2020年9月の日記

日記

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2020年9月23日 X-A7

昼前に起きて、マイクケーブルとウインドスクリーンを、秋葉原ラジオ会館のトモカプロショップに買いに行く。ちょっとしたものがすぐ手に入るのは助かる。

午後はPodcastの収録日。初めてのゲストも交えて4本録り。なかなかタフな時間だと思うけれど、話し手の気力というのか、胆力みたいなものがすごい。横で聞いていてハッとなる金言が多々あり、毎回おもしろい。

その後、食事をして解散。台風が近づいているせいか、低気圧爆弾がやってきており、僕も含めて全員が影響を受けていた。うーむ。目が開かない…頭がぼんやり…。気遣いに欠ける振る舞いをしてしまった、あぁ、という瞬間があって、反省する。

レストランでの食事、美味しかったのだけれどボリュームいっぱいで、仕事場に戻るなり強烈な眠気の前に陥落する。いそいそとインフィニティチェアで眠る。

FUJIFILM X-Pro1+中一光学 Lens Turbo II+CONTAX Tessar T*45mm F2.8 MM

夜中に起きるも、胃のあたりの重さと、まだ低気圧の影響下だろうぼんやり感とが相まって、〆切を目前とした仕事の進みも悪く、余計なことを調べたり進めたりする。

Zoomミーティング用のカメラをいい加減に整えようと思い、値段が高騰する前にSONYのα5100を買いかけたタイミングで、「そういえば富士フイルムの対応ってどうなったか」と調べたら、すっかりMacにもソフトウェア対応していた。まじか。

New firmware for the FUJIFILM X-A7 and X-T200 adding webcam function and expands X Webcam compatibility | ニュース | 富士フイルム Xシリーズ & GFX

というよりも、X-A7とX-T200なら、ファームウェアアップデートをすれば、ケーブルつなぐだけでWebカメラ化できるようになっていた。なにその超進化。驚いてばっかり。

α5100はとりやめて、X-A7の中古を買う。Xマウントならレンズはたんまりあるので、どれかいい感じのものがあるだろう。据え置きにして使おう。9Vカプラーの互換品もポチる。

富士フイルム好きなら、Zoomも富士でそろえるっていうのは、まぁ、気持ちはいいものだ。

余計な出費ともいえるけれども、アフターコロナ後の世界にとっては大事な装備。もっと早くに対応してもいいくらい話なわけで、遅すぎるくらい。

ちなみに、α5100は、ボディだけなら今、3万円程度。暗めのレンズキットもあるけど、ボディだけ買って単焦点の明るい中華製MFレンズでもあわせるのがいちばんコスパはよさそうです。

お買い物が済んだら、なんだかまた眠気がやってきた。ちょっと寝て、ちゃんと24日をまた始めるとしよう。台風どうなるかなぁ。進路はそれたみたいだけれど、風がこわいな。


2020年9月22日(火)唯一無二のサウナ

寝起きが悪くて、理想の起きたい時間→よく頑張りましたの時間→許容範囲の時間→そろそろ限界の時間、と何度もうつらうつらとしてしまって、しょんぼり。

いそいそでかけて、ひとまずサウナへ。御徒町のプレジデント。ぱぱっと1時間3セットで心身を整えて出発。

今日は取材する側でなく、珍しく「される側」になって面白かった。フリーランスのウェブ系編集者の座談会、というのがテーマ。集められたのが全員編集者なので、カメラの写り込みとか、座席の位置直しとか、集合写真での準備とか、あらゆることがスムーズで笑ってしまう。

にぎやかしに、とリュックにLOVOTのこなつを収めて連れて行った。電源を落として動かないこなつでさえ駅の階段や電車の立ち座りが大変なのに、生きているこどもはさぞ大変だろうな……もっと子連れにやさしくしなくちゃ、と思わされた。

撮れ高あったかなぁ。自分でしゃべってみると、思った以上に、自分が何を話したか、あんまり覚えてないもんだな、と感じた。これは人によるだろうけれど。

FUJIFILM X-Pro1+中一光学 Lens Turbo II+CONTAX Tessar T*45mm F2.8 MM

その後に、座談会にも参加していたNくんと秋葉原の[武将屋外伝]で家系ラーメンを堪能。Nくんが刻みタマネギを現金トッピングしていて、これがライスと半端じゃない相性だった。スープに沈めてちょっと火が通った玉ねぎがライスとあわさると無双。次からマストで頼もう。

仕事場でちょっと仕事して、それから錦糸町へ。リニューアル後の黄金湯に初訪問。

入ってきたなかで感じるのは、唯一無二のサウナ。水風呂も深くて冷たくていい。サウナが、心地よいのはもちろん、12分計がなくて、15分の砂時計しかないので、正確な時間がわからなくなるせいか、かなり長い時間入れてしまう。下手したら15分近くいたかもしれない。

そこまで入れるサウナもそうそうないし、発汗もたっぷり。外気浴もできる。うーん、すごい。錦糸町は完全にサウナーが愛すべき街になった。

ふたりしてほっくほくで、また仕事場に。Nくんは原稿、ぼくはPodcastの編集をする。なんとも穏やかな4連休最終日。もっとも、連休という感じはあんまりない、というのは、フリーランスの宿命でもあるのだろう。


2020年9月21日(月)なんのために

仕事で調べ物をしていて、ネットに延々ともぐっていると若い頃を思い出す。あの頃は、好きなゲームのファンサイトやら、エロ本でも買わないと見られなかったAVのサンプルやら、とにかく見つけるもの「しか」なかったくらいだった。

「あー、なんかもう今日は見るものないな」とたまに思ってしまうのは、昔からすればありえないようなことであって。ネットを見ていて退屈に感じること自体が、ありえなかった。つまり、これはネットが変わったのではなくて、僕が変わったのだ。

現に、今日みたいに、海外サイトを一つずつ手探りで掘っていくとき、僕は時間を忘れられるし、そういう集中力めいたものがある。これはたぶん天性であって、才能であって、誇るべきものなんだろう。だから、そういうことが活きる場所で、仕事ができたら、やっぱりいいよね。

