2020年3月31日(火)とりむねパーティー
家と仕事場を往復しているだけなので、なんだかそわそわして、駅前へ買い物に行く。ユニクロで定番のUNIQLO Uの白Tシャツを3枚新調。
C-TECの替えを2箱。クリスタルメンソールが吸口も良くて、煙もしっかり出るのでお気に入りだ。あとは、マッチングアプリで知った人に勧められたマンガの『極主夫道』を買う。
最近は仕事中にしろ、晩酌にせよ、ウイスキーを中心に飲むようにしている。からだを気遣ってのこと。ジョニーウォーカーのブラックラベルがお値打ちなので買う。グラスセット。
お料理動画ばかり見ている。みんなが鶏むね肉をあの手この手で美味しく食べていて、なんだかたのしい。下味をつけてジップロックに入れ、熱湯が沸いている鍋に沈めて、ふたをして冷めるまで待つ、という鶏チャーシューやってみたい。
これ、キャンプとかでもできそう。いいなー、鶏チャーシューで、ビールで、外で。
2020年3月30日(月)訃報
志村けんさんの訃報を、寝起きに見る。しばらく、なんだか頭がうまく働かなかった。
言いようがないけれど、年に一度くらい会う、すごくおもしろい親戚のおじさんが亡くなってしまったような喪失感がある。
COVID-19が後世にまで語り継がれていくのが決定的になったようだ。
やらないといけない仕事が目前にあり、ぼんやりとしながらも向かい合っていく。気が乗らなすぎるのでお酒を飲みながら仕事をする。コンビニも、すこし閑散とした様子。
最近、なんだか自分がずっと浅瀬を泳いでるような感覚がある。あるいは、すごくきれいな、ちょっとだけ足がつくプール。深く潜っていないな、という感じだ。
仕事でも、あるいは生活でも。時折、うわーってなるほど潜水することもあるんだけど。荒波を求めているのか、それともこれこそが仕事のしやすい良い時期なのか。
ただ、今は荒波に立ち向かっていくと、ぼくはあっさり溺れそうな気がする。もうすこし、泳げるようになってからがいい。きっと。
2020年3月29日(日)雪に桜
朝方まで仕事をして、朝酌をしたらなんだかテンションも上がってしまい、グランディアの続きをプレイする。今日は雪が降るという予報が合って、なんだかぼんやりと窓をちらちらと見ながら、ひたすらにニンテンドースイッチと遊ぶ。
昼頃にうとうとしはじめると、外はぼたぼたっとした雪が降っている。おお、雪だ、と思ったところで眠りについてしまった。
はっと目覚めると夕方で、雪はもうやんでいた。
ニュースをながめていて気づいた。そうか!桜がまだ咲いていたんだ!
雪に桜という風流の極みみたいな現象を見逃してしまった。がんばっておきて写真を撮りに行けばよかった。まさかそれが51年ぶりのこととは思わず、惜しいことした。
外出自粛と人生で一度の風流。なんとも、悩ましい天秤である。
夜は、毎月29日の定例飲み会を、今日はZoomで。ぜんぜんオンライン飲み会でも楽しめちゃうのがわかった。僕は見たばかりの「三島由紀夫vs東大全共闘」の話をしたりする。
手元のメモには「反米思想はわかりやすさへの闘争だったのではないか」「アメリカ的なものへの憧れを進めると、じっくり考えるみたいなことがよけられていく」と書かれていた。
2020年3月28日(土)外出自粛の日
COVID-19で外出自粛要請が出された土日。
……とはいえ、僕の暮らす町はそれほど変わっていないように見えた。ランニングする人もいれば、犬の散歩もされているし、買い物みたいな人もちらほら。スーパーにも人はいる。
もっとゴーストタウン化するかと思っていたので、ちょっと拍子抜け。でも、こんなときは職住近接でほんとうによかったなーと感じる。仕事場が近いと災害に強い。
思い起こせば5年だか6年前、東京に大雪が降って完全に交通昨日が麻痺したとき、当時は渋谷に住んでいた僕は、渋谷にあった会社に徒歩で難なく到着できたけれど、交通を使う人はみんな来るだけでたいへんそうだった。
会社に近い人がちょっといると緊急対応もしやすいので、割と若手のときほど重宝されそうな気がする……とか言うと、もうブラック認定されてしまうのでしょうかね。
遠藤周作の放送大学の特別講義がYouTubeにあがっていて、ぜんぶではないけど、しばし見入ってしまう。こういう声なのかー……もあるけど、最近は文学者たちの話し方や言葉に興味がある。話し方を変えたいと思っているのかもしれない。
300文字くらいのテキストをひたすら130文字以内に約めていく仕事があって、えいやっと一晩でやりきる。朝方終わる。くたくた。
2020年3月27日(金)グランディアはじめ
友達のカツセマサヒコくんが激烈に勧めていて、ちょうど心がぴょんぴょんする曲が流れてきたせいで、Nintendo Switchの『グランディアHDコレクション』を買ってしまう。
もとはセガサターンで発売された名作RPGらしく、ぼくはノーマークだった。
「グランディア」は1997年に第1作が発売されて以降、個性的なキャラクターが織りなす感動の冒険物語と斬新なゲームシステムで、全世界のプレイヤーの心をつかみ続ける大ヒットRPGシリーズです。
壮大で奥深いストーリーや、発売当時の技術を先取りしたグラフィック、岩垂徳行氏が作曲した美しくメロディアスなBGMは高く評価されており、今なお傑作として語り継がれています。
「グランディア」「グランディアII」のHDリマスター版がNintendo SwitchとPCで登場!
『ガイア幻想紀』や『クロノ・トリガー』を思い出す通常マップの操作感に、『聖剣伝説』を感じるバトルモードと、脈々とあった日本RPGの良さみたいなものを感じる。ストーリーも王道のファンタジーで、ついうっかりと、始めると止まらなくなる。
COVID-19の余波は如実に出てきていて、新規の仕事の発注が減った。いや、単にぼくのせいなのかもしれないけれど、ご相談のお声がけがすくない。幸い、手持ちの仕事で片付いてないものが全然あるので、それを進めるので生きてはいける見通しはあるけれども……。
うーん。ただ、時間ができるのは、悪いことばかりでもない。こういうときこそ、無駄なことや新しい仕込みもできるというものだ。4月には、いろいろ動かしたい意欲だけある。
2020年3月26日(木)鶏むね肉をレンジで
食事の一食を低炭水化物+高タンパク質に置き換えるべく、鶏むね肉や鶏ささみ肉を食べていこうとする。ただ、以前にも同じようなことをしたとき、調理の手間が地味にネックだった。あとどうしても食感が固くなることも。
そんなとき、またまた救ってくれるのは、我らが料理神のひとり、バズレシピのリュウジお兄さんである。
下味を付けてからチンするのもよし、おもむろにそのままチンするのもよし。とにかく抜群に簡単で鶏むね肉を食べられるようになった。
最近は、チンした鶏むね肉と、ウイスキーソーダでもすすっていれば、まぁまぁ何もそれほど文句のあることもなく、健やかに一食を終えられている。
良いか悪いかはさておき、何か重たい炭水化物食よりはいいだろう、と思っている。
COVID-19で今日も世間は騒がしい。GO FIGHT CLUBの受講日だったけど、この日は完全にリモート回に。それも仕方のないこと。ただ、集中して見る分には、やっぱりリモートも良いものだ。メモだって取りやすいし。
2020年3月25日(水)囚人トレーニング
USB-CでつなげるSDカードリーダーをAndroidで使うと、撮った写真の簡易プレビュー機になると教わって、なるほどと買いに行く。あきばお〜で500円で買えた。
さっそく試してみると、なるほど、ぼくの持っているAndroidタブレットではちょっともっさり感はあるけど、たしかに使える。これ、撮影をJPEGのサイズ小さいやつ+RAWにして、JPEGだけ見るようにすればもっと速いのかもだな。
ヨガマットが家に届く。最近、写真に撮られた自分のたいへんなふくよかさに、いよいよの一大事を感じてしまい、できるところから痩身していくようにしようと決意。数日前からの三島由紀夫ムーブメントも当然に影響あり。
とあるブログで見かけたおすすめがしっくりきたので、ポール・ウェイド『プリズナートレーニング』をKindleで買う。自重トレーニングの本。彼が囚人時代に研究と実践をしまくったトレーニングが書かれている。
これらと、食事の置き換えなどをすこしつずつ無理なく積むことで、すこしずつでもマシになっていくといいのだが。あと、もとから硬い体が、さらに老朽化しているのにもびっくりしたので、ストレッチもしていこうとおもう。
