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2020年5月31日(日)竹岡式ラーメン

5月が終わるなんて信じられない。毎月、「信じられない」って言っていそう。

朝方まで仕事をして帰り、ふと思い立って朝7時からラーメンの仕込みをする。千葉県のご当地品として知られた竹岡式ラーメンを意識する。

護国寺などでお店を展開する「MENSHO」さんが、竹岡式のアレンジをYouTubeで紹介していて、それを参考にしてみた。

動画中では2時間かけてチャーシューを作るところを、ぼくは電気圧力鍋の角煮にしてみたわけだ。ものは違えど、豚の味わいが溶け出した醤油ダレができるはず。狙いは当たった。水も入れずに本みりん、醤油、酒だけで煮込む。

割合を参考にしてやってみたけれど、MENSHOのレシピでは「たまり醤油」を使うところ、こちらは濃口醤油にしたので、その分だけ醤油のアタック感みたいなものが弱くなった。みりんが前に出るので、甘みが結構強い。これはこれで美味しいけれど、次はみりんを減らして、醤油をもっと増してみよう。

竹岡式ラーメンのお店で有名な「梅乃屋」さんの動画も見てみたけど、豚を煮る鍋には醤油をどんどん追加していたので、おそらくもっと醤油を増したほうがいいんだろうな。

角煮は、さすがの電気圧力鍋のおかげで、めちゃくちゃやわらかく味が染みてて、豚の甘味とみりんの甘味のダブルパンチで、ちょっとうっとりする仕上がりに。これは正解。

お家でつくるものとしては楽しいし簡単なので、これは別に記事としてまとめてみよう。

夕方、劇団ノーミーツ『門外不出モラトリアム』の再公演に滑り込む。面白かった。メグル役の夏海さん、等身大でよかったし、応援したくなる気持ちにさせるので、ハマり役だと思った。

実はクラウドファンディングでサポートして写真集を持っていたり、写真展を観に行ったりしたことがあったので(撮影が飯田エリカさんだったのだ)、新たな一面を見た気持ちでときめく。

ケンジ役の櫻井保幸さんの演技がポンと頭ひとつ抜けるような巧みさで、際立って見えた。もっと活躍していくような気がする(あとでどこかで見て、ふふ、と将来こっそりなりたいので書き留めておく)。

夜、TさんとNさんと、いつもの月例飲み。今回もオンライン。『門外不出モラトリアム』の感想にはじまり、あれこれと、夜更けまで。ツイートはおろか、誰にも言えないけど心で思ってたこと、なんかを棚卸しさせてもらえるので本当に助かる。

良い編集者と仕事がしたいね。良い編集者で少しでもありたいね。そして、本質的なことを忘れずに生きたいね。そんな思いを胸に、気づいたら床に敷いたヨガマットで爆睡していた。


2020年5月30日(土)潜水からの潜水

夜中から朝方にかけて進めていた原稿が、さっぱりはかどらず、赤ワインも投入して無理くり進めていく。朝、ふっと力尽きて数時間眠り、また起きて続きをして、仕上げる。あー。

原稿を書いているときって、なんでこんなに苦しいんだ。ずっと苦しい。「面白くないんじゃないか」「もっとうまくできるのは」みたいな意識と、細部への気の届かさがあるかもって疑念をやりすごしながら、最後の句点に向かって潜水している感じだ。

だから終わると、どんなに短い原稿でも、終わると息をはーっと吐いて、呼吸を取り戻す。そしてまた潜水をする。

苦しい思いをしたからこそ、勝手に思い入れも出るんだけど、納品後になんだか扱いが「ぞんざい」だなって感じると悲しくもなってしまう。もう慣れたけどさ。それを非難したり指摘するほどの元気は残っていない。せめて自分がそうならないように頑張ろう、と思う。

ライター的にたいへん当たり前の事実に気づいてしまう。

これは単価感とも結びつくのだけど、「本来なら社員に任せたい仕事」は短期的に見て単価は高くなるけど(単なるアウトソーシングの高品質・高効率化)、コラムとかオピニオンとかの「まだ金銭価値のわかりにくい仕事」は長期的だけど単価は上げにくいんだろうなって。

良し悪しはあれど、気持ちはわかる。

原資が違うからなのだ。で、原稿の単価感にもこの違いはたぶん活かせるはず。ぼくの書き仕事は、結構な部分で前者的なものが多いけど、やっぱり根には文章での承認欲求も発表意欲もあるにはあるので、後者な仕事(なり自主的なワークなり)も自分には入れ込まないとだめなのだ。

メディアとかライターだと、急に経営的視点が抜きにして語られることもあるんだけど、「とはいえのビジネス論」も後ろに走っていて、それが抜けていそうな言説を見ると違和感がある。

「○○はこの世に不要!」って主張することは、提起としては大事だけど、それって自分が苦手だったことを棚に上げているだけのケースもありそう。それが必要な人もいるわけで、当然に「どっちもいる」のだから、その必要だと感じている人は声を出せなくなることに対する配慮は、そこにはないわけですね。

って、ツイートしようとしてやめた。

徹夜と赤ワインのせいか、疲労感が抜けずに、自作油そばに満足して、全裸で横になって布団にくるまっているうちに数時間眠ってしまう。日付が変わる頃に起きて、もそもそと支度をして、仕事場に。日記をまとめて5日分書いた。達成感。


2020年5月29日(金)好きドリブン

28日の深夜延長線、29日の丑三つ時、ぼくは部屋で悶え転がっていた。福田晋一さんのマンガ『その着せ替え人形は恋をする』が最高すぎたのだ。

いつも友人の輪の中心にいるギャル系美少女、喜多川海夢。クラスメートの五条新菜は、彼女を“別世界の人間”だと思っていた。雛人形の頭師を目指す新菜が、放課後被服実習室で作業していると、そこに現れたのは…まさかの…!? 二人のドキドキ山盛り☆コスプレ・スクールライフが始まる!!

その着せ替え人形は恋をする 1巻 | 福田晋一 | Amazon

とにかく、全キャラが愛おしい。メインヒロインの海夢(まりん)が、最初はコスプレ衣装を作ってもらうだけの関係だった新菜を好きになってしまい、心から「しゅきぴ!」が溢れ出してしまうところには、「お、おれもおれも〜〜〜!」と、まりんに気持ちが同調してしまう。

この作品を支えるのは「好きドリブン、プロフェッショナリズム、尊み、行動力」だ。好きなものをちゃんと好きといい、好きな気持ちでつながった人たちが、自分の感性をフル活用して好きなものを作り上げる。青春譚でありながら、萌え転がる大人にビシッと教えてくれる点もある。

とにかく「しゅき」なので、まりんと新菜が付き合って家族を持ち、ギャルママになって、ママコスして娘もデビューしていく過程までぜんぶ描いてほしい。買う。

寝て起きて仕事。Zoom取材と打ち合わせ。へんな仕事がひとつ進みそう。動画の台本。

お声がけしてもらって、近所のUさんと根津の水月ホテル鷗外荘まで散歩して、風呂をいただく。森鴎外の居宅が敷地内にあるホテルで有名だけれど、今月末で閉まる。事実、見られなくなってしまうので、行ってみようとは思っていたのだ。

緊急事態宣言明けで、街にも通勤の人々がいて、なんだかやっぱり落ち着かない。お風呂は天然温泉で、古代檜に漆塗りの浴槽、という珍しいもの。聞いたことない。

あたたまり感がたいへん素晴らしく、よいお湯だった。この浴槽、どこか引き継がないかしら。

家に変えると、Tさんから勧められた、吉本ばななさんの『白河夜船』が届いてめくってみる。ふしぎと、言葉がぐんぐん染み込んでくるようだった。やっぱり、小説を読まないと言葉が枯渇する。

それにしても、今更ながら、なんであんな大学に進んで、ろくに勉強もしてなかったんだと思ってしまうな。感性だけはいろいろ磨かれたし、エピソードトークも貯め込んだけれど、後悔めいたものも出てくる。この感情をはねのけるには、これからの行動で正当化するしかない。


2020年5月28日(木)正しいけど面白くない

個人的に、緊急事態宣言が明けて、人に街が戻るようになってからのほうが怖くて、ぜんぜん自粛を続けている。中華料理屋で、スーツ姿の男性4人が、狭いテーブルで酒を飲んでいるのが見えた。当然、マスクもガードもせずに、わーわー話している。

あの男性は同じ会社なんだろうか?在籍しているだけで企業にとってはリスクではないか。

そんなふうに気が滅入ってしまうので、飲みの誘いが来ても、「ちょっとまだ怖いですね」と断ってしまった。いつから大丈夫なのか、と自分でも決めないといけないけど、ワクチンも治療薬も上手いこと見つかっていない状態では、なんというか一種の決意がないと動けない。

『BRUTUS』の西田編集長が、イベントで言ったことをメモした。この標語は規範だ。

みんなが決めたことは、正しいけど、面白くない。

イベント中で出た、“盲信が突破力になる”という言葉もよかった。正しいけど、面白くない。これはビジネスのあちこちにもはびこっていそうで、いや人生でもそうかもしれないけど、こんな仕事をしているのだから、ちゃんと自分の「面白い」も大事にしなければ。