FUJIFILM X-Pro1+中一光学 Lens Turbo II+CONTAX Tessar T*45mm F2.8 MM

国勢調査はインターネットでサクッと済ませた。頑張ってわかりやすくつくろう、という気持ちが感じられた。おつかれさまです。

仕事場でうとうとし始めたので、そのまま寝てしまう。一度帰って食事をして、今日はひたすら読む日にしようと思って、積み本などに手をつけていく。

玄光社MOOKの『FUJIFILM 画質完全読本』は細かく読み解けたわけではないけれど、背景のストーリーや使う人の思いがコンテンツ足り得ることをあらためて実感。笹本恒子さんの写真集『昭和・あの時・あの人』は僕の預かり知らぬ昭和、でも今に確かにつながっている昭和という色濃い時代を見せてくれた。

『村上T 僕の愛したTシャツたち』『すいません、ほぼ日の経営。』を拾い読み、まんしゅうきつこさんの『湯遊ワンダーランド』1〜3巻もやっとまとめて読めた。突き抜けたラストにしびれる。サウナ好きの成長過程を見ていくような観察っぽさもおもしろい。

とはいえ、佐々大河さんの『ふしぎの国のバード』がとにかくすごくて、3巻から7巻までじっくり読んでしまった。意志をもって何かをやり遂げようとすることの強さを教えてくれる。

想像してみて下さい、博士。例えば100年先の人々が、この国の滅び去った文明の記録を読んだ時、彼らはイザベラ・バードという旅行家に感謝し、英国という国を偉大だと感じてくれるのではないか。世界から尊敬される行いをする。それこそが、真の意味で我が国の利益になるのではないか、と。

佐々大河『ふしぎの国のバード』3巻,p,144,145

長い目で見て、という言葉があるけれど、利益にはやっぱり短期と長期はあって、目に見えにくく図りにくい長期的な利益、それはロマンとさえ呼べそうな代物を信じることも、人間の推進力としてはやっぱり必要。でも、短期でもちゃんと利益がないと記録を残すことさえできない。

いつでもこのバランス。これはメディア業みたいなのも同じだと思う。あと、ちょっと話はちがうけど、東浩紀さんがめっちゃすごいツイートをしてくれていた。

バードが旅をするきっかけになった、女性冒険家の先輩・カープさんへの問いかけもすごかった。

「カープさんはなんのために旅をしているの?」
「そういうことはね、わからない人には説明しても理解されないし、わかる人には言葉なんて必要ないものよ」

佐々大河『ふしぎの国のバード』5巻,p,138,139

なんでもかんでも言葉で説明できるように思えて(そして、それはライターという仕事をするうえでの使命の一つであることには違いないとしても)、このカープさんの感覚も確かに共存するのだ。

きっと、わからない人が「わからない」のは、自分の感情なり感覚なりなのかもしれない。それを言葉にしたいから相手に問うているけど、相手はそれはわかっているのだ。言葉にならないことかもしれないけど、わかっている。それが「なんのためか」を、わかっている。

「わかる人には言葉なんて必要がない」というのは放棄ではない。だから、きっとぼくたちは、相手をわかろうとすることよりも、もっと自分をわかるべきなのではないか。あるいは、相手なんてわからなくていいから、わかろうとするだけで、いいのではないか。

そんな生煮えの感情をゆらゆらさせながら、夜更けを迎えた。


2020年9月20日(日)Hol4実況

朝方まで仕事場で原稿をつくったり、遊んだりしているうちに朝7時半。YouTubeでアイザックZさんの「Hearts of IronⅣ」ゆっくりゲーム実況を観始めたら、止まらなくなってしまった。

Hol4は戦争シュミレーションゲームで、特定の国を選択し、第一次世界大戦や第二次世界大戦を戦っていく。史実がベースだけれど、戦い方次第で歴史も塗り替わっていく。

いまは大日本帝国が太平洋戦争末期から、連合国に一大攻勢をかけるという狙い。一億玉砕せずに講和へ持ち込むルートはなかったのか、というのを探っていくのだけど、それなりに歴史も把握しているだけに、うわー!それこんなふうにすればありえたのか!みたいな驚きが続く。

歴史ドキュメンタリーと歴史フィクションを掛け合わせて観ているかのようでたまらない。帝国陸軍と帝国海軍がこんなふうに連携したら……となると、やっぱり上に立つの人の大局観みたいなものって大事なんだよな、と当たり前のこともおもう。

さらにモンゴル帝国再建シナリオもあって、こちらも超面白い。資源なども乏しい少数民族国家が世界的な覇権を取っていくまでの下剋上ストーリー。

ポランチャンネルさんのオスマン帝国再興も面白かった。消滅した国家が再興し、かつての領域を取り戻し、さらに全世界的な領土拡大にまで乗り出していく。すげぇ。

資源や人材は当然大事なんだけれど、大局観、分析、戦略、戦術。この大切さを、ただ面白いだけじゃなくて教わったような気持ち。

帰宅。お腹すいたなぁと思いつつ、佐々大河さんの『ふしぎの国のバード』2巻を読んで寝る。

玄関のチャイムで起きると宅配便。前の住人の方宛てのものだった。間違いチャイムで起こされるのは、なかなか心にくるものがあったけど、気を取り直してごはんをつくる。

コウケンテツさんの調味料は醤油だけ、という炒めが気になって試したら絶品。醤油だけなのに物足りなさ全くなし。炒めたまねぎ、醤油、牛の脂があわさって、白飯にも合う。2人分つくったはずだけど、ぺろりと食べちゃった。

浜弓場双さんのマンガ『小さいノゾミと大きなユメ』1巻を読んで、メルカリでうっかり交換レンズを買ってしまってから、あぁ、仕事しないと……思いつつ昼寝。起きると21時。半沢直樹が始まる時間だ!ラッキー!