何かはじめよう、とおもったときに、すぐにさまざまな情報にアクセスできるのは、ほんとにインターネットにみんながさまざま残してくれるからで感謝しきり。善のパワーだ、インターネットの。
2020年3月24日(火)撮影日和
夜中にちょっと仮眠をとって、終わっていない原稿書きに取り組む。個人的にプレッシャーを感じる原稿でもありながら、昨日の「川端康成×三島由紀夫×伊藤整の鼎談はカタカナ語がない」ということが頭にあって、原稿でも試してみることにした。
話の流れ上で必要な部分をのぞいて、特に地の文では、カタカナ語を排除してみる。なるほど、なかなか端正になる。あと、カタカナ語を使いたくなるときは、かなり思考がぼんやりしたままで「うまいこと」着地させようとしている意識が働いている気もする。
カタカナ語が包含できる意味合いが広いせいもあるんだろう。それを、もうすこし細かく言おうとすると、やはり言葉選びに難儀するところもある。
プレッシャーのかかる原稿なのに、そんなわけで余計に時間がかかる。なんとか提出。一応、カタカナ語の件は納品の連絡にも書き添えておく。さて、どうなるかしら。
この日は、前々から誘ってもらっていた、カメラ仲間のSさんとTさんと、ポートレート撮影の日!モデルさんもいてくれて、晴天のなか……と思ったら、超強風で弱りつつも、途中から風もやんで楽しく撮れる。
この日は「XF90mmの実力を」というTさんのテーマに合わせて、ぼくもCONTAX Carl Zeiss PlanarT* 85mm F1.4を持っていく。この日は、それをマウントアダプターで使う(焦点距離が127.5mmで結構近くなる)。あとは「中一光学 Lens Turbo II EF-FX + CONTAX Carl Zeiss Planar 50mm F1.4」の組み合わせも。
そういえば、とあまり使っていなかった、Kipon Handevision IBELUX 40mm f0.85 Mark 2も持っていったのだけど、今回のヒーローはこいつになった。完全に実力を見直した。描写力もいいけれど、F0.85〜F1.0で撮れると面白いシーンが結構出てくる。
特に、夜桜ポートレートではストロボなしにもかかわらず、ISO感度をそれほど上げずに済んで、良い描写をしてくれる。めちゃくちゃ使える!すっごい重いことをのぞけば!
Tさんのアドバイスで、しっかり「頭を切る」構図の勇気を持つことも教わる。たしかに、と感じるものが多くあって勉強になった。あぁ、楽しかった。いつかお見せできる機会があるといいな。
2020年3月23日(月)三島由紀夫と開高健
映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観てから気になって、朝から三島由紀夫について検索して、あれこれ見始めてしまう。Wikipediaの情報量がとんでもない。ざっくり文字数検索しても20万文字近くあるらしい。もはや書籍だ。
第一行を起こすときの絶体絶命のあきらめ、すごい話だ。川端康成でさえそうなのだから、僕なんて言わずもがな。諦めも大事。諦めは決して悪いことではない。
三島由紀夫と川端康成は師弟関係のような間柄で、三島は慕っていたらしい。で、この貴重な川端康成の出演テレビの動画でも三島は出てくる。伊藤整との鼎談で、和やかな雰囲気の動画が出てくる。
YouTubeのコメント欄を流してみると、書き起こしをしている人がいて、それも読む。会話を聞くと、何か違和感があるな、と思ったら、他の人が「カタカナ語の少なさ」を言及している。それで合点がいった。
時代性もあるのだろうけど、とにかくカタカナ語がない。ひらがなと漢字で、会話なのに、どこか書籍のような整った言葉遣いが並ぶ。耳障りの新鮮さは、それゆえか。
関連動画で、開高健のものが出てくる。それも観る。
そのなかのひとつが、茅ヶ崎市の広報番組で、実際に開高健と仕事をしていたサントリーの坪松さんの話が、とても興味深い。思わず、書き起こした。
広告は記名制じゃない。誰が書くかは問題にされない。
開高健は自分の言葉を伝えようと考えていたコピーライター。自分の感じているものを文章にする。商品を売るための文句を考える。
商品を考えるためのフレーズを考えるとかではなく、自分が、その商品と接したときにどんな気持ちをもったか、ウイスキーなら飲んだときにどんな気持ちになるのか、どんなときに飲みたいと思うのか。
(開高健は)自分の言葉で広告を書こうとしたコピーライターです。
没後30年、行動する小説家 開高健が遺した言葉 – YouTube
それでふと、この日の目覚め、なぜか釣りの夢を見たのを思い出した。心地よい景色から、最後は周囲に人が増え、ぼくの投げ方が悪くて隣の人とお祭りしていまい、女性に怒られる。その人は、なぜか林真理子さんのように見えた。竿を抱えて、ぶるぶると怒る姿に、ぼくは何度も謝っていた。
釣りを愛した開高健のことを、この日に調べたり出会ったりしてしまう、そんなつながりを感じてしまった。
宮城まり子さんが亡くなったことを知る。お悔やみ申し上げます。
夜は、仕事で知り合ったHさんと飲んだ。鋭い質問をたくさん受けて、なんだかものすごく話し込んでしまった。質問について、考えさせられることばかりだ。
2020年3月22日(日)12時間くらいの一日
朝までかかって、ようやく原稿ひとつ仕上がる。自分でもなんでこんなに時間がかかったのかがわからない。ごめんなさい。
古いHDDをのぞいていたら、2009年くらいの自分や友人が映っているデータがあって、びっくりする。なんでも残しておくものだ。ちゃんと自分にも歴史があることを思い出せる。
リュウジさんのレンジ和風ニラ玉を食べながら朝酌をして、届いたI’veのCDボックスを粛々とMP3化し、DJの練習をしてから寝床へ。
瀬戸賢一さんの『書くための文章読本』を読み始め、文章に対しての悩みが改善に向かいそうな予感で、ページを繰ってしまう。
寝落ちする頃に、スマホを仕事場に忘れてきたのに気づく。取りに帰る気力もなく、そのまま寝る。起きたら日はとっぷり暮れて、本を読み、また寝る。
たじまことさんの『水曜日のトリップランチ』、絵柄もテンションもすごく好きだ。
2020年3月21日(土)三島由紀夫vs全共闘
なかなか出来上がらない原稿を苦々しく思いながら、TVerで番宣番組がやっていて、見たら面白そうすぎて映画館へ行く。
日比谷のTOHOシネマズシャンテ、ほぼ満席。年齢層は高めに思えたけど、若い人の姿もある(ぼくもこの中なら若い方に分類されるのかもしれない)。
僕は全共闘でも活動が激しかった日大の出身で、母校の芸術学部でもその運動は展開されていた。恩師のひとりであるO先生は、まさに全共闘世代だったらしく、講義の一貫で全共闘世代のビデオを見たり、その歴史をかじったりしたことがあった。
「頭脳の東大、数の日大」というフレーズ(体力の日大だったかも)というわかりやすい勢力図でもって、その活動は象徴されていた。日大、運動部も強いですしね。
映画は、まさに「頭脳の東大」の由縁を示すような光景。ただ会話の多くは概念的で、文語的でもあり、どこか即興で文章を書きあっているような討論にも映った。
それができることは、まさに知能の高さを思わせつつも、いかにして言葉でもって世界を捉えようとしているかを示しているふうにも感じさせた。
劇中で、「全共闘後の若者たちが、どのように青春を総括したのかはわからないまま」という内田樹さんの指摘があって、実は再検証されうべきことなのかもしれない。すごい話ではないか。
年代としてはいま、ちょうど70代に入ったくらいの世代だ。まだまだ元気だし、人数も勢力もある。強い理想や、激しい活動に陶酔した経験は、どこかで生涯の糧にも枷にもなっただろうが、彼らの多くはどのようにその後に歩み、いまどのように考えるのか。
平野啓一郎さんも「三島由紀夫は最も多感な時期を終戦で迎えている」ことが、その後の彼の人格形成等々につながっている分析を劇中でも展開したけれど、つまりそれは、三島が対峙している全共闘世代の若者にもあてはまることだ。
全共闘世代として多感な時代を生きた若者が、いかに青春と折り合いをつけたか。そして、そもそも青春は折り合いがつくものなのか。
ひるがえってぼくの20代は完全にインターネットと共にあり、P2Pでよなよなファイルをやり取りし、ニコニコ動画の爆走を肌で感じながら、mixiを見ていた。現実と仮想が混ざり合いながら、まだ人の温度を妙に感じられたネット空間だった頃。
自分の多感さをアップデートしなければいけない気もする。すがりついてはいけない。