メルカリで買ったアサヒ軽金属の「天使のなべ」が、いままでの鍋より早く沸くし、保温力も高くて驚いてしまう。で、煮干しラーメンをまたつくる。

自宅でラーメンをつくる、という楽しみは、結構いいかもしれない。当然、店には敵わないと思っても、なかなかいいものができてしまったときの快感が大きい。あと、探求しがいもある。

煮干しラーメン、もうすこし、セメント感を出していきたい。どの工程を変えればいいのか、もうちょっと研究したい。煮詰める時間が足りないか。こってりラーメンの作法が応用できそう。

軽バンを改造して、一人旅する動画に見惚れる。あこがれのすべてがここに詰まっていた…。

でも、なんだかんだ、今日はずっと、心から悲しさが消えない日だった。


2020年5月27日(水)あつ森情操教育

仕事が激減して、こいつはやばい、と思っていたのだけれど、細々とした仕事が重なるようになってきて、なんだかんだ毎日のように納品している。

『あつまれ どうぶつの森』だけが相変わらず癒やし。すぐ出られる旅。ショートトリップ。

一応、ゲームとしてはひとつの目標をクリアする。ここからは、特に目的のない時間になっていくので、まさに「気まま」な無人島生活が始まっていくことに。

さっそくやりたかった「気まま」を叶える。

男の子の見た目でも何の問題もなく女性服も髪型も変えられるので、いつかやってみたかったロリータファッションに身を包み、男の娘になって島中をめぐりながら、生活を楽しんだ。

ホワイト・グレーのボブカット、赤いアンダーリム眼鏡、ピンクのロリータファッション、白いタイツにストラップシューズ。日傘はグレーのストライプ。ベタすぎる。だが、それがいい!

「あつ森」友達の島にこれで遊びに行ったら、頭につけるクラウンをもらって、テンションが上がりまくる。姫だ。うっとりした。

その友達には幼い息子さんがいて、ぼくが女性服をまとったのを見ると笑ったそうだ。「男の子なのに?」という感じだったらしく、「息子さんにも、男の人でも女の子みたいな格好したい人もいるんだよって教えてあげて!」と伝える。

「そのとおりだね、そういう時代だったね」と話した。友達も、しょっちゅうゲーム内でコスプレしているらしい。これも時代に合わせた情操教育のひとつなのかもしれない。

島民からは後日、「髪型イメチェンしてたね!」といわれる。えっ、そこ?とおもうけど、でもそれくらいの感覚でいてくれることは、気楽ではある。

徹夜で、朝方まで酒を煽りつつ仕事をして、同時にLINEでも怒涛のおしゃべりをして、「あつ森」をして、生命を削りに削って、止めにニューオープンの家系ラーメンを決めて帰る。

寝落ちる。目覚めたら20時。仕事場へずるずると向かう。昼夜逆転が確立されつつある。


2020年5月26日(火)プロを間近に

プロの現場を見られるのって、ふつうは仕事をしなければ無理なものなので、こんなふうにYouTubeでのぞけてしまうのは本当にすごいなーっと思う。平間至さんの撮影について。

写真は絵で考えない。絵で考えると自分の想像を超えてこない。グルーブで捉える。

写真はグルーヴだ。音楽が導くカオス。平間写真館はやっぱりすごかった。 – YouTube

写真って良くも悪くも簡単に撮れちゃうので、感じ、考えているかが抜け落ちやすいからね。おれはやっぱり写真は素晴らしいというのを伝えたいんで、写真を信じているから撮ってる。自分の目だったらあんなにがちゃがちゃ撮らない。写真を信じているから一瞬でも逃したくないと思って撮ってるんだ。

写真はグルーヴだ。音楽が導くカオス。平間写真館はやっぱりすごかった。 – YouTube

自分も編集者として関わる仕事で、写真家の方と現場をご一緒するときの動きや感覚を、間近で見れていることがすごく勉強になる。

そういえば今、スポーツ業界でも「動画で学ぶ」(YouTubeでプロの動きを見る)というのが確かな修練法であるらしく、きっとこれからの子供たちの成長角度は全然ちがうんだろうな。

ライターの仕事はどうだろう。動画化、ほとんどされていないだろうし、これほど動画映えがしない仕事もない。けれど、どうにかして残していけたり、体感できたりすると、効果的なのか?

セメント系煮干しラーメンが好きなので、クックパッドやYouTubeを参考に試しに作ってみたら、案外にそれっぽいものが出来すぎてしまった。よりよくつくるためにメルカリで鍋を買い足した。

頑張って書いて納品して、原稿料は支払われたけれど、公開されないままの原稿たちはどこへいってしまったのだろう…という思いを赤ワインで流し込みながら、今日も原稿を作る仕事をします。

まぁ、お金のやりとりでいえば、ちゃんとはしているわけなので、何ら問題はないわけです。ただ、たとえばレストランで料理を作り、それでお代はいただいたけれど、お客様が食べたのか食べていないのか、そのまま冷蔵庫に閉まっているのか、捨ててしまったのかもわからない感じってもどかしいですよね。

って、ツイートしようとして、やめた。そんな話をTさんとNさんのグループに投げたら、どんな原稿?って見せることになり、お焚き上げができた。

たしかに直すところもあったけど、公開されてもおかしくはないよね、と言ってもらえて嬉しい。原稿はアップデートされ、また眠った。


2020年5月25日(月)驚いてばかり

深夜の仕事場で村上春樹さんのラジオを聞いていた。ステイホーム特番、ということで、自宅から収録。音楽なども村上さんのストックから自宅のプレイヤーを使う。TOKYO FMだけれど収録環境はDIY。でも、ぜんぜん聞けてしまう。

写真家の中川正子さんが薦めていて、それでぼくも聞いてみた。初めて村上春樹さんのラジオを聞いたけれど、穏やかな語り口と、洋楽たちの意志あるセレクトに、すごくときめいて楽しむ。

リスナーからのメールへの返答は、やっぱり期待をしてしまうけど、村上春樹さんが言うからこその説得力もあって、思わずメモしてしまう。

「ぼくも孤独のドツボに入ったことがあった。でも、そこから多くのことを学べました。それは人はひとりでは生きられないこと。人を求め、人に求められる。そういうことを学ぶ時期なんだと思ってください。トンネルはいつか抜けます」

「自粛期間のおかげで、ぼくらの生活になくてはならないものはなにか、なくてもいいものはなにかが、わかってきたようです。世界規模の社会実験のようなもので、これからじわじわ広がっていく。良くも悪くも」

孤独の状態は自分を知るためには案外に大事なのだ。それこそ毎日まいにち仕事をして、土日もなく何かをして、夜は酒を飲み……という狂乱の日々を過ごし、そしてそれがひとつの破綻を見た今に、この孤独という厄介ものに向き合うなかで、考えることもやっぱり多い。

そういうことを学ぶ時期、と思えば、やはり楽にはなる。読むべき本、見るべきものも変わる。

昼頃に、今週のしいたけ.占いが届いて、牡羊座のぼくは、もはや星座占いを超えた指摘に慄く。

牡羊座がいい人生を送っていくためには、必ず「誰かからの気持ちの良いリアクション」が必要とされているのです。「お、その話面白いね。もっと聞かせて!」みたいなリアクションがあると、あなたはリズムや波に乗っていく。(中略)リアクションがあまりにもないと、牡羊座は閉じる方向へ行ってしまうのです。

5月25日(月)~5月31日(日)の牡羊座の運勢 | しいたけ占い VOGUE GIRL

そう!そうなのだ!全くそのとおりなのだ!原稿納品しても梨の礫な皆様にお伝えしたい!……と愚痴を言ってしまうようだけど、でも、ほんとうにそうなのだ。その意味では、短いフィードバックループを持てる環境下に自分を置くことが、牡羊座にとって必要な戦略なのだろう。

もくもくと一人きりで何かをすることの向いて無さ。でも、そればかりでもいけない。求めすぎてはいけない。求めすぎると、大事なものを見失ってしまうと、渋谷慶一郎さんのツイートを読んで、はっと気づく。

朝方まで仕事をして、原稿をひとつ納品。イベントのディスカッションをまとめるなんて、誰にでもできそうな仕事でお金をもらっているんだなぁ、と思うけれど、その「誰でもできそう」が案外に難しく、かかる時間も短く、かつ要点を押さえたものであるものが、黙っていても上がってくるのであれば、発注主にはそれだけでも還元があるんだろう、と自分を慰める。

誰にでもできそうだけど、誰でもができる仕事でもない。言葉を扱う仕事は、割合にそうだ。

寝る前に、二宮ひかるさんの『摩擦ルミネッセンス』を読む。未読だと思っていたけれど、途中で「読んだことあるわ」と気づいて笑う。が、それよりも、なぜそれに気づかなかったのか。本棚を見て、大半の二宮ひかる作品が消失していることに気づく。ショック!