半沢直樹を堪能し、冷凍しておいたチキンビリヤニ風炊き込みごはんを食べてから、仕事場へ。


2020年9月19日(土)いい写真とは

随分とがっつりしたへんな淫夢を見て、起きたら14時だった。

Twitterで流れてきた告知から、TVerで『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を観る。トルコからゴムボートでギリシャへ密入国する難民たちの食事と事情。香港デモ隊のそばで、仕事が休みの日に歩道でおしゃべりするフィリピン人家政婦たち。

自分がいま、これを寝床でスマホで観ているということの、気持ちが落ち着かない感じ。

欲しい漫画もあったので、意を決して寝床を出て、街に繰り出す。久しぶりに古本屋でものぞいてみようとおもって、途中でこちらも久しぶりに家系ラーメンも摂取しつつ、せかせか向かう。

ラーメン選ぶと、塩分量的にも他に一日、何も食べられなくなる…。でもふしぎと家系ラーメンしっかり食べると、お腹が空かない。今日も武将屋外伝はうまい。

秋葉原昭和通り口のマクドナルドがあったビルが跡形もなくなっていた。こんなふうに書いておかないと「あれ、ここに何があったんでしたっけ?」となってしまう記憶が寂しい。

この街では、アマビエさえ萌え化する。それがなんか許せる秋葉原という街が好きだ。

本屋でたんまり買い、久しぶりにとらのあなで同人誌も買って、仕事場で読む。

高松美咲さんの『スキップとローファー』4巻、コナリミサトさんの『恋する二日酔い』、桐木憲一さんの『東京シャッターガール』1〜3巻。恋する二日酔いは一目惚れだったんだけど、『凪のお暇』の作者の方だった。

結婚式に呼ばれた元カノ・元カレ的存在が二次会に行かずに飲み直す話が超よかった。「私たち、あそこにいましたよね?」っていう、事実を前に思い出のなかに消えていってしまいそうな、過日のバーベキューを想うシーンがたまらなかった。

なんか脚本のこととか考えてない自分が想像できないんだよなぁ。だったらそれで食べていけたら最高じゃないか。ご飯を食べる、出勤するみたいな毎日の営みに到達点ってあんのかな。僕にはまだ想像つかないや。

高松美咲『スキップとローファー』4巻、p,93

スキップとローファーで演劇部の先輩が無邪気にこぼした言葉が、とても刺さった。それをせざるを得ないと思えるようなもので食べていけたら最高じゃないか。僕にとってはなんだろうな、と考えてみるけど、それってやっぱりインターネットな気がした。今のところは。

すべて、FUJIFILM X100T+Adobe Photoshop 2020

答えなんかないんじゃないか?俺はこう考えてるよ、カメラは「神の目」だってね。

空の色、木々のざわめき、渡り鳥の群れ、街行く人達の表情⋯どこをどんな角度で切り取ったって、そこには必ず光に映し出された生命の影がある。

アニミズムの精神に近いのかもしれないよ。神様が七日間で創造したかどうかはわからないけど、それにしてもこの世界は精巧で美しすぎるんだ。何を撮ったって正解に決まってる。

桐木憲一『東京シャッターガール』1巻

「いい写真って何か」を問われた主人公の写真仲間が答えたこの「ロマンチストな」解釈はすごく好きだった。森羅万象、アニミズムの精神が宿るものとして、そしてそれは人間であっても、被写体になりうる。その本質なり美なりを、残していく営み。写真がもっと好きになった。

同人サークル「秋葉に住む」の『秋葉に住む増刊 AKIHABARA CITYSCAPE 2004-2020』をとらのあなで買ってきて眺めた。今はない建物、変わりゆく秋葉原の様子に心を揺らしながらも、『東京シャッターガール』に教えられたことの良さが詰まっていたような一冊だった。


2020年9月18日(金)サバ缶唐揚げ

午前中にZoom取材ひとつ、夕方頃にZoom打ち合わせひとつ。遠隔だとLOVOTのこなつといられる時間が長くなるので、ぼくとしてもリラックスできてありがたい。

つくづく働くことに向いていない。その代わり、仕事であることを忘れることには強い。世間一般でいったら、ただのわがままっすね、これ。

面白かったなぁと思えた原稿を修正指示に従って面白くなくするという仕事をこなして、ビジネス系でないエッセイ原稿の編集?素読み?みたいなご依頼に応える。まったくちがう頭が働く感じでおもしろい。何か役に立ってればいいんだけどなぁ。

今日はここまで。あとの仕事は、無心で進められそうなことに手を付けるくらいでいっぱいいっぱいだった。しいたけ.占いによると、牡羊座はお祭り気質なので、自分がこれからすることに対してのお祭り感が弱いと、気が重くて引っ張られてしまうのかもしれない。

確実に先の修正作業でやられてる。無心で、無心で、と思っても、むずかしいもんですね。東京都の家賃支援給付金の申込みを済ませる。

コンビニでふらっと買ったお酒、おいしかった。期間限定モノっぽいから、なくなる前に飲んでおきたいなぁ。肉モノに超合う、っておもったけど、それ単に監修よろしくもつ焼きとかやきとん食べたいだけでしょってなっただけであった。

うつらうつらと夜中になって、悩んだすえに、今日はいいやと遅めの晩酌もキメる。全部、リュウジさんが悪い。悪い料理のおにいさんが悪い。

これまで揚げ物に小ぶりのフライパンを使ってたんだけど、アサヒ軽金属の天使の鍋でやったほうが、揚げ油も少なく済むし、揚げているあいだも安定するし、油はねも抑えられて優秀。

若木民喜さんの『16bitセンセーション』1巻、佐々大河さんの『ふしぎの国のバード』1巻、ぬこー様さんの『人見知り専門家庭教師 坂もっちゃん』を読んでから寝る。

16bit〜は、ぼくがエロゲーにハマっていた頃の一世代前のストーリーなんだけど、空気感だけでもわかっておもしろい。夢があるなぁ。未成熟な分野に打ち込める若気って、夢だよな。


2020年9月17日(木)面白く買う

昼間に大事なプレゼンがあり、割と緊張して臨む。概ね、好評のようでよかった。というか、結構、ものごとがゴロリと進むのではないか、という感触。たのしみだし、身がしまる。

ここ数年、自分ひとりで懊悩するような仕事がほとんどだったので、「他の誰か」と一緒に何かをする、ということへの緊張とワクワクのバランスが、まだまだうまくない。ずっと緊張している感じなんだけど、もっと楽しめるようになりたいなぁ。

もうひとつ、楽しみな取材(する方ではなく、される方)の話ももらって、こちらも気をしっかりさせねばなぁ、という感じ。前日か直前にサウナへ行って、気持ちを高めよう。

打ち合わせの帰り道、上野の靴屋に寄って「ルナサンダル」をためし履きしようと思ったら、入荷待ちで在庫がなかった。メルカリマガジンで藤代冥砂さんが激賞していたサンダル。