映画を見終わったあと、日比谷の街に立つ僕は、背筋を伸ばして歩かないといけない、と誰に言われるまでもなく、そうしていた。劇中にもあった言葉だけど、自分が精神薄弱だと感じる現状への苛立ちが生まれていた。
先日、諸先輩がたから「33歳は若い」と断言されたとき、ちょっとだけうろたえ、その言葉がじくじくと心に残っていたのだ。今になってわかったのは、そのうろたえは、過去に囚われ、持ちうる若さを放棄しかかっていることへの焦りと怒りだった。
美意識をもって対峙して生きなければ、という気力がわいてきた。つい先日、僕が山口小夜子さんの姿や言葉に、強烈な尊敬と熱情を感じたのも、こういうことだったのだ。
2020年3月20日(金)抽象的な問い
今日が祝日だなんて知らなかった。なんだか朝から静かだな、と思ったら。
自宅のルンバの調子が悪くて、すぐに止まってしまう。調べてみると、ルンバのバッテリーには寿命があるらしく、3年とも5年とも書いてある。なるほど、たしかにそれくらいは経っている。
Amazonを見てみると、純正品の3分の1くらいの値段でサードパーティの電池があり、ちょうどタイムセール中だったのもあって買ってみる。
Amazon | Boetpcr ルンバ用バッテリー14.4V 3800mAh
ほんとうはもっと商品名が検索対策のせいか長く設定されていて、このへんの「美観」についてはAmazonもこだわってもいいような気がするのだけど、事業者も多すぎて無理かもしれない。あるいは、長い商品名のほうが、欲しい人が出会えるなら、それが正解なのかも。
バッテリーを交換しようとルンバをひっくり返し、ネジをドライバーで外して蓋を開ける。元のバッテリー、何やら漏電?のような跡がある。金属端子にサビのようなこびりつきがあって、このせいで充電が出来ていなかったのかもしれない。
とりあえず交換して、金属端子は綿棒でやさしくこすってみた。バッテリーを交換。これで使えるようになるといいんだけど、もはやバッテリー問題ではないのだろうか。
VOGUEがYouTubeで公開していたビリー・アイリッシュにAIが質問をするインタビュー動画がものすごく面白い。ビリーも「質問が抽象的なところがいい」と感想を話した。
どうしても人間が人間に問いを投げかけようと思うと、わかりやすかったり、文脈を追ったりと、具体的にしたがる。というより、初対面であればあるほど、抽象的なことは聞きにくい。「それ、どういう意味?」「なんでそんなこと聞くの?」と疑わざるを得ない。
それがAIとなると、今の僕らが知っているAIの精度の問題もあり、どこか抽象的なことを聞いても許されるような感覚がある。
そして、抽象的な問いから生み出される具体的なエピソード、あるいは身体的な重みを感じる言葉は、ふだんの問いかけからは出てきにくいものだったりもするはずだ。
抽象的な問いに答える経験は、あまりないのではないか。それが想像力や深層心理をぐらぐらっと揺さぶって、おもしろい言葉が引き出される。AIの役割、また一つ見たり、という気持ちだった。
夜は大学の同級生のGさんと飲んでいた。「最近ナンパされた」というので、どんな相手だったかをイメージしたいから教えて、と問うと「照英から人懐こさを失くした感じ」というパンチラインが出てきて、ひとしきり笑った。
2020年3月19日(木)インタビューの型
電車に乗ると、卒業証書や花を持った、制服姿の学生さんがちらほら。卒業式かぁ。よかったね。卒業式には全然思い出も思い入れもない青春時代だったけど、なんだかよくわからん流行り病で「できなかった」のは寂しい記憶になっちゃうものね。
これからの人生で、あと何回の卒業ができるのだろう。健やかな卒業は、成長の証だ。
午後はインタビューで某出版社へ。ただ、ここ最近でいちばんうまくできなかった……うう……かなりしょんぼりしながら、一緒にテーブルについてサポートしてもらったMさんと終わってからお茶をする。すまねぇ、すまねぇな……。
そのときに出たのは、インタビューの「話のとり方」にも、言うならばプッシュ型とプル型があって、僕はどうやらプル型を実践してきた、ということだ。
プッシュ型は、ある程度、原稿でも入れ込みたい内容や聞き出したい言葉を想定して、そのための質問を重ねていく。プル型は、出たエピソードを元に原稿を構成することが多く、相手の話しを確認しながら聞いていく。
Mさんはプッシュ型で、今日はこのプッシュ型でないと、なかなか難しい内容だったということだ。僕はそれに対応しきれなかった、という感じだし、これは適宜使い分けていかないといけないんだな、と反省する。
夜は、大学時代の同窓生で、しばしば会うMさんとTさんと飲む。なんでも話せる感じがすごくありがたい。
「20代から30代をターゲットに恋愛も市場も固定化されすぎてるんだよね」と、「いかに情報でセックスしないかを求めていくのも大事だね」という話が、じーんと頭に残った。
2020年3月18日(水)zoom配信大事
起き抜けに『ランウェイで笑って』の最新15巻を読む。千雪のターンに歓喜。
原稿編集の仕事に苦労しつつ収めで、その後は打ち合わせ+ブレストからの、「書く」を学びあうコミュニティ「sentence(センテンス)」さんの「赤入れナイト」配信に参加。今回のテーマはイベントレポート。
編集者・ライター・カメラマンによる「赤入れナイト」 〜ライターの腕が光るイベレポの作り方〜【sentence LIVE #2】 | Peatix
鈴木悠平さんと西山武志さんと、イベレポをテーマにあれこれとおしゃべり。ぼくは撮影担当の立場から話しつつ、書き手としてもイベレポで考えていることなどを思うがまま。こういう機会があると、自分の考えを棚卸しできるので、すごく助かる。
zoomでの配信だったけど、なんのストレスもなくできた上に、あとで感想を見たら「難聴がネックでいままでイベントや勉強会に出席しづらかった」という方もいて、そういう意味でも配信って結構大事なんだと知る。
「そこへ行けないから」とか「時間が間に合わないから」という意味での配信は有用だよねと思っていたけど、アクセシビリティの観点でもトークイベントの配信はありなんだ、と。幸いにzoomっていうめちゃくちゃ便利なツールもあるし、これは騒ぎの終息後も引き続き、使われていく(だろうし、使っていくべき)と感じた。
ただ、朝に早起きして、一日中なにかしらずーっと動いていたせいか、一時帰宅とおもってたどりついた23時には前後不覚の疲労感。布団をかけたら、悪即斬のリズムで就寝。
2020年3月17日(火)桜にメジロ
早起きできて、勢いのまま、買っておいた特売の鳥手羽元、しめじ一袋、玉ねぎ一個を、アイリスオーヤマの電気圧力鍋に放り込み、トマト缶、顆粒コンソメ、薄口醤油を入れて煮てみたら、お肉ホロホロのこっくり美味しいトマト煮ができた。簡単で美味しすぎる。
トーストと合わせてもいいし、サッポロ一番しおラーメンにドバっと乗せてもいい。
アイリスオーヤマの電気圧力鍋、いまのところ文句はまったくないのだけど、少々こぶりかもしれない。ものによるけど、つくれて4〜5食分って感じなので、もっと作り置きしたいぜっていう思いがあるなら、大型のものを勧めるかも。
14日に買った中一光学のフォーカルレデューサーアダプターが届いたので、早速カメラに付けて、仕事の合間に散歩がてらシャッターを押してみる。画角が50mm、使いやすい。
桜を撮っていたら、どこからともなくメジロが飛んできて、おどろいた。すてき…風流…と思いながら、わたわたとシャッターを切る。あとでトリミングしてみたら、よかった、映っていた。
夜は、お呼ばれして江戸川区まで行き、Sさんのご自宅にお邪魔する。道中のドラッグストアでトイレットペーパーを見つけ、荷物になるので迷いつつも買う。まだまだ自宅の近くでは手に入らないのだ……助かった……。
初めて「2倍巻き」タイプを買った。1ロールに倍の長さが巻いてあるので長持ちするという。値段も1.8倍くらいするのだけど、延命できるのは今ありがたい。
いろいろ美味しく飲んだり食べたりするなかで、Sさんおすすめのリキュールを飲んで、その香りと味わいにうっとりした。すごい。これまでリキュールをストレートで飲む経験がなかったけど、ウイスキーみたいに少量ストレートで楽しむの、すごくいいぞ。
「マリーフランソワーズ トリプルセック」が試したなかではいちばん好きだった。
できる限り甘みを抑え、オレンジの爽やかな柑橘風味を徹底的に追求した逸品。最高のトリプルセックに欠かせないと言われるビガラダ種のオレンジピールを贅沢に使用した最高の一本。プロの創作意欲をかきたてる自信作です!