『ハネムーンサラダ』や『ナイーブ』を読み返したかったのに。どこに消えてしまったんだ。引っ越しの際にまぎれてしまったとしか思えない。買えるうちに、買い戻さなくては。

二宮ひかる作品のヒロインは、ちょっと抜けていることが多い。抜けているというか、ある種の「白痴美」がある。ゲームブランド「key」が好きな鍵っ子としての思春期を過ごしたぼくは、「白痴系」とも呼べるキャラクターにはたいそう弱い。

白痴系は「常識を超える」という形で、人間の関係性における「当たり前」に容赦なく別の見解を持ってきてくれる。だからぼくたちは、いつも問い直す。それは本当に当たり前なのか?と。

波風立てず、道を誤らず生きたいだなんて、それは本当に?

隙あらば踏み外して、心ゆくまで堕落したいという願望はないか?

二宮ひかる『摩擦ルミネッセンス』1巻より

ぼくが初めて小説で評価された作品は『ロストアンドファウンド』というのだけれど、このタイトルワークは二宮ひかる先生に影響されていたんだなぁ、と思ったりする。本来の意味から、その関係性を照らすという点において。

心ゆくまで堕落したい、という願望にゆられながら、酒を飲んでいた。アードベッグを舐め、梅酒ロックを舐めているうちに朝になり、氷が溶ける音を聞いたすぐあとくらいに、寝に入る。

たいそうな淫夢を見る。いったいどれが引き金だ?


2020年5月24日(日)緊急事態が始まる

緊急事態宣言が解除されるらしい。つまり、生活者としての緊急事態が、ここから始まるということだろう。知識や倫理の異なる人間が、パッと野に放たれるようなのと変わらない。

自分で自分を守らないといけない。企業活動も再開されていく。電車も混み始める。きっとまた余波がくるだろう。ぼくはぼくで自粛を続け、すくない行動範囲を基本にしていくつもり。

解除で良いことがひとつあるとすれば、自粛警察がすこし穏やかになったりするだろうか。「いや、もう緊急事態ではないんだからさ」というお題目が使えるようになる。ぼくは個人的な緊急事態を続けるが、その他の人が争う種が減るのはいいだろう。

ただ、緊急事態ではないということは、もうそれだけの保障なり何なりは言いにくくもなる気がするけど、どうなのかしら。このまま終わっていく気もする。冬に再流行、なんてことも聞くし、何にせよ数年単位で暮らしが変わるくらいの気持ちでいるしかない。

朝方帰宅して、とりあえず『あつまれ どうぶつの森』で日曜の午前中だけ売られるカブを買い、眠る。目覚めると夕方より少し前。『情熱大陸』のYouTubeチャンネルで紹介されていたカレーをつくる。とってもおいしくできて、うれしくて、ごはんをおかわりする。

おいしいものができるだけ、すこし、今のぼくは寂しくなる。

カレーを食べて、自分を慰めていたら、すっかり寝こけてしまう。22時だ。届いていた原稿の進捗確認(でも今日はまだ〆切じゃない)に、サムズアップのリアクションだけ返して、事務所へ向かう。

調子の悪かったリモート会議の録音システムを見直し始めたら、あれこれ検索して、時間を食う。無事、目処がつく。キリン本搾りが2缶空いていた。

共感しかない。

面白いことする人もいるなー、と思って再生してみたら「14分」じゃなくて「14時間」の動画で、そんなこともできるのかYouTube、すごいな!となってしまった。飛ばしとばし見たけれど、面白かった。この人の目と感情を追体験することで旅に出る。

僕のことを誰も知らない土地で、何ものからも捕らわれない生活を、一時してみたい。

管啓次郎さんの『本は読めないものだから心配するな』を読み始める。なんて勇気の出るタイトルだろう。本はそれ一冊で完結しない、ページからページを渡り、テクストは連鎖していく。本に「冊」という単位はない……あぁ、素敵な本と言葉の旅だ。先に進むのが楽しい。


2020年5月23日(土)椅子で寝る

昼食後の眠気に勝てず、最近は椅子で昼寝してしまうことが多い。横になるとぐっすり寝てしまうので、せめて数十分を椅子で……という狙いがありつつ、余裕でタイマーを切ってから二度寝できてしまう。どこでも寝られるスキルが活かされてしまう。

「すぐに寝られるのは気絶と同じ」という話を聞いてから、それはもうほとんど毎晩気絶していることになるんだろう。毎日のように、温泉宿で贅沢に眠ることを妄想している。

ストレッチをしていると、傍らにある本棚から『作家の口福』というアンソロジーが目について、数ページぱらぱとめくって読む。古川日出男が日々の習慣について書いている。

一日というものが厳として存在し、それが二十四時間しかない、と。この”単位”のなかで、つねにノリにいたる道を築かねばならない。これは生活のリズムの、組み立てだ。そして、リズムを刻むのは、つねに食だ。
 朝起きる。コップ一杯の水を飲む。脳を起動させる準備が一時間。朝食をとる。炭水化物を多めにし、しかし満腹にはならない程度。それからコーヒーを飲みつつ、読書をして、脳を「活字対応」に変える。コーヒーは酸味よりも苦みの強いやつ。必ず自分で豆をひく。豆が粉になり、粉からコーヒーが生まれて、それが体内に吸収されるイメージを、全身で感じる。一時間前後の読書ののち、起筆。仕事部屋には水をたずさえて行く。基本は硬水。そして、書きつけている物語の文体というものがつかめはじめたら、軟水に変える。最近は炭酸水も飲みはじめた。口に入れるのは、他にはガムのみ。ガムは、ボトル入りのものを二種類か三種類、仕事机に用意してある。種類が多いのは、味覚の違いもしっかり感じて、五感のうちのどこかをつねに覚醒させておくためだ。

『作家の口福』より古川日出男、p,42

自分を知り、しっかりと習慣をつくる。ものが書かれるという前提には、表面だけでは見えないことがある。ぼくはこんなものが書けない。毎日流されるように生きている。だから文章も流れてしまうし、人生も思考も流れてしまうのかもしれない。うんざりしつつ、変えられていない。

椅子で寝こけていると、中学の頃の同級生女子が訪ねてきて(年齢感もなんとなく現在に合わせてあった)、なぜかえろいことをしてくれる夢を見た。久しぶりに性癖を自認して笑う。

荒牧陽子さんのモノマネを切り替えながら歌う動画を見て、これぞ名人芸だな…と感動する。文章でいったら都度、文体を切り替えてひとつの文章を書くようなもの。すごすぎる。

誰も彼もがSNSで世界とつながる必要なんてないし、自分を何かと比較したり、優劣を考えたり、存在意義を問うてしまったりして負の気持ちを抱えるくらいなら、スマホなんて閉じてしまったほうがいい。目の前の日常を、自分なりに慈しんで、一つひとつを愛せることから個人の幸せは出発するはず。

…と、ツイートしようと思ったけど、やめた。

なんでもないふりして、例の事件に、今日はずっとひっかかっていた。


2020年5月22日(金)道東より

たいへんな動画を見つけてしまう。動画、というか、制作者か。

以前に北海道の道東エリアの魅力を語られ、道東に関する本も一冊読んだのだけど、あぁ、いいなぁ、いつか行ってみたいなぁ、と思っていた土地から贈られる、この動画。

この笑わない美女が、自然のなかでメシをつくり、お酒を飲んだりする。それがピアノ曲に乗って、過度すぎない編集で届けられる。至高であった。

個人的には、初めてin living.の動画を見たときに匹敵するときめきがあった。それも初期の頃のin living.の動画。今の親しみやすさもいいけれど、あの、「どこかに存在する女の子」の生活を見てしまうような、禁断のときめき。自分の脳内が中学生や高校生に戻っていくようだ。

というより、たぶんこれ、僕がしたいんだと思った。引っ越したがっているのだろうし、晴耕雨読を最近、ぼんやり考えているのは、『あつまれ どうぶつの森』の影響でもあるだろうけど。コロナで都市が都市としての魅力によって機能しなくなってから、余計に考えてしまう。

『あつまれ どうぶつの森』で毎日、服を着替えるようにしているのだけど、今日はスカートを履いた。黄色のパッチワークスカート。ぼくは自分に割と寄せた姿でプレイをしていて、「あー、こんな格好したいなぁ」をゲーム内で実現しているところがある。

スカートも履いてみたい。履かせてみたら、キャラクターのせいもあるけれど、それほど違和感なく、むしろきれいにおさまっているように見えた。そして、このゲームでは性別を選べるが、着せる服には確認ひとつなく、あっさり着させられることも嬉しい。

夜、オンライン飲み会に顔を出す。知らない人ばかりで、つい習性で、話をしようとがんばってしまう。聴覚障害のある猫を飼っている人がいらっしゃって、興味深かった。他の猫とのコミュニケーションが採れないので、やはり猫も社会性がつかないところがあるようだ。

そもそも、猫だって耳が聞こえない子はいるのだ、という当たり前のことさえ、言われて気づくようで驚いてしまった。作りかけの原稿と、もう一本の別の原稿を納品して帰る。


2020年5月21日(木)推しに生かされる

ライター仲間のNさんに薦めてもらったマンガ、オジロマコトさんの『君は放課後インソムニア』が届いて読み始める。

石川県の片田舎、不眠症を抱える高校生男女が、自分たちのその秘密を共有しながら天文部を作って、居場所をつくっていく。人の少ない階段にただよう、ちょっと埃っぽいにおい。コンクリートのひやっとする感触と、遠くに響く音……みたいな「あの空気」を思い出した。