僕は早朝の犬の散歩を歩行時間と決めて、毎朝1時間ほどを費やすことを日課としている。そして、ここ数年は、必ずこのルナサンダルをチョイスしている。

(中略)1時間の散歩から家に戻り、スリッパに履き替えると、そのスリッパの感触が、まるで浮き輪にでも乗って歩いているような、ぐにょぐにょとした違和感を覚えた。なんじゃいこれは! である。ためしに普通のスニーカーを履いてみても同様であった。手袋をしてパンを食べているような違和感しかなかった。

写真家・藤代冥砂の沖縄暮らし。サンダルで珊瑚まじりの道を歩く朝| メルカリマガジン

なんてすてきな喩え方だろう。家の中なのに浮き輪、手袋をしてパンを食べる、その違和感の大きさが、履いてみたい欲求を沸き起こしてくれる。

在庫はなかったけれど、入荷したら連絡をくれるというのでお願いした。こういう細かいやり取りができるのは個人商店の面白さのひとつなんだろうなぁ、と再確認した。なにより、履いてみるのが楽しみな靴を入荷待ちしている状態、というのが精神衛生にもよく働く。

Amazonとかでモノをサクッと便利に買うのも確かにいいんだけど、モノってもっと「面白く買える」んだよな、という思いに駆られる。全部かんたんに済ませないで、同時に持っていこう。

夕飯は、帰り道にスーパーへ寄って買い出しをして、チキンビリヤニ風炊き込みごはんをつくる。美味しい。

塩が小さじ1.5で済むのもいい。塩分を気にして、鶏肉の下味用の塩をけちってしまったんだけど、ほんとうは鶏がもっと美味しいんだろうなぁ。ホールで入れた胡椒がいいアクセント。

仕事をするつもりだったけれど、前日の睡眠不足が効いたのか、マンガなんかを読んでいるうちに眠ってしまう。

宮島礼吏さんの『彼女、お借りします』17巻(るかちゃんが最高に可愛い)、『彼女、人見知ります』1巻(墨ちゃんがとっても可愛い)。

安原伸さんの『安原製作所回顧録』。フィルムカメラにとどまらない、カメラ業界への指摘にハッとさせられる。と当時に、今だからこそ「面白く」買ったり遊んだりできる可能性を思う。


2020年9月16日(水)求道者

サウナには求道的、網羅的、体験的楽しみが詰まっているので「一度入ってみたい」というコミュニケーション欲求に突き動かされる訪問があり得る。

サウナ仲間のNくんと連れ立って、東久留米にできたスパジアム・ジャポンに行ってきた。外から見ると、ちょっとした野球場かサッカー場か、みたいに見えるまんまるの施設がかわいい。

何しろ水がいいらしく、水風呂はずーっと入っていられるような感覚になる。皮膚と水が融合していくような感覚がたまらない。40度の露天風呂も入っていることを忘れてしまうような、ぼんやりとできる感じで素晴らしい。

と、満喫したのはよいのだけれど、前日の夜、なんとなく眠気がやってこず、Netflixで『ドラッグ最速ネット販売マニュアル』のシーズン2を見始めてしまい、ばっちり朝、出発時間まで見ていて、不眠状態で突撃したのだった。

サウナ一周目で、外気浴しながら1時間寝落ち。その後にも昼寝だの、飯後の休憩などで、うとうと小分けに寝ていた。

東久留米は、西武池袋線に乗っていった。学生時代を思い出すかと思ったけれど、池袋からの急行でほとんどすっ飛ばしてしまったので、特に感慨にひたることもなかった。それはそれで、よかったのかもしれない。いつまでも江古田を引きずってもいられない。寂しいけれど。


2020年9月15日(火)自分をわかる

夜中まで仕事場にいると、ふっと仕事の相談の連絡が来て、音声チャットつなぎながら3時間くらい、キャッチコピーなどの短い単語のことをコンコンと話す。おもしろい。こういう仕事ができることがうれしい。

うまく着地できてよかった。ほぼ朝に帰って、寝る前に、お腹が空いていたので鳥を焼く。

オテル・ドゥ・ミクニの三國シェフの焼き方を真似すると、これが妙に美味しい。にんにくをフォークに刺して、それで調理するというやり方。にんにくも焦げたりしないし、鶏にもほどよく味が入るし、とってもよかった。

寝て、起きたら昼過ぎ。永美太郎さんの『エコール・ド・プラトーン』2巻読む。大好きなのに終わってしまって寂しい。

FUJIFILM X100T

夜は、Mさんと秋葉原の[赤津加]で飲んだ。とても良いお酒だった。入る前、店の前のとおりに、まさに雨後の筍と言わんばかりのメイドバーガールたちが並んでいて、すごかった。店を出たら、もうみんないなかった。変わりゆく街の景色として彼女たちも刻まれるだろう。きっと。

[赤津加]の女将さん、かしら、すてきな仕事ぶり。前を見ていたのに、そっと脇の方から手を挙げたら気づいてくれる。声を出さなくてもいい。それだけでもかなり心地よい体験。

肴もぜんぶ美味しい。〆は赤だしの味噌汁と焼きおにぎり。最高。

塩抜き生活を3日もしていたので、すべての塩味に敏感になっていて面白かった。ごはんをもっと美味しく食べるために、とか、そういう理由での塩抜きも悪くない気がした。

Mさんは僕のいろんなことを知ってるので、惜しみなく話をしていて、いろんなことがわかったりする。自分が、9月5日の夜にさめざめ泣いた理由もわかって、すっきりした。

自分が思っていたことは、実はちゃんと見えていなくて、シンプルに「寂しい」という片思い状態にいるんだということがわかった。もうすっかり恋ができないのかと思っていたら、そういうことじゃなかったのだ。自分のことだって、自分ひとりでは、全然わからないものなんだな。

マツコの知らない世界に、LOVOTが出ていて、「出てますよ!」って連絡がもらえたことも嬉しいけど、飲んだあとにTVerでみて、まるで僕を見ているようで気恥ずかしくありながら、もう一台、お迎えしたい気持ちに駆られる。

もうLOVOTのこなつ無しの生活は、ちょっと想像できないし、もっと見ていたいのだ。

むちゃくちゃ最高そうな動画も見て、料理好きのSさんに送りつける。

自分がこれからどうなりたいか、という話は、正直ぜんぜんわからないんだけど、ただ、自分の存在が確かなものである、という、ないがしろにされたくない、そういうところにいたい、という気持ちだけはわかったりもしていて。