マリーフランソワーズ | 株式会社ジャパンインポートシステム JAPAN IMPORT SYSTEM
比較的甘みを抑えたホワイトキュラソー。オレンジの香りが強く、アルコール度数は35~40度。◇1849年にフランスでフルーツを用いた蒸留酒の製造を始めたコアントロー兄弟が、甘みを抑えたホワイトキュラソーを考案し、ラベルに「3倍辛い」という意の「『トリプルセック』キュラソー」と銘打って販売、好評を博した。
トリプルセックとは – コトバンク
いつも梅酒なんかを飲んでいる人にも合うんじゃないかな、とおもう。一本買ってみよ。
寝る間際に、発売したばかりの『彼女、お借りします』最新14巻を読んで、萌え転がってから、寝る。
2020年3月16日(月)おいしい韓国料理
朝まで仕事して帰って9時。すこし寝よう……と全部のスイッチをオフ、CBDワックスを吸い、Radiotalkで姫乃たまさんのトークという黄金パターンで目を閉じる。
はっ!と気づくと、もう夜前の17時。し、しまったー。やろうと思っていたことが、全然できていないぞ。でも、今日は前々から約束してた食事会があり、支度をして中目黒へ。
向かう途中に、スタバの店内で出来上がりを待っていた女性で、すっときれいな立ち姿に、プリーツスカートが似合っていた。「あっ、すてき」となって、歩きながらも目が離せなかった。
あとこれはただ単に個人的趣向として、プリーツスカートが好きなのかもしれない。
料理長のおまかせコースだったのだけど、どれも美味しかった。細かいところに気が利いている感じ。韓国料理に、和食の技をきかせていっているところもあり、良いところ取りなうれしさがある。
いちばん驚いたのはチャプチェ。海苔の風味と、まぶしたカラスミが合わさると驚き。そえられたホタルイカもぷりぷり。
「コースの合間合間にもう間違って出てきてほしいレベル」と全員絶賛でした。しかし、コロナウイルスの客離れはなかなか大変そう。
美味しいものを前にすると「美味しいね!」で間が持ってしまうので、もし会話をしたいなら「ほどほどに美味しいところを選ぶ」というのが実はコツなのかもね、と気づいたり。
ほんとうは仕事をしないといけないのだけど、眠くて眠くて仕方ない。「今日は肩を休める日にしたら?で、早起きしよう」と勧めてもらい、「一理ある」と決める。帰ってすぐ布団に入って眠る。
おいしいものを食べて、心がうきうきしているまま眠るの、すごくきもちいい。
2020年3月15日(日)びっくり俺
鏡を見ていた気づいたけど、なんか、歯が変じゃない…?
いーっと鏡に向かって歯をまじまじ見てみると、何がおかしいのかわからないが、違和感がある。で、舌を口の中で回したり、鏡に向かったりしているうちに気づいた。歯茎が痩せているんだ。
痩せているというか、前より歯茎が下がっているというか……と思って、根本をよくみると、ちょっと歯が見えている気もする。なんだ!うわ!こわ!
慌ててネットで調べると、まあ起きる症状で、歯肉炎とか歯周病に近いもので見つかる。ははー。でもこれはよくないなぁ。と、外出のついでにドラッグストアでマウスウォッシュや歯茎の塗り薬を買ってみる。ロート製薬のアセス。
春風亭昇太さんが「まずは1ヶ月!」と言っているので、まずは1ヶ月試してみよう。4月の半ばか。
今日もシャッツキステでハーブティと読書。すこし遅くなってしまったけど、22時まで営業しているのがありがたい。
一日のなかで集中する時間を持つようになってから、集中力が戻ってきたような気がする。こちらも1ヶ月続けてみた変化を見てみたいな。3月11日だから、こちらも4月11日。誕生日のすぐあとだ。覚えやすい。
今日、誰とも話していなかったせいで、メイドさんに「ハーブティください」と言った声がぜんぜん出なくて驚いた。「はっ……ぶてぃ……くださ……」みたいな、かすっかすの声。
自分で自分に驚いてばかりの一日。朝まで原稿。
2020年3月14日(土)ホワイトホワイトデー
目覚めると朝8時。ころころと横になりながら、ふっと思いついて中一光学のフォーカルレデューサーアダプターをAmazonで買う。
メルカリでお安く出ていて、ちょっと迷っている間に買われてしまい、うーむ、となることが何回かあったので、もうその誘惑を断ち切るべく新品を。
これで、APS-Cの富士フイルムカメラでオールドレンズを使っても、ほぼ元の画角で撮れるようになるだけでなく、光量も1段稼げるらしい。手持ちのヤシカコンタックスマウントのPlanar 50mm F1.4を使ってみようという魂胆。(ということはF1.0になる…?)
中一光学の「Lens Turbo II EF-FX」に、ついでにドンピシャでメルカリに出ていたヤシカコンタックスマウント→EOS EFマウントのマウントアダプターも買う。このマウントアダプターなら薄いので、重さも少しマシなんじゃないかと踏んだ次第。
つまり、C/Yマウント→EFマウント→Xマウントと多段で変えることで富士フイルムでも使おうと。ネットでちょっと検索したけど事例は見つけられず。うまくいくといいなー。
事務所で仕事をしていると、Twitterのタイムラインがにぎやか。え?雪?