ぼくも高校生時代は割と暗黒に近い日々で(主に高校2年生から)、記憶もほとんどないのだけど、かすかに嗅覚が教えてくれる「あの空気」が、この作品への親しみを増してくれていた。

すごくテンポのいいマンガだなー、面白いなーと思っていたら、読み終わって3巻だったことを知って笑ってしまう。「そりゃ背景の説明がないわけだわ!」と納得して、また1巻から読み直して、いろいろ合点がいく。白丸先輩が好きです。

『あつまれ どうぶつの森』で推しキャラのヒャクパーちゃんに秋色のワンピースや、臙脂色のハットを贈ったりしていた。服をプレゼントすると、みんな着てくれるのだ。かわいい。かわいすぎる。気持ちが高まる。もっとプレゼントしたい。

そんな楽しみを持ちつつも、気持ち的にはだいぶ沈んだ日で、不調は続く。もっと早く終わると思っていた仕事も片付かずに、酒を飲みながら、ずるずると椅子に座っていた。

なんだか本当に、あ、だめかも、と思ったときに、YouTubeで成瀬心美さんが新しい動画を公開していた。ラーメンの天下一品を食べたことがない成瀬心美さんが、持ち帰り用を買ってつくり、食べるという動画。

ただ、それだけともいえるのだけど、途中で「天下一品」フリークである成瀬心美さんのお兄さんに電話をかけ、その魅力を教えてもらうパートが出色だった。

他にも、「こっさりが一番美味しい。こっさりにネギトッピング。ネギ2トンは食える」といったパンチラインが飛び出し、成瀬心美さんも、ぼくも、ただ笑ってしまう。そして、笑った瞬間に、なんだか気持ちが晴れる。はー、何笑ってんだろ、笑えるんだなー、ぼくは、みたいな。

笑うのって大事なんだなって思った。(失礼な言い方だけど)こんなことで笑えるんだ、ってか笑う心がまだあるじゃん。別に何も解決はしていないのだけれど、笑えるとなんか脳がふわっと軽くなる。もやがすこし晴れる。生き延びようという気持ちになる。

「とにかく笑えれば」という歌詞を持つ、良い歌があったのが頭をかすめる。

仕事は苦労しながらも、えっちらおっちらと原稿を進める。あともう少し、というところで朝になり、一旦やめて帰る。

推しに生かされた一日だった。


2020年5月20日(水)中立は難しい

義務的に取得してたハフィントン・ポストのLINE@をやめる。僕自身の気持ちの落ち込みが激しい日だったのもあるけれど、煽りタイトル含めて目にすると気分が下がる文字面を見るのが、なんだかだんだん嫌になってきてしまったのだった。

自分もメディア関連で暮らす端くれとしては、さまざまな媒体や発言に目を光らせて、そのバランス感を持っておくのが大事だとは思っているつもりでも、それがただの負担にしかなっていない現状では、弊害のほうが大きくなってしまっている。

つまるところ、中立であること、平均であること、寛容であることには、心身の健康が欠かせないということだろう。

仕事を進めたい日だったけれど、なんだか何をしていても心が伴わない。面白そうなウェビナー的なものに耳を傾けるけど内容が入ってこない。諦めて退出。

鈴木心さんの自費出版本『写真の読み方「写真は、ただ」』に、こんな一節があった。

あてのない旅の中の「ただ」の写真。なにも写っていないようで、写っている。そう、それはあなたの思考。元気な時には冷たく見え、傷ついている時には優しく見える。明ろいところでは普通に見えたものが、暗いところで見ると輝いて見える。世界がつまらないのではなく、つまらない人間には何でもつまらなく見えているだけだ。

鈴木心『写真の読み方「写真は、ただ」』より

とりあえず家でご飯でも食べようと、チルドのハンバーグを焼いてお酒を飲んでいたら、急に酔いがまわってきて倒れるように眠ってしまった。

夢で、すこし田舎のあたりの庭付き古民家を借りていた。隣の古民家との距離が近く、お隣さんにもご挨拶しないとなぁ、と訪ねると、ハリウッドザコシショウだった。気のいい人だった。


2020年5月19日(火)平和で平時

朝方、勢いで生活技巧のストックネタを1本書き上げてアップする。

「再現しました!美味かった」という感想をもらって、とっても嬉しくなる。身近な料理のよいところだ。すぐに試せて、わかちあえる。それがなんと平和で平時なことか、とも感じる。

鈴木心さんの自費出版本『写真の読み方「写真は、ただ」』と『写真がうまくなっちゃう7のこと』を読み終える。身も蓋もない書き方だけれど、写真は「写真を撮ろうとしてはいけない」のだろう。

「撮りたい!」はいつも撮影者の主観的な感情です。一方で素の被写体にとって撮られることは不自然な状況。(中略)何故、何を、何のために撮る必要があるのか取捨選択することも良い写真への近道です。時には撮らずにしっかりと見つめることが、自分の観察力を高めるのです。

鈴木心『写真がうまくなっちゃう7のこと』p,21より

あくまで身体感覚や視覚による空間の認識、美意識や自意識の判断が前提にあるものであって、それをいかに写し取るかという順序になる。撮る「人」が前提であって、物や技術はそのための手段でしかない。だから、まずは己を知り、人を知ることから始まる。

こんなの当たり前のようなのだけれど、僕みたいな形から入るのが大好きな人間は、たいていここに躓きがあるものなので、あぁ、やっぱりそうだよな、と確認できるだけでもいい。

手元に松本徳彦さんの『写真家のコンタクト探検―一枚の名作はどう選ばれたか』という本があって、まだ頭しか読んでいなかったのを、すこし読み進めてみる。写真家が作品と提示する「前段階」が詰まったコンタクトシートと、その背景のインタビュー。鈴木心さんとの話とも地続きになる。

なるほど、これは確かに「写真がうまくなる」はずだ。あと、『写真家のコンタクト探検』がものすごく面白い。ソール・ライター展でもコンタクトシートが興味深かったのを思い出した。

……と書いていたら、YouTube Musicで聞いていた坂本真綾さんの『へミソフィア』で「僕は僕のことが知りたい」という歌詞が、くわーんと鳴り響いて、「それな!」ってなった。

新しく何かを始めるようとする意欲と、全てをなかったことにしたい気持ちとが、息をするように交互にやってきては、心でとどまって小さく争っていく日だった。

あと、体調として水様便に困っている。もし数日後も復調しなければ、この記述が参考になるはずなので書き留めておく。昼夜は逆転した生活になった。原稿ひとつ納品した。これを書いているのは20日の朝5時。

これからまだ原稿をチェックして、酒でも少し飲んでから寝る予定。20日は押さえられている予定もないので、書き仕事をやるつもり。無性にしらすが食べたくて、買っておいた。白飯も予約してから仕事場に来た。目覚めたら朝昼兼用で、思うままに、しらすご飯を食べるつもり。


2020年5月18日(月)ひかり、かがやく

土日も平気で稼働するので、曜日感覚がなくなってしまって久しいけれど、やっぱり月曜日だけはなんとなくわかる。SNSで届く通知とか、メールの文面とか勢いとか、街全体のすこしだけ増える活気とか。しいたけ.占いが届くのも、月曜日であることのお知らせ。

今週はあなたの中で何か「あ、多分私はこういう感じでやっていけばいいんだ!」というペースをつかめてきます。今までは動かせなかったけど、やっとここまでできるようになるとか、本命の山が動いていく感じなのです。

5月18日(月)~5月24日(日)の牡羊座の運勢 | しいたけ占い | 占い | VOGUE GIRL

何があるのかな。たしかに、動かさないといけないこと、あるんだ。手のひらというより、肩や背中に乗っかっていて、それらをずっと意識しながら暮らしている。健康としては良くないんだろうと思う。

でも、それがあるから、曜日はなくても「明日また、やろう」って先送りできるだけの今日を生きている感じがあるのかもしれない。……やっぱり不健康だね、これは。

飯田エリカさんが、しらい(@she_is_lie)さんを撮った写真のA3アクリルパネルが届く。種類がいろいろあって迷ったけれど、グリーンのまぶしいこの一枚にした。構図も色も空気も好き。

とりあえず棚の上に置いてみたら、そこだけ発光しているみたいで、しばしの間、うっとりした。

我が家は雑然としているし、自宅にいる時間よりも仕事場にいる時間のほうが長いくらいなので、そのうち仕事場に飾ろうと思っている。写真を買うというのが、これまでにない経験だったのだけれど、自分にとっての心奪われるものが増える喜びが、直截的に響いてきた。

秋葉原の裏路地にあるバー「セキレイ」(@BarSekirei)が持ち帰り用のモヒートセットを売り出していたので買ってみた。炭酸水や氷は自分で用意しないといけなくて、「1杯1000円」は、さすがバーの価格だなと感じつつ、物は試しに。