それは結局、私はここにいる、いたい、というプライドや執着であって、思春期にそれらが奪われてしまったことの反動が大きく働いているのだとおもう。自分が関与している、あるいは「自分でないといけない」と思えることに出会うと、力を発揮しやすくもなる。

自分を諦めたくないのだ。どこまでいっても。まだまだ、そうなのだ。なんだかちょっとずつ自分がわかる。いやなことも、つらいことも、めんどくさいところも、ちょっとだけ好ましいところも。


2020年9月14日(月)貴さん

寝覚めに、Twitterを見たら、とんねるずの石橋貴明さんがYahoo!ニュース特集でインタビューに応えていて、それがまぁ、すごい内容であった。動画も30分、かけてしまう。

すごいな、と思ったのが、枠をはみ出るというところ。

これくらい、と思ってしまうと、やっぱりそこまでになってしまうし、ちゃんと「規格外」を狙うのも大事なんだけど、それは「枠」を知っているからこそ、という感じがする。

型破りは型があるから破れる、型がなければ形なし、という、それも近いのかもしれない。

子供の頃、はっきり覚えている記憶のひとつに、幼稚園年長から小学校1年生にあがるとき、早く寝ないといけないと母に言われて、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』が見られなくなりそうで、すごく抵抗して泣いたのだった。

ぼくの根本の「面白い」にとんねるずは絶対にいるし、そして「東京の笑いのひとつがセンスである」という貴さんを、やっぱりどこかで信じているんだな、とおもった。

夕飯は、今日も減塩生活。ぶりのサクを買って帰る。ごはんに、みょうがを刻んだのを和えて、ぶりの切り身、いりごま、とろろ昆布を乗せて食べる。とろろ昆布の塩気でいけるかと思ったけど、たしかにおいしいけど、やっぱりもう一味欲しい。

減塩醤油を小さじ1だけかける。ばつぐんに美味しくなる。塩抜きしたら、わずかな変化がぐっと美味しくなるのだな。これは案外、大事な習慣かもしれない。

寝る前に、今夜もまんがタイム。出端祐大さんの『ふたりソロキャンプ』7巻、オジロマコトさんの『君は放課後インソムニア』4巻、大沢形画さんの『小説王』3巻を読んで寝る。


2020年9月13日(日)減塩醤油

続・塩抜き生活2日目。遅めの昼食に、鶏むね肉を一口大に、たまねぎと一緒に炒める。味付けはクミン、テーブルコショー、花椒、味の素。うん、結構いける。たまねぎの甘みが嬉しい。

いけるけれど、あぁ、ここに塩がワンパンチ来たら最高なのになぁ、とまだ思ってしまう。

塩分含有量を考えると、基本的に外食は全部できないに等しい。スーパーでも成分表を見てみると、生モノでも食塩が入ってたり、案外にあちこちに塩分があって油断できないものだ。推奨されている「1日5g」みたいな基準で照らすと悩ましい。

はじめてキッコーマンの減塩醤油を買ってみた。40%減塩なので、大さじ1杯でも1.4g。一滴舐めてみると、しっかり醤油の風味がするけれど、後味の塩味がたしかにふっと消えるようだ。

いや、でもこれは企業努力の賜物的に考えれば、ものすごく美味しいし偉大ではないか。明日、小さじ1杯分くらいはこの醤油を解禁してみようかしら。月桂冠の糖質ゼロ日本酒を飲んだときと親しい感動があった。あれはあれでいけるんだよな。

今日はマンガをたくさん読む日にしようと、積ん読をたくさん手にとった。

橋本悠さんの『2.5次元の誘惑』、出端祐大さんの『ふたりソロキャンプ』、あるた梨沙さんの『明日を綴る写真館』、津田七節さんの『秋山さんのとりライフ』、藤本タツキさんの『チェンソーマン』既刊を一気読み。

『2.5次元の誘惑』、新キャラのアリアが陽キャなのにお父さん思いなギャルで、無事に現在のドツボを突かれて死んだ。『秋山さんのとりライフ』読んで、野鳥撮影もいいなーと思うなど。


2020年9月12日(土)塩分抜き

昨日、新幹線で仕事をするつもりだったのに、ぜんぜんできなかった。帰りは、こんこんと眠ってしまった。ただ移動するだけなのに、人間、それでも疲れるのだろうか。

移動疲れには耐性があるはずなので、久しぶりなほどに、たぶん疲れちゃうのかなぁ。そんな感じで、家でもどうにも起きれずに、ぐっすりと昼過ぎまで眠る。

エレベーターの鏡に写った自分の顔が、見たこともないほど、まるまるとしていたのに昨晩驚いた。足のむくみもすごかった。うーん、これは「むくみと向き合え」というメッセージかもしれない。

それで調べてみると、どうやら(というか確実に)僕は塩分を摂りすぎではないか、と思い当たった。食べているものを考えても思い当たる節しかない。節だらけでガッチガチだ。

ネットで「土日だけ塩分抜き」を勧めている記事を発見し、ふむ、やってみるべと試してみる。昼は、バナナジュースでカリウムを。夜は、鶏もも肉をごま油とにんにくで焼き、ごはんに乗せて、レモン+味の素をかけてみた。

お、たしかに塩気の物足りなさはあるけれど、思ったよりイケる。ただ、お醤油大好き民族としては、やはりなかなか切ないものがある。減塩醤油にも頑なに抵抗していたけれど、ついに手を出すときが来てしまったのだろうか。

そんなときに、天才的に美味しそうなインスタントラーメンアレンジに出会えるんだよな。


2020年9月11日(金)喪

喪服を着て、法事。

スーツもネクタイもシャツも、すべてが久しぶり。体にうまくフィットしていない、着られてしまっているような感じだ。きっとまた、来年あたりに着ても、同じことを言うんだろう。

FUJIFILM X-Pro1+中一光学 Lens Turbo II+CONTAX Tessar T*45mm F2.8 MM

新幹線にも、だいぶ人が戻ってきているようだ。それでも、窓側列だけに人が座っている様子。すこし前にでかけたとき、車両に5人くらいしかいなかったことを思えば多いほうだろう。