窓の外を見ると、東京に雪が降っていた。ぼたぼたっとした感じの、ちゃんとした雪だ。もうすぐ3月というのに。そして桜の開花宣言も出されていた。平安時代の人とかタイムスリップしてきたら驚くのではないか、その季節感に。
原稿一本納品して、シャッツキステへ行く。今日も黙々と仕事の読み物を進める。お昼食べそこねていたのでしいたけ入りクリームシチューもいただく。おいしい。お野菜がころころしていてうれしい。ハーブティーは集中力アップのものを飲んだ。
本からふと目を上げると、メイドさんのひとりが、机に飾る花を手にとって香りをかいでいた。その姿が、逆光のなかでうきあがっていて、夢でも見ているかのようだった。三次元と二次元のちょうど合間のワンシーン……。
お会計時にメイドさんが「雪が降ったから、今日はホワイトホワイトデーですね!」と言っていた。たしかに!そもそも今日がホワイトデーであると、今年はお返しをすることがなかったから、すっかり頭から抜けていた。
もうすこし仕事して帰宅し、ストロングゼロレモンのトマトジュース割りを試したら、これがまた危険に飲めてしまうヤツになっていてびっくりする。鶏もも肉を親子鍋で焼くと、火もかんたんに通るし美味しくできてしまうことを発見。
勢いのまま、届いたきり放置してたPCDJ用に買った机を組み立てセッティング。ちょっとだけ触って、すっかり朝方だったので、ふにゃふにゃと眠る。
2020年3月13日(金)事実、とは何か
仕事が朝までかかってしまったけれど、11時には渋谷へ絶対に行かねばならず、眠ったら危なそうなので、寝ないで行くことにした。
銀座線が渋谷に着くと折り返し運転になってしまったので、眠りにくくなった。昔は絶対に乗客が渋谷で降りないといけなかった。駅員の見回りもあって騒がしく、だいたい起きられたのだけど、電車でも熟睡できてしまうタイプのぼくとしては、今の渋谷はすこし不便だ。
この日は、きらぼし銀行で融資面談の日。眠い頭でぼんやりと言われるままに、いろんなところに住所と名前を書き続ける。一部、書類に不備があって郵送になったけれど、融資自体は進むことになって、一件落着。
先日の日本政策金融公庫からの融資と含めて、手元の運転資金が増えた。しばらくはお金のことで「あー、どうしよ」と思わなくても大丈夫そう。あるいは、何か勝負したくなったときにも、よっしゃこれで、となれる。
不備の合った書類のために税務署へ行くと、「この税務署ではない」という。引っ越したせいで管轄が変わっていたのだ。泣きそうになりながら、体がつらかったのでタクシーで移動して、あらためて税務署へ。長い待ち時間をうつらうつらと耐えながら、なんとか発行してもらう。
書類をもらう頃にはお昼は回っていて、家に帰るとさすがに疲れ果てていた。横になるとすぐ眠ってしまう。夕方起きて、焼きそばを二玉つくって食べて、また横になってしまう。
積ん読をめくる。プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』に、昨日の戸田真琴さんのnoteともちょっと通じる、ハッとする文章に出合う。
口承の物語は、この世界にあるさまざまなものごとのはじまりにもなっている。この世に存在するあらゆる事物の誕生にまつわる信仰から、来世や、別世界のようすに至るまで。ぼくたちがどれだけ「聞いたところによると」から生まれ出る思考の数々を使って人生を過ごしているのか考えてみると、少なからぬ驚きを覚える。そしてぼくたちが「聞いたところによる」ものが、これまた多くの「聞いたところによる」ものの集合である人々の手によって、鉄の掟や石碑に刻まれた銘文に姿を変えて、従うべき「事実」や「真実」として擁立されるとすれば、それは恐ろしいことだ。
プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』p37
この恐ろしさは、いまのTwitterなんかを見れば、すぐわかる。だからこそ、自分の目で見て、感じて、考えることの価値が上がっている、ともいえるのかもしれない。「事実」について辞典を引いてみる(こんなことでもなければ、事実を引くことはなかっただろう)。
1、実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
2、哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。
事実(じじつ)の意味 – goo国語辞書
実際にあった事柄。現実にある事柄。真実のこと。哲学では、特に、必然的にあることや、単に可能としてあることと区別される。
事実(ジジツ)とは – コトバンク
辞書からすれば「実際に起こった事柄」でなければ事実とはいえないので、プラープダー・ユンがいうように「聞いたところによると」は事実たり得ない。というより、事実かもしれないけど正確ではない、か。それを「事実」とするから怖いのだ。
哲学のほうの使われ方も面白いけど、これだけだとイマイチつかみきれない。文献ではないがWikipediaの説明はわかりやすい。
もともとは、神がしたこと、という意味である。まずラテン語のfacere(あるいはfacio)「する」「行う」という意味の動詞 があり[2]、その過去分詞形factumが「(神によって)行われた」と形容詞的に用いられ、それが名詞化し「(神によって)行われたこと」を意味するようになったものである。フランス語のfaitも同様で、faire(する、行う)という動詞があり、その過去分詞形のfaitが名詞化したものである。英語のfactも15世紀にラテン語のfactumを語源として使われるようになったものである[2]。「実在的なもの」とされるのであるため、幻想・虚構・可能性などと対立する[1][3]。
事実 – Wikipedia
もう少し検索結果を見ると、哲学者で教育学者の苫野一徳さんのコラムに出合う。
哲学は人間的な「意味の世界」の本質を探究するものだ。一方の科学は、「事実の世界」のメカニズムを明らかにする。(略)
物を手放せば落ちるとか、地球は太陽のまわりを回っているとか、そういったことは、とりあえず僕たちのだれもが“事実”として認識している(信じている)ことだ。だからその“事実”を、「いやいや、これも本当は絶対の真理じゃないかもしれない」なんて、いちいち考える必要はない。
でもその一方で、科学には、「そもそも事実って何なんだ?」と考えなければならない時がある。それはとりわけ、“事実”とされるものが人によって異なる時だ。
第4回 科学とは何がちがうの?(続)|はじめての哲学的思考|苫野 一徳|webちくま
人によって何を「事実」とするのか。事実、と言われたときに、それはどんな内容で、どんな背景があるのか。事実という言葉の前に、「それってさ」とちゃんと疑えるかどうか。
常に疑いを持って考えをめぐらす大切さは、私が構成で携わせていただいた須藤憲司さんの『90日で成果をだす DX(デジタルトランスフォーメーション)入門』でも書かれているので、実はビジネス的な観点からも必要な考えといえそうだ(突然の宣伝)。19日発売ですので、みなさまよろしくお願い申し上げます。
一眠りして、22時過ぎに起きる。でも起き上がれずに、そのままさらに眠りについた。
2020年3月12日(木)知っている、とは
寝付きが悪いとき、Radiotalkで姫乃たまさんの「ラジオ消した?」をスマホでかけて、枕元にちょっと小さめの音でかけておくと、話面白いなーと思いつつ、いつの間にか眠りにつくことができるのでうれしい。声の周波数みたいのがいいのかな。テンションかな。
番組テーマに「そろそろラジオを消して、おやすみなさい。」とあるから、正しい聞き方のひとつなのかもしれないけど。
電気ポットでお湯を沸かしているそばで、本棚に目をやると、まだ読み切っていない本がちらほらある。一冊抜き出してめくってみると、「おっ」と思える箇所に出会えたりする。『本を贈る』で校正者の牟田都子さんが書いていたこと。
ゲラに鉛筆で疑問や提案を書き込むことを「鉛筆を出す」「鉛筆を入れる」といいます。出すぎた鉛筆とは、「私」と「わたし」が混在しているときに勝手にどちらかに統一したり、「〜でない」といういいまわしを「〜ではない」とあらためたりする鉛筆のことです。著者に代わって文章を書き直そうとするような、分を越えた疑問や提案を師匠は見逃しませんでした。
鉛筆を入れるときにはかならず典拠を示すというのも師匠から叩き込まれたこ
とです。あるとき、このことばの使い方は誤用ではないか、と入れた鉛筆を見て、師匠がひとこと、
「全部引いた?」
校閲部ではみんな机に複数の国語辞典を置いていますが、書棚にも何十冊という国語辞典が並んでいます。それを全部引いてみたのか、というのです。書棚へ飛んでいき、片っ端から引いていくとはたして、ゲラとぴったり一致する言いまわしが例文に載っている辞書を見つけました。
三輪舎刊『本を贈る』p,97
「ありました⋯⋯」
校正者は「なんでも知っている」と思われているようです。もちろん師匠のように博学多識な校正者も多いのですが、少なくともわたしの場合、「ものを知っている」というよりも「調べ方を(人よりも多少)知っている」というのが正確ではないかと思います。むしろ「知っている」などと思ったときがいちばん危ない。この仕事をしていてつくづく思うのは、「人間は間違いをおかす生きものである」「記億ほど当てにならないものはない」ということです。経験の長い校正者ほど「自分は人よりもものを知っている」などと過信することをおそれ、辞書を引き、調べる労をいとわないように思います。
