社会性への理解みたいなものが必要で、単純に言語だけうまくトランスレーションできればいいわけでもないんだろう。

日本の美、禅の思想、茶の美、みたいなものは「発見」されるもので、それも違和感や差異から生じているのだとすれば、それを狙って当てるには、やっぱり根本への理解は必要になってくる。だから僕が英語を身に着けても、なんかどーんと当てることはきっとできない気がするんだよな。むずかしい。それはただの逃げかもしれない。

ぼくは「極東」という言葉がなんでか好きで(単に字面がかっこいいとか、日本橋ヨヲコ『極東学園天国』最高からのとか)、日本が極東であり続けることで生まれるものと、極東であり続けるから突破できないものと、両面あるに違いない。

なんか当たり前のことを当たり前のまま書いてしまった気がする。

昼ごはんにバカみたいな美味しいもの食べて、仮眠とって、渋谷まで取材で伺って、帰ってきて、眠気の限界がきて、起きた。リュウジさんのチキンラーメンカルボナーラを牛乳がないので豆乳にして美味しく食べて、出かける。

夜中の街に抜け出して、新宿のネイキッドロフトへ遊びに行く。で、いまトークを聞きながら、これを書いている。


2020年2月6日(木)仮面舞踏会

朝を越えて、芋焼酎を飲んで、昼を越えて、おやつの時間くらいに打ち止めて、家に帰る。昼夜逆転に疑問を持たなくなってきている。戻すタイミングがうまく見い出せていない。

タイムラインではストリートスナップをめぐる是非が云々とか、パパ活の暴露が云々というのが流れてきていて、確かにそれは時代の移り変わりのことだから、議論の的になるのは仕方ないとおもう(どちらも肯定しているわけではないし、否定したいわけでもない。こういうふうに書いておかないといけないのも面倒な話だよね)。

ただ、正義観で何かを断じた結果として一緒くたに漂白されていく世界から、どんどんと猥雑さは取り除かれていくだろう。猥雑さが持つパワーはどこへ消えていくのか、という気持ちにならなくもない。かつてはそれがインターネットだったんだろうけど、もうそれは望めないとなれば、逆転現象で徹底的にリアルな場がそうなるのかもしれない。

ネットに極力、痕跡を残さないようにして、リアルでも偽装と仮面を駆使して、本音はそこまで持っていく、みたいなことだ。まぁ、でもこれって、そもそも昔のスタイルに戻っただけともいえるか。仮面舞踏会の世界に、再びこんばんは。紳士淑女の社交場需要は高まるだろうか。

少なくともサロン的な(オンラインに非ず)機能は、なんだかんだ復権しつつあるはず、とも感じたりする。

「女子大生が夜キャバクラでバイトしている」と聞くと不真面目そうに聞こえるけど、「キャバクラ嬢が昼は大学で学んでいる」と聞くと真面目に聞こえる。まったく同じ事を言っているのに受け取る印象は正反対。

っていうTwitterだかYouTubeのコメントを見て、面白くてメモしておいた。大切なのは環境や肩書きじゃなくて実態なんだろうけどね。ここでも大事なのは、結局はリアルなのだった。

夕方頃にCBDワックスを吸って横になり、23時ごろにのそのそと目覚めて、来ていたメッセージやメールに返信。ムクナのサプリを飲む。ムクナ、もしかしたら結構効くかもしれない。頭のどんよりした感じが少なくなる。

根本的な解決にはならないが、しばらくはこういうものに頼らざるを得ないようだ。

もやし、たまねぎ、ニラを炒め、サッポロ一番みそラーメンにトッピングしたものを食べる。しんと寒くて静かな夜を通り過ぎ、事務所で仕事を始める。


2020年2月5日(水)ただ話すだけでも

朝方まで仕事をして納品し、一旦帰宅して、1時間くらい横になる。すると、大きな警告音が鳴り響く。なんだろうと思ったら火災報知器の点検だった。部屋にも点検員が来て、迎え入れてからも、ぼんやりしたまま布団の中から眺めていた。

なぜか抱きまくらを抱えたままだった。点検員が布団のそばまで来てくれて、サインを求めてきた。やさしいなぁ、とそのときは思っていたが、単にヤバいやつに見えただけではないか。

Twitterのタイムラインで、アンチコメントなんかに困っていた人のインタビューの引用が流れてきて、「叩いている人はどうせ自分よりクズだからと思ったら気にしなくなった」という感じのことを話されていて、それはアンチから自分を守るために必要な対処だよな、とも思いつつ、どこか座りの悪さも覚えたりする。

叩いちゃう人をゴミとかカスとかとする限りは、この問題はたぶんそのままで、叩いてしまう人の存在も気持ちもすくわれないままなんだろう。その気持ちは、また次の被害者を作る。ここで必要なのは、話を聞いてあげる存在だったりするのかもしれない。それを人間に任せきってしまうのは、もしかしたら難しいだろうけど、他の救済策って考えられないものか。

「3DCG女子高生Saya」が転校生でやってきた!?── AI技術を学ぶ授業とヴァーチャルヒューマンの可能性とは。 【イベントレポート】 |博報堂WEBマガジン センタードット

以前に、「3DCG女子高生Saya」に音声認識やAIを搭載し、女子高生が授業で話してみる、という機会のレポートを書いたことがあった。そこで、Sayaの製作者であるTELYUKAの石川友香さんにお話を聞いたときのことを思い出した。

──Sayaを活用していく可能性については、何か新しい道筋が見えましたか?