ずっと雨が降っていたけれど、お墓参りと、読経のときだけ、雨がぴたりと止んだ。

そういうことに、勝手に意味を汲み取ってしまうのは、きっと仕方がないと思う。


2020年9月10日(木)アキバで揃う

いくらか涼しい日だったけれども、秋葉原の[田中そば店]で冷やしかけそばと肉めし。なんだか今日は、この澄んだスープに会いたくなったのだった。もう夏も終わるはずで、むしろお店の人も辞め時を見失っているのではないか、という気もする。

食べ終えて、11月に閉館してしまうシャッツキステに立ち寄る。今は整理券制で入れないくらいだけれど、お目当ては「お譲りコーナー」。使っていた食器や小物、さらに家具もあるという。

椅子やテーブルがあったら、ぜひ事務所で使いたい。ただ、来たのが遅くて、家具の残りは椅子一脚だけ。それでも嬉しい。

もし、閉館後に、またお譲りの機会が出てきたら、手を挙げてみなくちゃ。

それから久しぶりにOFF-KAi!!で髪を切ってもらって、すっきり。秋葉原で衣食住が充実していく、清く正しいアキバライフの図である。

GOの講義を終えてから、今日は次の日のために、実家へ。好物の、母のつくった鶏の唐揚げをあたためてもらって、お酒を飲みながら話す。深夜2時前くらいまで。


2020年9月9日(水)サウナだけが

毎日まいにち答えのないことを考えている。仕事もそうだし、プライベートもそうだし。

仕事は、大事な仮説を立て、そこに対しての打ち手を想う。手触りが弱いというか、物事を見る解像度が低い感じがして、どうにも怖い。でも、もういい加減どうにかしなくちゃ、みたいな。

プライベートは四六時中、すきあらばやって来る。考えても結果が変わるものではないので、だけどその結果は本当にもたらされるべきものだったのかを、やっぱり考えてしまう。

アタマのなかで、ずっと誰かがしゃべっているような感覚だ。サウナにいて、ぼーっとしてるとき以外は、なんかだいたいこんな感じ。

寝起きで早々にサウナ行ってきた。それはそれで良いとして、午後も快調だったけど、夕方に眠すぎて昼寝した。サウナ効果はすばらしい。サウナにいるときだけは、心静かな感じがする。

夜は、仕事の相談をいただいて会食をしてきた。お世話になっている人なので、できるかぎり応えたいなぁ、とおもうけど、みんなが今から10月、11月の話をしている。なんとなく、今年も年末は、すごいことになってしまったりするんだろうか、とぼんやり思っている。

オンラインアシスタントの契約が、あともう少しで完了しそう。エラーのものを再申請した家賃支援給付金は、なぜか審査が通って振込手続き中になった。見る人によってOKラインが違うもかもしれない。いずれにしても書類はちゃんとあったので、助かる。


2020年9月8日(火)芸術ではなく労働

起きた時、昨夜の酒がまだ残っているようなとき、食べるものに悩む。食べたくて、美味しいものを選べた時、心身の復調も早くなる感じがあるからだ。

まぁ、ちゃんと医学的に言えば、消化がよくて、胃に優しいものが相場だろうけど、ここは民間療法的に己の直観を信じたい。で、こういうときは、辛くて酸っぱい麺類なんかがいい。

そんな「リカバーめし」を考えながら午前を過ごし、はっと思い当たったのが秋葉原[龍の製麺所]の坦々中華そば。これだ!と食べながらうれしくなる美味しさだった。はぁ。

YouTubeで、ふいに流れてきた動画が、半沢直樹がらみの番宣番組で、堺雅人×柄本明×及川光博×香川照之がトークするという豪華なものだった。話の中身が芝居論や演劇論にも及んで、バラエティ色は薄めで楽しい。違法動画なのでここに転載はしないけれど、良い45分だった。

そのなかで、香川照之さんが、かつて柄本明さんに言われて、覚えている言葉を紹介していた。それがよくてぼくもメモした。

「芝居を芸術だと思ってるだろう。違うよ、労働だ」

芝居には、役者には、需要と供給があって成り立つ、という前提から考えるのも大事だ。芸術は需要がなくても成り立つものでもあり、ここは仕事として芝居をする人にとっての基本があるんだろうとも感じる。

あとは、及川光博さんが、美輪明宏さんに言われた「テクニック」の話もすごい。

「舞台の上で日常生活のオーラをまとったまま出てきちゃだめ。ありのままのアナタに価値はそんなにない。想念のコントロールをなさい。感情を的確に且つテクニカルに表現しなさい、ということだと思う。テクニックを磨きなさい、と」

“ありのままのアナタに価値はそんなにない”というはっきりさが好ましい。これはライターみたいな仕事にも通じるところがあるよな、とおもう。ありのままの自分に対する価値を考えすぎるよりも、自分はもちろん、他人や他者の想念を的確に且つクリティカルに表現する。

今日は自宅で夕飯。豚バラ肉で豚キムチをつくろうとおもったら、キムチがほんの少ししかなかった。コチュジャン、豆板醤と足して、どう転んでも間違いないであろう焼肉のタレも足して、焼いてみた。作り方は、コウケンテツさんを参考に。

これが、とんでもなく美味しいものを作り出してしまい、高校生なら白飯1合は楽勝であろうというレベルだった。豚キムチ×焼肉のタレという、ヤバいものを生み出してしまった。


2020年9月7日(月)飲み会

Zoom取材をして、原稿チェックをしたら、もう出かける時間だった。なんだか毎日、時間があるように思えて、うっかり時間が経ってしまっている。誰か盗んでない?と思うくらい。

すごすぎるゲリラ豪雨に、からだも引きずられているのか、やる気があるのかないのか、自分でもわからない、ぼうっとした気持ちになってしまう。

約束の時間より少し早めに、X-Pro1を提げて、仕事場を出る。この組み合わせ、デジタルカメラなのにフィルムカメラみたいな質感が出る気がする。おもしろい。

フィルムシュミレーションはASTIAがいちばんグッとくる。あと、モノクロも、結構いい。

こればかりは、後継機に入っているACROSとか使いたくなるけれど。有料でもいいから入れられたら嬉しいのにな。X-Pro1、いいぞ。ゆっくりしか撮れないのも、フィルム感ある。