「私のところにはたくさん校正の係がいますが、今でも私がいちばん辞書を多くひいているようです。(⋯)自分は何も知らないが、ただ『知らないということを知っている』ということだけはわきまえているつもりなので」
三輪舎刊『本を贈る』p,99
岩波書店の初代校正課長を務め、「校正の神様」とも呼ばれた西島麦南の言葉
です。
ぼくも仕事で、他人の原稿に朱を入れたり、文章の提案をしたりすることがあって(むしろ最近はそういうご依頼も増えてきた)、そこで結構と「知っているという過信」みたいなものの怖さに直面することがある。いまはオンライン辞典もあるので、それをしょっちゅう引きながら確認している。
ライターなんかをしていると言葉が巧みだとか、すぐれた文章表現がすぐできるとか、いろいろ外から思われることは多いのだけど、それもタイプによるんだろうな、と思う。
僕はどちらかというと、牟田都子さんが書く通りの『「ものを知っている」というよりも「調べ方を(人よりも多少)知っている」というのが正確』派なんだと感じた。
僕自身は知っていることって、そんなにない。何かの専門性も、それほどない。だけど、調べるのがうまい……というか、必要な情報に行き着きやすいのかも、と。
インターネットを主軸で仕事をするライターにとって必要なスキルといえば、実は調べ方の能力(ネットを使うなら「検索能力」)も大きい。人より必要な情報に、早く、正確に、たどり着ければ、人より早く、正確に、記事を作れる。
そういう環境下は記事を出す「タイミング」を重視するメディアにいると身についていくものだけど、通常はそういう機会はあまりないので、割と特有のものかもしれない。
単純に文章表現が巧みだとか、感性が豊かだとかいう前に、このあたりの基本はライターであれば、一本あたりの制作時間にも関わってくるので、身についていて損はないかなと感じた。『知らないということを知っている』をわきまえつつ、忘れないようにしなければ。
夜、戸田真琴さんが書いていたnoteの文章が素晴らしく、まったく筆が進まなくなる。
有料noteですが、文章に携わっている人などにはほんとうに全員読んでもらいたいくらいに強い。
ここ最近は、内的な表現のものが多かったような気もするけど、こうして外的な視点が交わってくると、もともと視点の高さと自分の感情への解像度が高い方だから、途端に現実まで貫く力みたいのが爆発的に発揮されるようだ。
文章表現の一つひとつも、こんなの書いてみたい、と思わされるものに満ちている。無料公開分までで引くならば、
この眩しさを、ある文化圏の中では、春、という。
ひりひりするんだ|戸田真琴|note
は、読点の使い方まで含めて素晴らしいというほかない。
春は、春だ。それは僕らが「春」という定義を知っていて、感情を言葉に規定されているからにほかならないけれど、「この感じの季節を春と呼ぼう」というのは、あくまで情報伝達や伝承のためにも必要なだけあって、自分の感情をそれに引っ張られすぎることはない。春と呼ばれる「前」の感情に戻る、という考え。新鮮だった。考えたこともなかった。
それこそ、これも「知っている」という弊害ではないか、と感じたりもした。
書けないといえど〆切はあって、ウイスキーをあおりながら、何とか朝までかかって一本納品する。
2020年3月11日(水)ハーブティー
仕事の母艦をMac miniに変えたところ、作業は快調なのだけど、いろいろ不都合も出てきて弱っている。それまで使っていたロジクールのBluetoothマウスが接続不良で、しょっちゅう途切れる。
どうやらMac miniは電波干渉問題が起きるのか、純正のMagic Mouseでも途切れる報告がある。まったく仕事にならないので、これはもう自分のストレス低下を優先しようと、有線マウスを買ってきた。一周してアナログの良さに回帰して心地いい。
さらには長めのスリープから復帰すると、HDMIが出力しなくなる現象も。困った。初期不良かと疑ったら、ネットでも続々と報告が。結果、電源落としてケーブル抜いて、ちょっと待ってから再接続で復帰。うーん。面倒だぞ。
OSアップデートで出現した不具合みたいなので、そのうち解消されるといいんだけど……。
取材で吉祥寺へ行く。実は地元である(ぼくは隣町に住んでいたけど)。久しぶりに来たので、懐かしくも過ごしやすい空気でうれしい。
高校生のときに来た店がまだ残っているのを見て、胸の内側があたたかくなる。その後の15年で君に何が起こるのか、知らなくてもいいけれど、もしかしたらその選択が未来を変えていた、ということはいくらでも起きるよ。
ひそかに緊張していたインタビューだったけれど(同業者にお話を聞くのはどきどきする)、和やかな現場のおかげで乗り切れる。今日は頭も回っていたほう。とてもよいお話も聞けて、写真も大好きな写真家さんによるものなので、頑張らないと。
しかし、原稿確認で自分より大先輩の方に原稿を見てもらわないといけないので、やっぱりまた緊張のタイミングが来るなぁ……。
せっかく毎日いるのだから、もっと秋葉原を楽しもうと思って、好きなメイドカフェのシャッツキステへ久しぶりに行ったら、想像の何十倍も居心地が良くて最高だった。
集中して読まないといけない本があるので(と言ってもマンガなのだけど巻数が多い……)、しばらく通ってこなしていこうかな。
集中しつつも、時折顔を上げると、メイドさんたちがせっせと仕事をしていたり、談笑しているのが聞こえてきたりして、その感じが心地よすぎるのだ。純粋に「富豪になりたい」と思った。自宅に作り上げたいぞ、この環境。
たとい富豪にはなれぬども、仕事をがんばり、いつでも好きなだけシャッツキステに行けるくらいにはなろうと心に決める。
2020年3月10日(火)ベランダで飲む
仕事が朝までかかってしまい、駅へ向かう人々と逆行しながら帰宅。〆切にさえ遅れなければ、何時に起き、何時に働いてもいいのが、この稼業の気楽で良いところのひとつだけど、人々の流れに身を置くと、とたんにその社会性の乏しさみたいなものにくじけそうになる。
相対的に考えても仕方ないし、相対的である以上は幸せにはなれないので(詳しくはこちらの記事をご覧ください)、今日も自分だけの幸せを求めてスーパーへ行く。スーパーマーケットには幸せが詰まっている。
お金も何でもそうですけれど、人は相対的な状態である以上、ずっと不幸なんですよ。「人よりもっと」「社会的にはもっと」って思ってしまう。でも、「私にとって」が極まっていればいい。たとえば、お金を大して持っていなくても、「お金の使い方なら誰よりもスマートだよ」って思えるお金との関係を作れていれば、それはそれで悪くないと思う。それも「どうあるか」の方が大事ですよね。
相対的に生きるから不幸になる。やりたいことがなくても「幸せですけど?」と言えるように──グランドレベル代表 田中元子さん【前編】 – クラシコムジャーナル
20%引きになっていたチルドの海老焼売と、最近気に入っているサッポロビールの発泡酒「サッポロ GOLD STAR」をかごに入れる。海老焼売をレンジであたため、お醤油を垂らす。からしを買いそびれた。思案して、海老には合うだろうとわさびをつけて食べる。とてもおいしい。酒が進む。
ただ、飲んでいると、どうにも気持ちがままならなくなってきた。飲み物を芋焼酎の茜霧島にチェンジするも、なんだかしっくりこない。ベランダに椅子を出し、そのまま飲み始めた。風が頬にあたって、朝の空気も吸えて、ちょっといい感じだ。飲み物をハイボールにチェンジする。
そのままTVerを観たりしながら、ぼんやりと過ごす。ドラマ『ゆるきゃん△』を観て、気持ちだけちょっとキャンプ気分を味わう。酔いも回って、すこしだけ眠くなってきた。ベッドへ移って目を閉じる。
福原遥さんのデコルテにウイスキー入れて飲みたいと思うほどきれい
目覚めたら、iPhoneにこんなメモが残っていて、驚くと同時にちょっと引いた。でもたしかにきれいだった。『ゆるきゃん△』の温泉シーンで思ったんだろうな。素直でよろしい。
2020年3月8日・9日(日・月)淡々と
予定らしい予定がなくて、事務所で仕事をしていた。とにかく一つひとつ終わらせていくしかない。近くにきていたMさんが連絡をくれて、コーヒー屋で話をして、割と大きめの仕事をもらえたりする。ありがとうございます。
しかし、終わるのだろうか。
白洲次郎さんの『プリンシプルのない日本』をめくると、文章でも舌鋒鋭く心地良い。
経済人の自己陶酔もさるものだが同じようなことが今の日本の文士にもありはしないか? 僕はそういう人の本を読んでみて感心することが、唯一つだけある。それは自分が非常に自己陶酔をしていて、自分のその自己陶酔をそのまま読者に驚呑みさせるという技術を持っていること、その点だけは偉いものだ。
白洲次郎『プリンシプルのない日本』p,31
日本の文士が殊更そういうことに陥る原因の一つは、日本の言葉だと思う。日本語というものは、僕はわからんけれども、綾があるとか、含みとか言って、ものを表現するのに、ヨーロッパ式にいうと、正確度というものを非常に欠いている。だから、いろんな含みのあるような表現をする。その表現に自分が先に酔っちゃうのだ。例えばジイドがあんなに文壇に流行っているのに、誰がジイド的なシステマティックな──フランス流にいえばラショナルな──考え方をしているか?