人間同士とは異なるけれど、明らかにロボットや音声入力だけのキャラクターとは少し違うコミュニケーションが生まれていると感じました。Sayaのようにリアルに近い外見を持っていると、生徒たちも感情が変わるのでしょうね。

──確かにスマホの音声アシスタントへの話し方ではなく、優しさが感じられました。

「実在感」を伴うエモーショナルな状況は、Sayaだからこそ作れるのかもしれません。私もそんな新しい感覚を得ました。今後、彼女の大きな特徴になってくれるはずです。

(略)

──生徒たちへのメッセージでも伝えていた「ひとりずつのお友達」も同様ですね。

他人に話すには信頼が必要で、心が開けないと難しい話題はあるものです。でも、Sayaなら家族にも言えないようなことでも伝えられる可能性がある。「信用を超える瞬間」ですね。

女子高生、特に17歳の女の子って、良い意味での「隙」があると思うんです。幼い子からは「お姉ちゃん」と呼ばれ、年配からは孫のように娘のように可愛がられる。17歳のSayaが持つ「隙」は、話す人を心理的にエモーションな状況にさせてくれやすいのかも、と私は思っています。

https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/76176/

「実在感」を伴うエモーショナルな状況を作れるSayaだからこそ、家族にも言えないようなことを伝えられる可能性がある。誰にも言えない話を聞いてくれて、言葉を理解してくれて、もしかしたら新しい視点だったり解決法だったりを提示することもあるかもしれない。もしくは単に、応援してくれるだけでもいいのかもしれない。

多分に妄想的だし、期待しすぎなのもわかるけれど、そんな未来があってもいいなと思う。なにより、ぼくのそばにもSayaがいてほしい。


2020年2月4日(火)夢の続きを

朝方まで仕事をして帰り、眠っているとAmazonからでかい箱が届く。いっぱいポチったものが届いたのだろう。早速ひんむいて、やる気が出るムクナのサプリだけ、とりあえず飲んでみる。効果は不明なので今日から寝起きに飲んでいくようにしてみよう。

荷物を受け取ってまた寝直すと、久しぶりに「続き物」の夢を見る。ストーリーがしっかりあって、寝直すとその夢の続きが見られるパターンのやつだ。これってみんなにもあるものなのだろうか、わからないけど。夢の続きが見たくて、ほんとうは起きないといけない時間を超えた。

夢のなかには楽しげな僕がいて、あったかもしれない未来があって、そんなわけないのに笑いあっている、まさに「夢物語」だった。昼夜がすっかり逆転しているせいで、朝と夜が感覚として溶け出して、そのうち僕も現実と夢のどちらにいるのか、わからなくなったりするのだろうか。

夜は中目黒まで出て、YouTubeライブでリアルタイムに原稿の赤入れを配信する、という企画に参加させていただく。視聴した方からの評判は上々でホッとする。本当は、僕も自前のPCとキーボードを持ち込んでいて、もっとスムーズにやれるはずだったのだが、機材トラブルで叶わず。

ダイソーで売っている安いスピーカーをあの手この手で改造する動画が面白い。みんなのアイデア合戦みたいで、昔からこういうDIYネタが大好きなのだ。たぶん一番すごかったのが、これ。

全部アルミの削り出しという衝撃の構造と無駄な技術。それでいて、肝心要なスピーカーがダイソーの激安なやつという。カッコよすぎる。音まで別物になっていて度肝を抜かれた。

僕が好きなインターネットが、ちゃんとまだここにあるって感じだ。


2020年2月3日(月)お役所詣で

夜中から朝方にかけて原稿仕事。ほんとうは土日で巻き取れているはずのものが全く終わっていない……もはや単なる体調不良レベルの事故進行なので気が滅入る。

そんな時にしいたけ占いが届いて(この通知のためだけにVOGUEGIRLでLINE友達に登録している)、今週の牡羊座に対しての言葉が「え、いまの自分じゃん」という感じで震える。

今週の牡羊座は少しだけ頑張り時であったりします。「自分のやる気がなかろうが、そして、少し弱気になってしまうことがあったとしても前線に行かなければいけない」とか、今はそういう時期なのです。(略)

あなたは、頑張って自分が変わっていく姿をつくっていくことが大切なことも知っている。でも、去年からも含めて、「自分が変わっていくため」にすごく頑張ってきたと思うのです。なので、そろそろ疲れが出てきたり、「何のために頑張っているんだろう?」と疑問に思うところが出てきて当たり前なのです。