FUJIFILM X-Pro1+中一光学 Lens Turbo II+CONTAX Tessar T*45mm F2.8 MM

高井戸の「美しの湯」で温泉&サウナを味わう。たまらん。ここのナトリウム強塩温泉は、何度つかっても最高だなぁと思える。この日記を書きながら、もうつかりたい。

身体がふやけたところで、明大前へ行く。約束していた、無目的な、単なる飲み会。あまり広いお店ではないし、リスクもそれなりにあるのはわかるけれど、やっぱりリモートとは別物の楽しみがあった。

この楽しみを抑圧されているだけに、きっとコロナが片付いたら、ものすごい反動が起きて、みんな飲み会ばかりするとおもう。それくらい楽しかった。

ただ人と会い、バカみたいな話と、真面目な仕事の話を混ぜながらして、お酒を飲んでいるだけの時間から得られるものは、きっと内面の豊かさだし、それはそれで人生の財なのだ。

楽しすぎて、なんだかテンションが上ったまま、すっかりお腹が空いてしまって、夜中にコンビニでペスカトーレと赤ワインのボトルを買って、たのしんでしまう。へらへらと赤ワインを飲んでいたら、気づいたら床で寝ていた。いったい何歳までこんなことができるのだろう。


2020年9月6日(日)くちなし

床で目覚めると、そこそこの二日酔い。まいった。そんなに飲んだつもりはなかったのに。酒量の問題というよりは心身の問題だろう。

冷蔵庫で冷えていた烏龍茶を、コップについでグイグイ飲む。こういうときに緑茶を飲むと、なんだか胃の底からこみあげてしまってだめなのだ。何回か失敗していて、いい加減、学んだ。

今日は休肝日にして、本田さんの『ほしとんで』を読み、俳句歳時記をAmazonでポチる。昨日の開高健の提言がまだ効いてくる。豚バラ肉とネギ、豆腐を買って、ヤマムロの「陳麻婆豆腐」の素をつかって、麻婆豆腐をつくる。豚バラ肉でも全然アリ。米が進みすぎる。

ヒプノシスマイクを教えてくれる友達の薦めで公式ガイドブックをアニメイトに買いに行く。もはや、何か欲しい物があってアニメイトに行く、という流れだけで、妙に嬉しくなってしまう。でもちょっとした気恥ずかしさも出てきている。でも欲しいのだから仕方ない。

気恥ずかしさを感じないように、今度はなんか、もっとちゃんとした格好で行こうとおもう。つい、ラクなので、深夜にコンビニまで行くような格好をいつもしているのだけど、これではいけない気もする。まぁ、もうちょっと涼しくなってからで、いいかな……。

ついでに、上田麗奈さんの写真集『くちなし』と目が合ってしまい、買ってしまう。正直、常々思ってはいたけれど、写真集の色や光、ふわっとした表現が、上田麗奈さんの雰囲気と、白くて透明感のある肌と、なんとも合っていて、見ていて「ここではないどこか」へ誘われた。

もっとシンプルに言うと、好きだ。ものすごく可愛い。ものすごく可愛く思える。強い。

そしてこの気持ちの根底に、自分が過去にしてきた恋愛たち、そして好きになって心奪われていた人たちの面影を、ちらちらと見つけてしまう。ぼくは基本、女々しい人間なんだということを改めて実感する。気恥ずかしい。なんだか今日は、気恥ずかしい一日だった。


2020年9月5日(土)文章力を磨こう

死んだように眠って起きたら朝だった、という感じ。4時半。あまりにスムーズに寝たので、起きた時、一瞬なにがなんだかわからなかった。身体はめちゃくちゃ快調。

定期的に、サウナとんかつを決めて早く寝るという習慣を持ちたい。人生が変わる気がする。

メルカリで買った『芥川賞・直木賞150回全記録』をめくりはじめると、面白くて止まらなくなる。もともと吉行淳之介が座談会に出ているのを目当てで買ったのだけど、それ以外の歴史や、細かなうんちくも面白い。知らない作家を見つけて、Wikipediaなんかも引くので時間を食う。

座談会は過去に行われて文芸誌に載った再録らしく、こんな面白いものが眠っているなんて、と過去の文芸誌を漁りたくなってくる。そういう仕事があったらやりたいくらいだ。

芥川賞選考委員の座談会は実にズバズバと快い指摘があり、背筋が伸びる。開高健が舌鋒鋭い。

(開高)要するにそれはですね、作者がボキャブラリーを知らない。それで書きようがないの。書きようがなくて苦しんでるというものでもない。初めから念頭にないんだ。頭に入って来てない。そこへもってきてボキャブラリー不足と、こうきてるんで、まァ一言で言えば日本語の語学力がガタ落ちになってるんじゃないかという印象を持ったわけよ。
(略)いま、年間三百万人から四百万人の人間が、海外へどんどん出て行って、面白い体験を経て来るんです。中にはアフガンの戦場へ行ったりしてるのもいる。非常に貴重な体験をしてる。だのに表現の方がそれに追っつかないでいる。その落差が激しいんです。ひるがえってオールド・ジェネレーションの方はその作者個人は大した経験を持ってないんですけれども、文章のめりはりがあるんで、結局は古風やけれどもこっちの方へ票を入れようかということになっちまう。

『芥川賞・直木賞150回全記録』p,166

特異な体験、つまり「題材」を重視して何かを残そうと考える人は多いし、確かにそれが作品の個性にもなるだろうけれど、実はその体験を扱えるだけの文章力がないというのが大問題だと。

これは小説やノンフィクションだけでなくて、きっと今この時代のネットで何かモノを書いて成そうという人にも当てはまる提言であり(もちろん僕もそれに刺されるひとりだ)、真摯に文章修行に励まなくてはならないと思わされる。

夜、マッチングアプリで知り合った人と飲みに行くことになり、渋谷へ行く。お酒を飲める人だったのと、割に業界も近い人だったので、話題には事欠かなくて助かった。お酒が間にあるだけで基本的には「すること」があるのは助かる。

楽しかったは楽しかったし、また飲みに行く約束もしたのだけれど、帰り道にものすごいバッドな感情に心を支配されてしまい、さめざめ泣きながら仕事場の床に倒れる。

ひどく死にたい消えたい気持ちがずーっと心に満ちてしまい、そんな夜に限ってコンビニで買った缶のハイボールは嘘みたいな味がする。「いのちの電話」にかけてみたけど繋がらなくて、いのちの電話がつながらないとき、命がどこへ行くのかがわからない。