自己陶酔を鵜呑させる技術。話すときにも、書くときにも、注意したいことだと思う。ポエム的/エッセイ的なる態度表明が陥りやすい罠だろうし、優れた書き手=読み手を目指すのであれば、心しておかねばならないはずだ。
2020年3月7日(土)新しいMacが届く
具合が悪い。メンタル的なところで。どうにも気力も沸かないし、食べたいものもない。でもお腹は空いているし、みたいな、座りの悪い午後。
ぼんやりと『鬼滅の刃』の続きを観ながら、「鬼となった者の悲しみを描く」ところに『鬼滅の刃』の今っぽさというか、社会との接点を感じたりもするのだった。第一期ぜんぶ観終わる。あとやっぱりキャラみんなが強いわ。声優も全部すばらしい。
夕方に取材のためのガジェットを受け取りに行き、一度自宅へ。冷蔵庫にある材料で豚キムチ丼を作ってたべて、横になると寝てしまう。夜半に目覚めて、午前中に届いた新兵器「Mac mini」を携えて事務所へ行く。
そう!届いたのだ!(無理やりテンションアップ)
政策金融公庫から融資も受け、設備投資もしていこうと、母艦をMacBookPro(2016)から現行型のMac miniへ。MBPは自宅でPCDJをしたり、すこしの作業用として常駐させたりすることにした。これで写真や動画の編集もよりスムーズになるはず。いろいろがんばっていきたいな。
今日もこのありがたい会に、目にしたとある内容を投稿したり、激熱い返信をもらってしまって勉強になりまくる。あまりに学びになるので、きれいな議事録としてnoteにでもまとめようかなという思っている。移行アシスタントが終わるのを待ちながら、日記を書いた。
お供はタブレット純さんのラジオ。おすすめです。
2020年3月6日(金)劇場版SHIROBAKO
夕方にWeb会議をひとつ終わらせて、「あ、サウナ行こう」と思い立って、御徒町[スパリゾートプレジデント]へ向かった。そういえば映画『ミッドサマー』が観たいな、と調べて見ると、TOHOシネマズ上野でも上映している。
時間が合わなかったけれど、ちょうど2時間後に『劇場版SHIROBAKO』が公開されるので、これは渡りに船だとばかりにチケットを買って、そのままサウナへ。高温サウナとスチームサウナを組み合わせて、じっくりのんびりと2時間近く堪能する。
ポカリスウェット イオンウォーターを900ml買って、サウナの合間に飲みながら汗を出し、ゆっくり深呼吸をしていると、体中の細胞が蘇って、ターンオーバーが起きていくような感じがある。人間らしさのある体を取り戻したようなきもち。
で、『劇場版SHIROBAKO』。あぁ、泣いた泣いた。冒頭に主要スタッフのクレジットが入るところから、この映画にとっての主役の明示がなされているようでグッとくる。しかし、最初の20分までの展開が(凋落する武蔵野アニメーションの寂しい姿……)見ているだにつらくて、胃が痛い。
キャラクター、みんなそれぞれが自分の環境でもやもやを抱えていて、だからといって日々は進むし生活はできているのだけど、この「ぬるい沼」にいるようなしんどさは、妙な共感がある。
「私たち、夢に飛び込んで、夢を仕事にして、七福神までどれくらい近づいたのかな?」という宮森の言葉は、好きを仕事にする、夢を仕事にする人が、はまってしまうトラップというか……。
それだけに後半の盛り返しは涙が出るほど熱くて心動かされる。クリエイターという生き物はこうでなくちゃ、というより、だからこそ「クリエイターという生き物にならざるを得ないのだ」といった逆説的な感動がある。
もう一度観たいな、何度でも観たいな、と思わせる作品のひとつになった。つらいときに、見直したいと素直に思った。
サウナとSHIROBAKOでチャージして、夜中から書き仕事。一本上げる。原稿編集も一つ見て帰宅する。『鬼滅の刃』の続きを見ていたら、めずらしくしっかりと眠くなって、朝方に眠る。
2020年3月5日(木)スシローがうまい
午前中に遠隔打ち合わせ。1対1なら特段気にすることもなく、ふつうにできるな。いまのところWeb会議は「複数×双方向性」だけが難しくて、単数同士か、一方向性である限りは、ほぼほぼ効率は良くなる気がする。
効率でない効果を求める(入ってくるときの姿や服装なんかで見える危険信号、なんか元気ないなーという情緒面とか)のであれば会うのがいいのだろうけど。
吉行淳之介が編者をしている本『近くてそして遠い仲』が届いたのでめくると、吉行がタモリと対談していた。面白い箇所がいろいろあって、「個性」について触れているところがよかった。対談は1957年2月1日初出、雑誌『ブルータス』との表記。
吉行 それで⋯⋯ぼくの好きなタイプをいおう。
吉行淳之介・編『近くてそして遠い仲』p.9-10
タモリ ハイ。
吉行 これはいろいろ幅が広くてね。でも、基本的には小柄がいいですね。それと、着痩せ。
タモリ 着痩せ?