ところが、味が、これがもう僕が知っているモヒートとは比べ物にならないくらい、美味しい。作り方は別紙にまとまっていて簡単。炭酸水もペットボトルのウィルキンソン。つまり、それ以外のバランスが素晴らしいってことだろう。

たっぷり入っていたミントは、店主が庭で育てたらしい。キューバ産スペアミント「イエルバブエナ」だそう。品種についてはわからずとも、なるほど、自家製は大きな違い。

よくあるミントを1とすれば、セキレイのミントは10くらい違う。鼻孔を抜けて、脳にストーン!と届くような爽やかさ、それでいて甘さも感じるような香り。

合わせるラムの味わいもどんぴしゃり。バーっていうのは、お店の雰囲気なんかもお値段に含まれているけれど、やっぱりお酒も違うもんだ、これは技術料だと思い知る。

一杯飲み終わって、まだミントの香りもあったので、キンミヤ焼酎を注いでみたけれど、やっぱりモヒートではなく「ミントハイ」になってしまった。それはそれで美味しかった。

味といえば、昨日買った業務用「味の素S」は、家庭用と微妙に違う気がした。そのまま舐めると、コクというのか、舌に感じるこってりした風味が控えめだなと思った。鰹節やしいたけ由来の旨味が減った分なのかしら。

まぁ、ブラインドテストをしたら怪しいものだ。食べ比べてみたい。でも、そのためにまた家庭用の小瓶を買うのも本末転倒だからなぁ……。

誰かの家で飲み会ができるようになったら、味の素を舐めさせてもらおう。ついに舌か頭が馬鹿になったのかと心配されそうだ。

SONY α7sⅡを持って、仕事帰りに写真をすこしだけ撮る。暗闇をものともしない高感度にどきどきした。


2020年5月17日(日)そろわない

数時間眠って、朝。10時からオンライン取材が一件。

数日前に頼んでいた、Nintendo Switchの携帯モード専用になる安価な交換用コントローラーが届く。早速はめると不具合なく動く。ただ、左だけ派手派手しいデザインで、右側がシンプルなダークグレーなので、左と右の揃わなさにA型的美観がうずうずとする。

仕事で知り合って何度か飲んだこともあるMさんが、誕生日というので欲しい物リストを公開していたので贈った。数千円の化粧液。消えもので値段もほどよく、ありがたい。

贈ったことも忘れていたくらいだったのだけど、「誕生日プレゼント届きましたよー!」とお礼の連絡がくる。それが、妙に嬉しかった。他人の人生にすこしだけおじゃまできた感覚だった。

自分ひとりのために生きているのが虚しいなかで、なにか物を買うときにも、「自分だけのためにしない」というのは、結構いいかもしれない。誰かに勧められるから、とか。物を紹介するというのは、そういう機能もあるのだろうか。

その点では、ネットやブログはよく働くだろう。自分のためでもあり、また誰かのためでもある。どうにも最近、自己完結ということがうまくいっていない気がする。

スーパーで、悩んで、味の素を1kg買う。小瓶を使い切ってしまい、でも必要なので買いにいったら、80gの新しい小瓶を2つ買う値段で、1kgが買えてしまったのだ。小瓶は洗って乾かしてあるので、詰替え用が欲しかった。

そのために遠くのスーパーへ行くのもおっくうで、賞味期限もなさそうなので、思い切って業務用を買う。実は業務用の味の素は、「味の素S」といって家庭用とは異なるらしい。

Wikipediaに記述があるが、わかりにくいので整えて書くと、こうだ。

味の素の主成分は、「L-グルタミン酸ナトリウム」と、鰹節やシイタケのうま味成分の「5′-リボヌクレオタイドナトリウム」である。一般向けの「味の素」はL-グルタミン酸ナトリウムを97.5%、5′-リボヌクレオタイドナトリウムを2.5%配合している。業務用の「味の素S」は一般向けとは比率が異なり、L-グルタミン酸ナトリウムを99%、5′-リボヌクレオタイドナトリウムが1%配合になっている。

味の素 – Wikipedia(より一部改稿)

わずか1.5%の差がどこまで響くのかわからないけれど、違いがあるのか楽しみ。

『あつまれ どうぶつの森』は、自分の島の特産果実以外が高値で売れる。手に入れた「さくらんぼ」をもとに、果実を増やして苗木をつくり、裏山を一大さくらんぼ果樹園に仕立てている。この世界では、果実は数日起きに生るので、安定的な収入が見込める。

気ままな無人島ライフに「ベル」という貨幣概念が入ってみると、こういう経営的なことを考え出してしまうんだな、と面白くもある。


2020年5月16日(土)たるをうる

『あつまれ どうぶつの森』では毎日、島の商店で「高額買取」の商品が変わる。DIYでつくりやすくて、売値が高いものは歓迎される。今日は「たる」で、ひたすらこれまでに貯め込んだ資材を投入して樽を作っては売っていた。

常日頃から資材をストックしておき、いざというときが来たら投入する。割にここは現実的というか、備えあれば憂いなしなのだ。資材もお金も一緒だ。ということで、取引先が倒産したときに使える「経営セーフティ共済」の資料を取り寄せる。

なんだか一日、気分がひどく落ち込んでいた。天気のせいかもしれない。低気圧で雨が降って、仕事の進みも悪くて。

自分ひとりのために生きているのが、とたんに虚しくなってきたのだ。いや、事実はそんなことはないのだが(というより、みんなそれぞれ、そんなふうなのが当たり前なのだ)。この虚しさは、とらえどころがない。意味がない。

意味がないものを考える、ということの意味を考えてしまったりする。

それは考えるというより認知や認識の問題であり、結局、それを打破するには、世界にどういう希望を持ち、どういう在り方を求めるか、につながってくるのだと思う。

ここみんに触発されて、お昼ごはんはマックを食べる。モバイルオーダー、かんたんだった。チキンタツタ美味しかったけど、ひとくちタツタは、マックナゲットに軍配。

ビールを飲みながら、わーい!と食べ終わって、いっときは気持ちよかったのに、1時間後に超ダウナーになって昼寝する。数時間を費やしてしまった。

もう何をしてもだめだ。……こういうときは酒を飲んで、爆音でアニソンリミックスでもかけるに限る。ずんたたずんたたと首を振りながら、結局、朝方まで仕事をしてしまった。


2020年5月15日(金)新入り?

新入社員とビデオ会議で1on1のミーティングをしていたら、小学校低学年の息子が画面に入ってきて「お?この人、新入り?」と聞いて気まずかった……というエピソードトークを聞いた。

新入りには間違いないのだが、そんな言葉を知っていて他人に使うと、まるで家庭でそれを話しているかのように思われるからだ。たしかに。どうやらその息子さんは『名探偵コナン』にハマっているらしく、語彙はそこから引いているらしい。

仮にそうだったとしても(僕もその真偽までは突っ込んで聞かなかった)、こういうビデオ会議のなんだかくすっとくる話は、今あちこちで起きているはずで、いろいろ知れたらおもしろい気もする。

コロナまわりの給付金をもらうためのハウツー記事で、申請自体はかんたんなために「こんなのお金が落ちているのと一緒!」みたいに記載をされているのを見て、もやもやっとする。うーん、言いたいことはわかるけど、そういう言い方はよくないよなぁ、とおもう。

別にお金をばらまいている(こういうのをばらまきと称する人がいるのもわかる)わけでもないのだし、お金が落ちているわけでもない。なんというか、言葉の下品さを感じて抵抗感がある。飲み会とかで言うなら、そもそも場が下品なら、まだいいのだけれども……。

これに限らずだけど、「あの用途に何円つかって、こっちに何円しか使えないのはおかしい」みたいな発言も見る。個人のお財布の感覚で、企業や組織のお金の使い方を捉えているようなのが多くて、そりゃうまくいかんよなぁ、と思ったりする。

(昔にこの考え方をしていて先輩に窘められたことがある)

仕事を切り上げて夜に家に帰る。Nintendo Switchの左Joy-Conの調子が悪く、スティックの不具合がある。Amazonでパーツと分解ツールを買って交換を試みるも、スティックが直ってもLボタンがきかない、うらのネジをなめてしまう、などなどのトラブルが多発。参った。

結局、いまのところ『あつまれ どうぶつの森』だけに使えればいいので、携帯モード専用になる安価な交換用コントローラーを注文する。

ぐるぐるっと頭にへんな靄がかかりはじめ、ハイサワー缶を飲み、CBDリキッドを多めに吸ってやりすごす。頭がぼんやり、意識がとろとろしたままに寝る。


2020年5月14日(木)昨日と変わらない

緊急事態宣言が解かれていく見込みらしい。解かれたとはいえ、検査もワクチンもない状態では別に昨日までとは変わらない。やるべきこと、守るべきことにはさして変わりはない。

パオロ・ジョルダーノさんの『コロナの時代の僕ら』を読み終わって、このタイミングで(つまり、世界がざわざわしている初動の段階で)、日々それほど情報を張り付きで追っていないでもない限りは、納得したり、説得されたりする点がある本だったんじゃないかと思った。

たしかに深い洞察なり、視野の革命的な広がりというのはないかもしれないけれど、書名の「僕ら」の通りに、彼もまら「僕ら」側の人間であって、その戸惑いや悩みから、現段階で見えることを綴る文章としては、抑制もきいていて好みだった。不安感よりも、納得や安堵があった。