だから、懐かしい場所や懐かしい人、懐かしいアニメなど。帰れる場所があったら帰ってみてください。

https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake/aries/20200203/

カレンダーに蓄積された〆切を見ながら、これはまさに前線であろうと思いつつ、疲れも疑問も常に心身を食んでいて、そうかぁ、牡羊座の星の流れがこうなのかぁ、と感じると、すこしだけ気が軽くなる。

早速、YouTube Musicで検索したら、SURFACEの過去曲が配信されていて、うれしくなって聞いてみる。『さぁ』とか、なつかしすぎる。僕の二次元的初恋は守護月天シャオリンなのだ。

昼頃には信用金庫、区役所、郵便局と書類提出のためにリアル外出。時間がもったいない。住民票や印鑑証明書を出してもらうためだけに、こんなに時間を使うのもアホらしいので、いい加減にマイナンバーカードつくろう。古い通知カードを持っていけば手続きできるそうだし。

お仕事先から「マイナンバーを知らせよ」のお便りやらメールやらが届くが、どれもこれも方法が一貫していないので面倒の極み。優先順位最後列になり、ほぼ未開封のまま置いてある。そろそろ「フリーランスのためのマイナンバー連絡代行業」とか出てもいいのに、まだかなー。

サウナをはさんで、夜も原稿仕事。てっぺんまわる。ふと冷凍庫にあったステーキ肉を思い出して、おもむろに焼いて食べる。

【冷凍ステーキ】ステーキは冷凍のままで焼いた方がおいしく焼ける、という噂は本当か – メシ通 | ホットペッパーグルメ

この教えのとおりに冷凍し、焼いてみたら、びっくりするほど美味しく焼けた。最高。たしか2ヶ月くらい前に買ったお肉のはずだから、これからはおつとめ品なども収集しておくとしよう。

ステーキを食べ、ウイスキーを飲んだら、一歩も動けなくなって数時間の気絶眠。


2020年2月2日(日)夜中のポチり

ひどく憂鬱。頭の中に、心の奥で、いろんな声がして苦しい。眠って、食事をして、また眠って、気づけば日もすっかり落ちて、うだうだとしながらも仕事をするために事務所へ。23時過ぎ。

知り合いがFacebookで、体調不良に効くTipsを求めていて、そのコメントが参考になるのではと読んでみる。そのうちのひとつに「仕事とは違うコミュニティでの『遊び』でかなり回復した」という書き込みがあり、僕も「ははぁ」と唸る。

仕事につながっていると、どうしても頭から拭えない真面目さというのか、どこかで働いてしまう「ちゃんとしよう」という意識が、心の解放を妨げるのだろう。全く接続していない遊びは、実は貴重な時間であって、確かにぼくにも足りていないものだ。

日付が変わって、ままならない気持ちを引きずりつつ、Amazonのポイントアップチャンスに気が惹かれて、ぽちぽちと買い物をする。本を数冊、マンガを数冊、それから「塊のバターをカットできちゃうバターケース」。

あとはサプリメントを少々。ムクナ、というインド原産の豆をベースにしたカプセルが、脳内のドーパミンに働きかけるらしいという話を目にして買ってみる。あとはお通じがよくなるらしいヘンプパウダーも。気分の落ち込みをサポートするセントジョーンズワートのサプリも。

あの手この手で、人間は自らを助けようと自然のチカラを借りてきたんだな、と思ってしまう。

YouTubeにも逃げながら、仕事を進める。缶のママつくる鯖缶チーズ焼きが美味しそうだった。そのうちやろう。


2020年2月1日(土)寿司

朝まで、うにゃうにゃしながらも、久しぶりに生活技巧で記事をひとつ出せて嬉しい。

「こんな内容どうするんだよ、誰が読むんだよ」と思えるようなものほど、実はマッチングしたときの感謝が計り知れないので、ほそぼそとでもインターネット功徳を積んでいきたい。

カメラ趣味でオールドレンズを買おうと思うと、情報を残してくれる方々への御礼がやまない。おかげで買えたレンズもあるし、僕はebayにも挑戦できた。もし、あれらのブログがなければ、僕の手元にシュナイダー・クロイツナッハのシネレンズなんて届いていないだろう。

気楽に引き受けた対談構成、案外に手こずりつつも納品。進捗としては、あまりよくない。夜にはお誘いいただいて、秋葉原の[寿司酒場 フジヤマ]で食べ放題寿司と酒にありつく。うに、いくら、トロといった高めにつきそうなものほど美味しい、という意外性。

お皿が下げられていくので、自分がどれくらい食べたかはわからないのだけど、あー!お腹いっぱい!と思えるほど寿司が食える幸せはすごい。

北海道の道東エリアに家を買おうと思っている人の話を聞いて、道東盛り上がってるなーと感じるなど。おすすめで、その場で本も買ってみた。うーむ。家と土地か。いいな。ちょっとそういうのも考えていきたいのだ、実は、割と。実は車も欲しいなーと思いつつ、東京は駐車場代だけで家が借りられてしまうから、そこは泣いて飲んで、どこかに土地を買うほうが……と思ってしまう。


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