吉行 着痩せって、粋な言葉でね。脱ぐと、充実した軀が出てくる。ところが、ガリガリの女もいいのね。
タモリ アッハハハ。何でもいいんじゃないですか。
吉行 いやいや、その前の段階があるんだ。見た感じとか、話した感じで、ひとつの個性として成り立ってる女の場合は、ガリガリでも何でも⋯⋯
タモリ あ、それはわかる。そうそう、そういうこと。
吉行 ところがね、ひとつの個性として成り立つっていうのは、大変な問題なんだよ、女も男もね。それをこっちに置いといて発言するでしょう。
タモリ そう。
吉行 自分は、まだ一人前でもないのに⋯…。
タモリ そうそう。いまの若い奴が、すぐブスだとかなんとかいうの、いたく腹が立つんですよ。ブスといってるてめェは何だ、といいたい。われわれがいうならわかりますよ、それは。
吉行 そうです。それはもう、われわれ、個性がにじみ出てる、個性で勝負してるんだから。
ちょっと間が抜けていて意味が取りにくいところもあるけれど。まず、着痩せした女は意外性もあって良い、というのは男子的にわかるところだ。ただ、ほんとうに痩せている女も吉行(もタモリも)良いと思うが、どういう女かといえば「個性」として成り立っている、というのが条件だと続く。
その人、と認識できるような個性。これは作家でもタレントでも同じで、この人でなければ、と替えがきかないような存在である(と読める)。これは大変な問題(おそらく、個性を獲得するのは並大抵のことではないという難しさを指しているはず)なのだが、今はどうにも個性の獲得さえ志向しないような人が、他人を腐してなんだかんだと言っている。
つまり、そういう人が他人の容姿やら仕事やらに、何かしら発言でもって指摘したりするのは許しがたく、個性で勝負している=個と個でぶつかりあえる相手でなければ、本来的には成り立たないのではないか、という論旨だと読んだ。
言わずとも、昨今のTwitterなり、SNSなりにも通じる話だけど、これが数十年前からそんなに変わっておらず、ただ可視化できるようになった、というだけなんだと、まざまざと思う次第。
ぼんやりぼんやりと仕事をして、夜になってふいに「スシロー行きたい」となったのでスシローへ行く。完全に酒村ゆっけさんの影響。
閉店まで1時間だったので、注文できるのは残り30分。以前に行ったときに「30分前になるとレーンからも寿司がなくなる」という教訓を思い出して、どりゃーってタッチパネルから注文する。でも頼みすぎた。
熱燗、ハイボール、冷酒、ハイボールとぶっ飛ばして、寿司3貫盛りみたいなやつも揚々と頼んでしまって、飲みすぎたし、食べすぎた。お会計4004円でびっくりした。
通されたのがボックス席で、向かいの席に誰かがいたときのことを、ふっと思い出して、酔った勢いでじわっとちょっと泣く。回転寿司、ひとりで行くならカウンターがいいな……ものが乗るスペース狭くなるから、頼みすぎなくなりそうだし……。
戻って仕事をして、てっぺん超えてから帰宅。眠れないなぁ、と思いながら、ふいに2話までしか見てなかった『鬼滅の刃』をAmazonプライムで見始めて、16話まで進む。いい加減にしなくちゃ、と思って、スマホも電気もオフにして、CBDワックスを深く吸い込んでから眠る。
2020年3月4日(水)勢いがすごい
違法アップロードなんで大きな声では言えないのですが、1980年代くらいのテレビ番組の勢いがとてもおもしろくて、つい見てしまう。とんねるずの若き頃とか、しっちゃかめっちゃかでなにをしているか、全然わからないんだけど、その勢いだけで笑えてきてしまう。
この時代は若者のパワーというのか、ちょうど演芸とテレビ芸の間というのか、交わりつつある頃だったのかもしれず、そこに素人芸(の強いやつ)みたいなとんねるずが、どわーっと勢いだけで突っ込んできて、テレビ“なのに”本気でふざけて、ふざけきってるところに「よくできるなぁ」みたいな感想と尊敬と笑いが起きてるのかもしれない。
本気でふざけるって、実はほんとうに難しいことだとおもう。
朝まで仕事して、昼に寝て起きて、髪を切りに行って、YouTube動画の撮影に出演した(!)。先日の政策金融公庫の融資に関して、お世話になった会社さんのチャンネルのユーザーインタビューみたいな感じ。わー!っと話してきたので、そのうち、わーっとした僕が出てます。
帰り道に本屋へ寄って、久しぶりにマンガを大人買いして帰る。快感。ジャケ買いもした。
注文していた上坂すみれさんの写真集『UESAKA JAPAN! 諸国漫遊の巻』が届いたので、晩ごはんを食べてからめくる。尊すぎて震える。あとスタイリストの佐野夏水さんセレクトもあるけれど、どの服もすごく似合っているのがすごいと思った(語彙力)。コスプレともいえるはずなのに、まるで私服みたいな馴染みっぷり。
すてきだなぁ、と思っているうちに、本を閉じたら眠ってしまった。
2020年3月3日(火)ひなまつり
ひなまつりですが、ひなまつりらしいことはなく、愛でるひなもなく、さびしい。
朝方帰って晩酌(これはなんと呼べばいいのか、朝酌と書くと、とたんにものすごいダメな感じになるふしぎ)をして、ちょっと眠って、昼間の仕事に行く。表参道。電車空いてる。
今日聞いた話は自分がどうにかしないとなー、と思っていることにも近くて素直に参考になる。いま、どうにか自分の仕事をチームないし複数人で当たれるようにできないかな、と考えていて、それにはおそらくギルド制ではなくて弟子のようなもっと近しい距離感の人間を信じてガッツリ関わるか、自分にない能力を持つ人と組んでビジネス的に伸ばすか、という両面かなと思っているけど、今は基本的に前者的なことを考えている。
うまくいくかはわからないんだけど、どうにかしないといけないことだけはわかっているので、なんとかやっていきたい気持ちだ。文章の仕事って、ほんとうに育成がむずかしい気がする。
表参道の仕事が終わって、一緒に取り組んでいるKくんと渋谷まで散歩をしながらおしゃべりしていると(こういうおしゃべりに飢えすぎているのでうれしい)、ぼくがTwitterでだけ見かけていて、めちゃくちゃ顔がタイプの人と、たぶんだけど、すれちがう。
「あ!あれは、あの……」と心に思って、Kくん越しに目で追ってしまった。その人を見るのは初めてで、あぁ、これくらいの背丈なんだ。こんな骨格なんだ。こんな頭の形なんだ、みたいに、いろいろと頭がぐるぐるしていった。
触れたことも話したこともないんだけど、ただ一方的に見ていて、これは割とストレートに恋だとおもうので、そういうふうに心が動けていることが喜ばしい。生きるためにちゃんと心を動かしていきたいのだ。その体力とか気力とかが、あまり足りていないというか、すぐ枯渇しちゃうのが困っている。
「伊集院光・深夜の馬鹿力」をタイムフリーで聞いていたらコロナウイルスの無観客試合ネタがキレッキレで良い。「国会議員、マスクしてなくね?」とか、目が醒めるようだった。なぜ気づけなかったんだろう。
「不要不急な外出をしないように要請するって、 基本、オレの人生が不要不急だから!オレに必要で急ぎのことなんてないんだって、嫌ってほど気付かされる」
はは、と笑って、ぼくもそうだよな、でもそういう人だから送れる人生も、面白さも、語れる言葉もあるよな、とおもう。だからこそ言える、ツッコミなのだ、と。
2020年3月2日(月)ニラそばにハマる
練馬のラーメン屋さんの作り方紹介、サッポロ一番しょうゆラーメンで真似してみたら、なんかびっくりするほど美味しいものがつくれてしまって驚いた。
おそらくこのスープに少しでも近づくには、と思って、日本一しょうゆと創味シャンタンを足したのが功を奏していた気がする。いや、それ足したらうめぇだろというツッコミが聞こえる気もしたけど、自宅メシなんだから美味いことが正義である。
とにかくニラを一束ガッツリ食べられるというのが健康にも良さそうでうれしい。もうちょっと改良の余地がある気がするので、またつくる。豚バラ肉も足して栄養価も高めつつというのを狙っていきたい。
やる気的に塩漬けにしてしまっていた原稿を何とかかんとか納品して一息つく。積み重なっていた「〆切」のタスクを一つずつおろしていくたびにホッとする。いまは目の前のこと、今の自分のことを優先したほうがいいと感じている。
と、思っていたら、しいたけ占いで「『積極的休養』のベージュが出ていました」なんて言われて、ちょっとだけ息が止まる。占い、すごいね?
2020年3月1日(日)家系最強
なかなかにしんどい2月が終わって、今日から3月。とはいえ月が変わったくらいでは何も変わらないのだけど、今月から某社で業務委託の案件をいただくことになったので、もしかしたら生活も変わっていくかもしれない。
何のことはない仕事日で、途中で家系ラーメンを食べて免疫力を上げたりするくらいであった。なんとなく頭のなかにずっと「ゼッタイに今日はうまい家系を食わねばならない」という思いが渦巻いており、そしてようやく贔屓の店のベストセッティングに出会えて嬉しかった。
もはや[武将屋]には麺よりもほうれん草を食べるために行っている(もし麺抜きがあったら喜んでそうするだろう)ような気持ちになるが、ポパイモードでもりもり食べて頑張るのだ。そういえば、かんだ食堂亡き後の新しいビルに、メイド系バー?カフェ?が数店入っていて、そろそろもう飽和状態じゃないかと思うのだけど、どうなんだろう。儲かるからなんだろうなぁ。
集中力が皆無でいろんな寄り道をしながら、『映像研には手を出すな!』9話を観て、ほうほうの体で朝方に原稿を出す。
さて、ほうれん草をたくさん摂取しているせいか、なんとなく気持ちそのものは軽いものになってきて、ベッドから抜けられずに数時間を過ごすようなことは、ちょっとずつ減ってきた気もしている。3月はどうなるのかしらと思いながら、とにかく手元の仕事をまずは上げていき、コロナウイルスの動向も見つつ、なんとか春らしい気持ちにつなげていきたい。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。編集者・ライター。「生活技巧」発行者。