Cov-2は人類にとってまだ新しすぎるのだ。S1Rモデルで言えば、「新しい要素だら
けのウイルス」=「誰もが感受性人口」ということになる。

 だから僕たちは必要な時間だけ耐え抜かなければならない。今のところこちらに備えのある唯一のワクチンは、少々面倒ではあっても、慎重さを保つことだけなのだから。

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』p.30,31より

今ある唯一のワクチンは慎重さを保つことだけ。いいフレーズじゃないか。緊急事態宣言が解除されたって、それは変わらない。

 フェイクニュースは感染病のように広まってしまう。フェイクニュースの伝播を研究するモデルも、感染症研究のそれと同じだ。誤った情報に対して僕たちは、感受性人口、感染人口、隔離人口のいずれかとなる。問題の情報に怯え、義慣を覚え、腹を立てれば立てるほど、僕らは感染に対して無防備になる。

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』p,88

一旦は、それがフェイクであるか否かに関わらず、「コロナのときに、あのニュースサイトやメディア、新聞は何をしたのか」という観点は、落ち着きを見せた後に検証されるべきではないかな、とも感じたりする。


2020年5月13日(水)電気圧力鍋

Tさんから「電気圧力鍋とホットクックのどちらかを買うなら、どっちがいいかな?」という相談が来た。ぼくがアイリスオーヤマの電気圧力鍋を使っていて、以前にも勧めたからだろう。

そのときの返信を整えて転記しておく。誰かの役に立つかも知れない。

シンプルにいくつかの違いはあって、
・容量
・見た目
・値段
という3つの要素があります。僕も買うときいろいろ調べたけど、おそらくやりたいであろう煮込み料理は、どの製品でもだいたいできるわけです。アイリスオーヤマのはかなり小ぶりで、1〜2人家庭、あるいは副菜作りのサイズ感。その点、ヘルシオは大容量なので、作り置きには向いてます。

見た目は、割と出しっぱなしにしておくタイプの家電かなと思うので、ぼくはヘルシオのはちょっといただけなかったです。

値段は、これもヘルシオだけ頭一つ抜けてるのでお財布と相談。一人用サイズのも出たけど、それでもアイリスオーヤマの倍以上はしてしまう。

ぼくは小ぶりなデザインの良いものをまず買ってみて、愛用できてもっと使いたいニーズが出たら、ヘルシオなど大容量に移行という算段にしています。小ぶりなのも使う気になれば同時進行で使えるし、これは炊飯器あるあるだと思うけど、買い替えたら引っ越したての若い子にあげたりしてもいいですしね。

基本は電子レンジを買うようなものだと思えばいいはず。だから、ガス火で使う通常の圧力鍋は比較対象にはなりません。

ただ、「できること」が多いホットクックは活躍できる場面が単純に増えます。ポイントは「何もしない」ということができる範囲の広さで、ホットクックの自動かき混ぜ機能はその究極。

あとは、いずれもサイズはそこそこあるので、「しまう」「使う」という生活導線を考えてみるのもひとつです。

あつ森を始めたら絶対に手に入れたかったサウナストーブ、そうそうにレシピが砂浜に流れ着いてくれて嬉しすぎた。この部屋を、まずはサウナ仕様に改装していきたい。


2020年5月12日(火)コリョ

『あつまれ どうぶつの森』生活をはじめてから、朝が心待ちになった。『あつ森』は午前5時が一日の区切りになり、採った果物が復活したり、イベントが進んだりする。「明日になったら完成するよ」といわれた橋が架かって行き来が楽になったり。

そういうワクワクする変化が出るのが午前5時の切り替わりなので、「あ!もう5時超えてるじゃん!やったー!」とゲームを起動したくなる。だから、朝がうれしいのだ。仕事で徹夜をしてしまっても、ちょっとだけ、朝であることが喜ばしくなる。

わが島の名産品である「もも」を収穫して、寝落ちてしまっても、それはそれでいいのだ。朝になってしまったことの罪悪感も、ちょっとすくない。

来月あたりに今の仕事場から仲間が抜ける予定なので、その後はどうしようかなぁ、とぼんやり考えていたりする。ハイロックさんの仕事場紹介の動画を見ていたら、「壁に向けて机を付けない」というレイアウトを紹介していた。

ハイロックさん曰く「社長室スタイル」とのこと。それ、いいかもしれない。せっかくなのだし、部屋の自由度が上がるかもしれないし、デスク周りの拡張性もありそう。

一昨日、キャッシュカードを停止させたことで信用金庫から電話がある。簡単に言うと遺失物届を出しに「窓口へ一度来い」とのこと。「窓口ですか?」と僕が問うと、ほんのわずかな間があって、電話向こうの女性は「はい、窓口です」と言った。女性は手続きに必要なものを告げた。

そのキャッシュカードは、取り急ぎ使う用事もないので、「ええ、まぁ、こういう時期ですので、折を見てうかがいます」と答えて電話を切った。みんな大変だけれど、今後もいろいろなところで、「対応できたところ/できないところ」が明るみになっていくだろう、と思う。

深夜、遅々として進まない原稿から目をそらしながら、YouTubeにもぐる。写真家の鈴木心さんが動画チャンネルをつくって投稿していて、そのどれもが面白くて見続ける。

鈴木心さんの撮影現場や写真に対しての考えが、とてもわかりやすく、また本人の穏やかな声もあって、健やかに学ぶ。動画の端々で、気負いなく、ふっと大事なことを言うのが、にくい。

「人間の目って、一瞬では一点しか見れないので、いちばんおいしいところはどこなのかをピントで選ぶことによって、より物の魅力や見方が伝わるようにしよう」

あなたらしさは、どこからやってくる?売れっ子写真家とめぐる、あなたらしさを探す旅 – YouTube

徳田秋聲の『小品文作法』のデータ化、日々2ページずつ進めている。「顧慮」という言葉に出会って辞典を引くと、これは使えるなぁ、と心(とこの日記)にメモする。「ある事をしっかり考えに入れて、心をくばること。」の意味。

鈴木心さんの「自分らしさは見てきたもの、触れてきたものでつくられる」の話も経て、顧慮の必要性を感じる。もっと他人にも自分にも、仕事にも暮らしにも、顧慮を。


2020年5月11日(月)歯石取りで世界きらめく

歯医者で、歯石取りなどのメンテナンスをしてもらう。歯と歯茎の状態は良好だったので、基本のお掃除だけ一回すれば、あとは定期検診でOKとのこと。助かる。丈夫な体に生んでくれて、体をつくる食事をくれて、お母さんありがとう。

女性の歯科衛生士さんが削ったり磨いたり、いろいろしてくれる。ぼくは口を大きく開けて、衛生士さんはマスク着用とはいえ口のそばで作業をしていて。そういう昔の何でもないこと(そして時たま、歯科衛生士さんのからだが、ぼくの頭に当たる感覚も含めて)が特別で、この人は今すごいことをしてくれてるんだな、という実感を持つ。ばかみたいに感謝して終わる。

作業中は「何がどうなっているのやら」だったけれど、終わって手鏡を渡されてびっくり。なんというか、「歯」が、ちゃんとそこにあった。イラストで見るような、イメージで思う「歯」の姿がぼくの口にあり、これまではいろいろと付着していたんだなぁ、と驚くような。「歯」そのものになっていて、うれしくなって手鏡でまじまじと眺めて楽しんだ。

さらに、その後の食事で冷水を飲んで、また驚いた。歯のすきまというのか、一本いっぽんに冷たい水がさらさらと流れ込んで、歯茎を刺激してくるような感覚。ラーメン屋のカウンターで、水を飲んで「は!?え!?何!??!!」という表情をしているぼくは、たぶんへんだっただろう。

そして、なんだか食事も美味しいような気がしたのだった。歯のメンテナンスは、驚きも気持ちよさもあるし、ごはんをおいしくする小さなポイントなのかもしれない。

今日も今日とて『あつまれ どうぶつの森』の世界にいる。ずっと手つかずだった宅地開発を始めてみると、これがもうオモシロすぎて時間をどんどんつぎ込んでしまう。

柵、というものが、いかに自然のなかに知的文明としての人間を表現するのに必要であるかを感じてしまうのだった。柵があるだけで、あるいは柵的なる区切りがあるだけで、とたんにそこに人間の手が加わったように見える。

『あつまれ どうぶつの森』は大きな木もスコップで掘って植え替えできるのだけど、等間隔に木を並べたりすると、いきなり「人為的!!!!」と感じて、ちょっとした座りの悪さを覚えたりもする。それは舞台が無人島だからだとは思うし、そのうち慣れちゃうのだろうけど。


2020年5月10日(日)キャッシュカード騒動

一度も使っていないキャッシュカードを止めてしまった。

日本政策金融公庫からご融資をいただいた際に、信用金庫の新しい口座をつくった。それで、仕事の振込先を一部この口座にして、返済分を上回るかたちで貯蓄していこうとがんばっている。

ただ、ネットバンクに対応していない(正しくは対応しているけど、利用するのに月額料金がかかってしまう)ので、気が向いたときに振り込みを確認するために通帳を記帳に行く。

今日が、その日。通帳記帳という行為自体が久しぶりで、なんだかどきどきした。

通帳ケースに、キャッシュカードも一緒に入れている。同時に使うことはないんだけれど、片方をどこかにしまったまま忘れそうなので、とりあえず自宅では、そうしている。

無事に記帳が終わり、振り込みもできて、そのまま仕事場へ。夜に帰って、かばんから通帳を取り出すと、ケースの中にキャッシュカードがない!あわてて探すも、「これは記帳のときに落としたにちがいない……」と、一大事を考えて利用を停止することに。

電話が済んで、「不正引き出しとかないといいなぁ」と、一息つくと、なぜかポケモンのラプラスのぬいぐるみのうえに、ぽんと、カードが置かれていた。

……たぶん、出かける前に「通帳ケースに入れておいたらなくすだろう」と抜き取っておいたのでしょう。でも、それをなぜぬいぐるみの上なんかに置くの!?ねぇ!?自分!!!!