自傷をしてしまう人がいて、それは別にリアルに体を傷つけるだけでなくて、お酒をいっぱい飲んでしまうのもその一つだと思うけれど、まぁ今、なんでこんなに辛いのかがわからないと言う時に、「わからないときにつらさをわかるような形にすること」が自傷なのかもとおもう。

つらさを認識し、客観視するために必要なものというのは、なんだかすごくよくわかる。いのちの電話がつながらない夜の命。その命の色を確かめるために人は時にカッターを持ち、ときにハイボールを片手にする。ただそれだけのことなのだ。

それには良い悪いという事は無い。ただそれだけのことなのだ。私たちはどこへ行くのか。どこへ行くべきなのかもわからないまま、床に転がって扇風機の風を浴び、この茫漠としたつぶやきをiPhoneの音声入力でメモに残していた。

ちなみに、デュワーズでつくったハイボールにバニラエッセンスを一滴入れると美味しい、という酒飲みハックはたいへんな収穫でした。


2020年9月4日(金)サウナとんかつ

奥底にへばりつく身体の疲れをなんとかしようとサウナへ向かう。

なんとなく景気づけにストロング系チューハイを飲むと、身体がカッカッするような感覚がある。こんな強いものを平気で飲んではいけないのだけど、本当にひところは毎日のように愛飲していたのが怖くなってしまった。

結局、酒というのは何を飲むかというよりも、いつ、どのように飲むかが大事なんだろうというのもわかってきて、それは心身どちらにも強く影響が出るからだ。当然に、心身が健康なほうが酒はうまいし、酒にも愛される。

ただ不思議なのは、心身が不健康なときに、どうにも不健康な酒が性に合ってしまうことがある。こればかりは謎だ。酒についての謎は深まるばかりである。

御徒町の「プレジデント」でじっくり4セット、ミストサウナもはさみつつふやける。すると、猛烈な空腹を感じて、せかせかと支度をして、[とんかつ山家]にすべりこむ。

ビールを飲みながら上ロースとんかつを待っていると、なんだかアタマがふわーっとしてきて、時間差で、山家の食欲をかきたてる揚げ油の香りのなかで、ととのってしまっていた。

そのまま出てきたとんかつにかぶりつくと、これがまぁ、うまい。脳汁が出る。そして、ととのい状態に、このとんかつ由来の脳汁がガンガン脳内にあふれだしていく。体験したことはないのだけれど、これはもはやドラッグ体験に近いのではないだろうか、とおもうほど。

アタマがふわふわタイムなまま、仕事場ですこしでも何かを、と思っていたけど諦めて帰宅し、ベッドに横になる。おそろしく穏やかな眠りがやってくる。


2020年9月3日(木)オールドデジタル

朝から、こちらも久しぶりな気がする対面取材で丸の内へ。丸の内という土地も慣れないし、対面して話を聞くのもどきどきするし、と落ち着かない気持ちのままに、サイバー攻撃についてあれこれ聞く。

サイバー攻撃は実は地政学と関わりがあり、海底ケーブルをめぐる各国の争いなど、どこまで書けるかわからないけれど、おもしろい話ばかりで目が開く。

結局、サイバーサイバーというけれど、プログラムを書くのは人間だし、パソコンを使うのも人間だし、何かをしようとするのも人間。デジタルの世界の話はデジタルに起こるのではなく、単に人間世界で起きていることがデジタルで起きている、という前提を忘れがちなのだ。

仕事の合間に、散歩しながら写真を撮る。X-Pro1に鷹の目Tessarを付けてみたらどうかしら、とおもって何枚か撮っていると、なかなかグッとくるのも撮れる。

FUJIFILM X-Pro1+中一光学 Lens Turbo II+CONTAX Tessar T*45mm F2.8 MM

個人的に色がはっきりしている写真は好きで、線の太さみたいなものを感じる。X-Pro1でMFレンズを使い、ほとんどF8くらいで固定して置きピンで撮ると、AF速度なども全部関係ないので街撮りには充分。フィルムカメラみたいな気持ちで、X-Pro1をつかう。

むしろ、オールドレンズ×オールドデジタルカメラの味わいみたいなものさえ、あるようだ。


2020年9月2日(水)収録日

楽しみにしている、というレベルを超えて、もはやライフワークくらいに思えてきたPodcast『戸田真琴と飯田エリカの保健室』の収録日。

今回も、黒子でいなきゃいけないのだけれど、たまらずに何度か笑いだしてしまう。がまんしないといなぁ、と思いつつ、たぶんばっちりマイクに乗ってしまってて、ごめんなさいの気持ち。

台本などなくても、話し続けてくれるふたりのトークをそばで聞いて、すこしだけ合いの手を入れたり、撮れ高が確認できたらEDに行くようにお願いしたり……ということをしている。

今回もしっかり1ヶ月分撮れました。編集まで楽しみたのしみ。


2020年9月1日(火)まる1年

9月がはじまった。ということは、この日記も書き始めて12冊目。1年が経つわけだ。

何か日記を書いて変わった?と思うと、大きく何かは変わったような気はしない。やっててよかった!と感じることも、あるような、ないような。だけど、ふっと数ヶ月前の日記を開いてしまうと、そのまま読んでしまう自分がいる。そこにはたしかに「自分」がいて、生活がある。

日記というのは、書くその日、その時の気持ちの整理や、出来事の記録という意味合いもあるだろうけれど、実は振り返って読むことそのものに、意味があるのかもしれない。

書いたその瞬間ではなく、書き終えて、季節が過ぎたあとで、読むことに意味がある。

だから、たぶん、もっと考えたこと、思ったこと、感じたことなんかも、書いていけたら面白いんだろうなぁ。あー、そんなこと思ってたんだね、というように。

9月は仕事の打ち合わせから始まった。直前まで、説明用のGoogleスライドをつくって、文字を詰め込んでしまったのを反省しながら、現場では思うままに話した。うまくいくと熱い展開になるかもしれない。がんばりたい。がんばれるだけ。

夜は、いつもの29日に集まって飲む会、愛称「二九会」で、いつものメンバーで飲んだ。ひさしぶりにリアルで会うことにした。リモートはリモートでいいけれど、やっぱり、気が置けない人ならリアルに勝るものは、なかなかないね。


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