はぁ。もう。いやだわぁ。

今日も『あつまれ どうぶつの森』で心を癒やしながら過ごす。遊ぶのを勧めてくれたEさんとフレンドになって、お互いの島へ遊びに行った。彼女は北半球、私は南半球なので、とれる虫や魚の季節もちがうので楽しい。

自分の島の特産品(うちは、ももです)が高く売れるのも、なんだか褒められた気持ちになる。

NewsPicksで、中国・深圳でビジネスをするジェネシスホールディングスの藤岡淳一さんが、コロナの現状について書いた記事で、自分の「あー、そうだよなぁ」という感覚が言葉になる。

中国政府からは手厚い支援を頂いていると感じています。家賃免除や税金の延納など、早い時期に決定されて、素直にありがたいなと思いました。

日本では補償措置を求めて騒ぎになっていますが、今回の新型肺炎は政府が引き起こしたものではありませんので、中国では政府に責任は求めていません。

【実録】中国は「ポストコロナ」が始まった より

そう、ぼくもこの「新型肺炎は政府が引き起こしたものではありませんので」を読んで、ここに自分のもやもやがあったんだな、と感じた。これと同じ流れになれば、だいぶ様相は違ったのだろう。

政府のせいじゃないけど、まずは家賃免除や税金延納でグッと堪えて、営業も自粛できるところはちゃんとして、それを乗り切り、「大変だったね」と振り返る。「あのとき、家賃払わずに住んで助かったよね」となれたら、よかった。

それが、なんだか今は、まるで「新型肺炎は政府が引き起こした」くらいの怒り方をツイートで目にしてしまう。実際は、そうではない。でも、事実上、今は政府が別の問題を引き起こしてしまった、ということだろう。

なんでもかんでも怒っている人は、ほんとうになんでもかんでもに怒っているのだろうか。

それはそれで、なにか別の問題が潜んでいないのかしら。今日も、みんながみんな、何かに怒っているような気がしてしまう。どうぶつの森では、さくらんぼが、りんりんと生ってうれしい。


2020年5月9日(土)低気圧に潰れる

昨日、下原稿まで終わったのを、写真もはめて完成原稿にする。〆切まで時間があるので、もう一晩置いておいて、明日にでも渡すことにしよう。

一日、時間があるはずの日だったのだけれど、完成原稿にする作業と、ちょこちょことしたこと、この日記を買いたり、徳田秋聲『小品文作法』テキスト化をすこし進めると、なんだか頭も体もぼんやりしてしまって、椅子に座ったまま天井を見ていた。

Twitterで流れてきた言葉を見て納得。ひどい低気圧が迫っていた。

明日の〆切の仕事をしないと……と思いながら、お腹も空いたし、どうにもならないので帰って食事にする。細切れの鶏もも肉を、昨日のホタルイカ油煮の残りの油で、野菜と一緒に炒める。味付けは老干媽の鶏肉入りラー油をドサッと入れて、辛味を足す。

ハイサワーの缶、レモンサワーの缶を飲む。おいしい。よくできた。

鶏もも肉がまだ余っていたので、フライパンを軽く洗ってから、ホタルイカ油煮の残りの油(まだ大さじ2杯くらいある……)で薄切りにしたにんにくを香り出し、鶏もも肉、たまねぎを塩胡椒で炒める。仕上げに、バターを一切れ、大葉をきざんでたっぷり、お醤油。これは冷蔵庫へ。

……フライパンに、まだ油がたっぷり残っている。バターの風味もある。もったいないなぁ、と思って、白米をレンチンして投入し、卵、塩胡椒、醤油で炒飯にする。一口食べたら、これも冷蔵庫へ。

夜、『あつまれ どうぶつの森』でフレンドの島にお邪魔する約束をしていたのに、あと30分くらい……というタイミングで寝落ちしてしまう。ごめんなさい。寝落ちするほど疲れているとは思えなかったのに、料理で今日の分の気持ちを使い切ってしまったのだろうか。


2020年5月8日(金)ワンナイト・モーニング

話したい人、「なんとなく」な人、なつかしい人と、いろいろと連絡がきた嬉しい日。誰かからの連絡は、自分がまだ生きている理由の確認だな、とおもう。

奥山ケニチさんのマンガ『ワンナイト・モーニング』読む。良すぎてびっくりして、ライター仲間のKくんにも勧める。

さまざまな理由で一夜を共にした男女の「朝ごはん」の景色。親密になったり、もやもやしたりしたままの、空腹に食べる朝ごはんの甘美さ。健やかな景色にひそむ、しめっぽさのある関係性。この対比がすばらしい。

あー……ワンナイト・モーニング……したいね……。これもコロナがどうにかならないと、むずかしい願いだ。

『あつまれ どうぶつの森』をはさみながら、原稿仕事を進める。途中、椅子で仮眠もしたりしながら、どうにか原稿をまとめるところまで。明日見直して完成原稿にしよう。

夜明け前に帰宅。特売のボイルしたホタルイカと、冷蔵庫にあった竹の子を、ごま油とサラダ油の半々で油煮にして、つまみにする。ついでに、炊き込みご飯の具材にもして仕込む。

先崎学さん原作、河井克夫さん漫画の『うつ病九段』を読みながら食べる。うつ病に陥った先崎さんの苦しみが、河合さんの馴染みやすい絵柄のおかげで、深刻になりすぎずに大事なことだけ読める。本人以外に伝わりにくい、このうつ病という難敵が、わずかでも身近になった気持ち。

うつの人間は自分に存在価値があるというようなことを言われるのが一番嬉しいのだ

先崎学・河井克夫『うつ病九段』p,171

きっと、存在価値があることを言われてうれしいのは、どんな人でも一緒で。だけど、物事を悪いほう、難しいほうに考えてしまう、うつのときには、その価値がより際立つのだろう。

ぼくはうつ病か、といわれると、否定も肯定もできないような感覚なのだけれど、この先崎さんの言葉には「わかるなぁ」と、ホタルイカをつまみながら、声に出してしまった。

『あつまれ どうぶつの森』は推せるキャラクターに出会えて、もう付き合っちゃいたいくらいときめいていた。かわいい。移住してきてくれるみたいなので、日課のように挨拶しよう。

いま、ぼくの島には、ギャルっぽいコグマ、ギャル男っぽいトラ、塩顔っぽいヒツジがいる。ハイテンションな彼らに、塩顔ヒツジのぼんやりした取り合わせがいい。

そして、ちまちまとやっていた『グランディアⅡ』もラスボスを倒してクリア。前作に続いて、しっかりがっつりRPGをプレイしたのは久しぶり。光の民の宗教的観念が人間の思考停止を招き、それに対抗するために闇の勢力が戦いを挑んだ、というちゃぶ台返し的設定に唸る。


2020年5月7日(木)数学とは何か

日常はぽつぽつと過ぎていく。

と、思っていたら、仕事の〆切やリテイクが「10日までに」と重なって、いきなり仕事しないと!モードに切り替わってしまう。いまこの時期に仕事があることはありがたい……けれども。

パオロ・ジョルダーノさんの『コロナの時代の僕ら』が届く。2月29日から3月4日までに書かれた27編の短いエッセイが本になったもの。著者は「200万部のベストセラーと物理学博士号をもつ小説家」。すごいスピード感で出版され、さらに翻訳、配本になったこともユニーク。

めくってみると、静かなトーンで、彼が感染者数の推移や拡大を見ながら、自信が「おたく」だという数学についての考え方を交えて、日常の心情をつづっていく。まだ冒頭なのだけど、個人的にはCOVID-19云々の前に、数学についての考え方が面白くて、はっとなる。

 感染症の流行はいずれも医療的な緊急事態である以前に、数学的な緊急事態だ。なぜかと言えば、数学とは実は数の科学などではなく、関係の科学だからだ。数学とは、実体が何でできているかは努めて忘れて、さまざまな実体のあいだの結びつきとやり取りを文字に関数、ベクトルに点、平面として抽象化しつつ、描写する科学なのだ。
 そして感染症とは、僕らのさまざまな関係を侵す病だ。

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』p.12,13

数学とは関係の科学!

そういう見方をしたことがなかった。ぼくはずっと、数字を何やらいろいろとこねくりまわすものだとばかり(学生時代から)思っていて、それゆえに全く興味を持てない学問のひとつだった。最近はビジネス用語でも「変数」が頻繁に出たりもするけれど、それも数学が関係の科学だとわかれば納得なのだった。

スーパーで、大入りの大葉を買ったので、あらゆる料理に大葉を刻んでたくさん入れている。バター、醤油、大葉の相性はほんとうにすばらしい。豚こま肉に下味つけて片栗粉はたき、バターで野菜と炒めて、最後に醤油をさっと、大葉をばさっと。おいしい。


2020年5月6日(水)その人のままで

積ん読できる本棚を買って、玄関に置いた。置き場所がなかったのもあるけれど、割と見た目的に「家に入ってきたらすぐ本がいい感じに置いてある」というのが、誰に見せるわけでもないくせに読書好きアピール感が出て、毎度まいど、ひとりでふふっとしている。

ただ気分以外にもよいことはあって、うちは玄関すぐそばにキッチンがあるので、料理のちょっとした時間に、積ん読に手が伸ばせる。ちょっとのページでも読み進めたり、おもしろくてそのまま読んだりしている。

奥野武範さんの『インタビューというより、おしゃべり。担当は「ほぼ日」奥野です。』をめくった。この本で読みたかった、巻末の古賀史健さんとの「あとがきにかえて」対談に、奥野さんが感銘を受けた柄本明さんの一節があり、なかなかにしびれる。

奥野 はい。あと、柄本さんの取材の最後に「柄本さんにとって『理想の俳優』って、どういう俳優ですか?」ってベタすぎる質問をしたんですよ。そしたら、テーブルに置かれていたコップやミルクポットを指しながら「こんなふうになれたら、いいんじゃない?」と。要するに、その人がその人のまま、なんらかの役割を果たしている、そういう役者になりたいって。

―ええ。


奥野 それを聴いたとき、泣きそうになったんです。人間、「この自分」でしかありえないんだし、自分自身で勝負する、それしかないんだよなって。あの最後のことばは、その後の仕事にも強く影響しています。

奥野武範『インタビューというより、おしゃべり。担当は「ほぼ日」奥野です。』より

これは柄本明さんの対談を読んでからのほうが、もっとしびれるフレーズなのだけど、とかくこの奥野さんの「この自分でしかありえないのだし、自分自身で勝負するしかない」は、明確に仕事をする、恋をする、暮らしていく、というときにも共通なんだろうと感じる。

その人が、その人のまま、なんらかの役割を果たしている。でも、これはほんとうにそうで、生きていれば人はそういうものだったりする。その役割が願わくば、良い影響を与え合うものでありますように。


2020年5月5日(火)開拓史

遅ればせながら『あつまれ どうぶつの森』を始めました。

伊集院光さんやすゑひろがりずのゲーム実況で雰囲気はわかっていたし、まぁ、僕も日常の空き時間でちまちまやるんだろうな、と思っていたら、とにかく面白くて数時間ぶっ通しでプレイ。

というより正直、今すぐにでもやりたくて、頭のなかで木々や魚を収穫し、ベルを稼ぎたい欲求が抑えきれない。あの空間は「やるべきことしかない」から、常にそれと黙々と向かい合える。しかも頑張っただけ、結果が見える。

雑草がなくなったり、家が大きくなったり、誰かが喜んだりしている。それが僕を、画面の中の彼を、次の作業に向かわせる。

個人的には、出てくるキャラクターが頻繁に拍手をしてくれるのがいい。すぐそばで魚を釣ったとき、どんなに雑魚でも笑顔で喜んでくれる。その空気が、日常から失われた自己肯定感をすこしだけ取り戻してくれる。

冒険と生活が両立している。『あつまれ どうぶつの森』は、すごい。

あと、釣りも淡々としているように見えて、個人的にはスーファミで『糸井重里のバス釣りNo.1』なんかを楽しんでいた気質なので、シンプルな釣りゲーとして面白くていい。

ネオンテトラを釣ったのに間違って売ってしまい、季節性の魚で5月の次は9月?10月?以降じゃないと釣れないというのを知ってから、焦って川でちいさな魚を見るたびに糸を垂らしている。そんな感じも、いい。

YouTubeに、手塚治虫のマンガ制作のドキュメンタリーがあった。貴重すぎる。「3日で3時間程度の仮眠」とか恐ろしい言葉が聞こえてくる。

マンションの一室で、誰もいれずに、孤独と向き合いながら、テレビやオーディオの音で満たした空間で漫画を描き続ける。それがいかにすごいことか、とおもう。


2020年5月4日(月)でかいツナ

昨日、ちょっと奮発して買った生かつおのサクが、個人的にはあまり期待を上回ってくれず、むしろサクにくっついていた大きな血合いの部分を焼いたのが、いちばん美味しく感じたという。

これは血合い肉がそもそも好きなのか、あるいは血合いに今必要な栄養素が詰まっているのか。

なんにせよ、切ってしまったかつお刺し身があるな、と思い、いっそ火を入れてしまおう、アニサキスも怖いし、と思って、敬愛する河原のあべさんの『ネギますき焼き』にしてみる。

動画ではまぐろの血合い肉だけど、まぁ、ツナがまぐろもかつおもあるんだし、煮たようなもんだろうと。臭みも出ずに美味しくいただけました。

完全に、でかいブロックのツナを食べているような感覚だったけど。

ヤフオク!で競り勝ったSONYのα7SⅡが届く。高感度撮影にめっちゃ強くて、動画も撮れるデジタル一眼カメラ。写真を撮りに行く仕事もまったくないけれど、次に来るその時のために、今から慣れておきたい。


2020年5月3日(日)クリエイティブポーズ

とりとめない話ができる、ありがたいLINEグループがあって、そこでの話題で「クリエイティブポーズ」を知る。

なんでも、人にはそれぞれ思考を深めるときのスイッチになる姿勢や行動があり、それを意識的に繰り返すことで、自分をそのモードに持っていけるのだという。

検索してみると、メンタリストのDaigoさんが解説していて、とてもわかりやすかった。Daigoさんは「創造性というのは才能ではなく心の状態」と言っている。目からうろこでした。

自分が集中したり、創造的になれたりしたときのポーズは何かを知ること。それを真似してみて、うまくできれば、それは成功体験になって、またうまくいくサイクルになるだろう。

ぼくにとってのクリエイティブポーズを探ってみると、ひとつ、思い当たることがあった。

ヘッドフォンをして、アップテンポの、好きな音楽をかける。そして、パーカーのフードをかぶる。この組み合わせだ。フードをかぶるのが、なんとも中二病感があって個人的には愛おしい。ちなみにフードは大きいほうがいい。

あれだ、競走馬のブリンカーみたいなものかもしれない。ブリンカーは覆面みたいなもので馬の視界の一部をふさいでしまって、レースに集中させるための道具。

ぼくは元来、頭がとてもシングルタスクで、昔から忘れ物が多かった。「あれをしなきゃ」「出かけるときに持っていかなきゃ」と思うものは大抵忘れる。だから、すぐしまったり、玄関に置いたりしないといけない。

インタビュー取材中もメモが取れない。メモを取ろうとすると、頭のなかでそれまでの会話が抜けたり、いま聞いていた話がわからなくなったりする。「話を聞く」しかできないのだ。

そういう意味では、音楽で聴覚情報を遮って(気に入っている曲なら歌詞を聞こうとしたり、楽曲の展開に驚いたりしないから良いのだ)、フードで「意識的な視野」を制限してあげることで画面に向かいやすくしているのだ……と、クリエイティブポーズを理解した。

早速試してみると、これがなかなかいい。問題がひとつあるとすれば、フードがある服じゃないと仕事がしにくくなることと、夏場はどうしたものか。薄手のスポーツウェアでも常備するか?


2020年5月2日(土)持続化給付金

持続化給付金を申し込む。行政ものなのに全てネットから手続きが済んで、ばかみたいに感動してしまう。こんなにかんたんでいいのかしら、と思いながら、不備がなければ給付がいただけるのでありがたい(ちゃんとリアルにCOVID-19の影響を受けて、仕事は減っている)。

税金のクレジットカード納付もすごくかんたんで、その「かんたんである」という点だけで僕は心象がおだやかになってしまうのだけど(そして後に引き落としを見て、その気持ちはあっさりとなくなって焦りだけが残る)、他にもこんなふうに手続きや相談がネットで済んでいくようになったらいいな、と切に思う。

「人と会う」に制限がかかる今、この心地よさに伴って思ったのは、行政などの相談において「対面で話しにくい」という壁を超えやすいことにもあるかもしれない。

切実に相談しなければいけない状況だけど、後ろめたい気持ちがある。恥ずかしさが出てしまう。怒られないかが心配。無下にされたら傷つく……友達にだって会いたくない気持ちや事情だってある。

それが、いつも忙しそうで、手をわずらわせるのが心苦しな、と思うような区役所の職員さんであっても、おなじような気持ちが湧き出ることが、ぼくにはある。ただ、手続きや相談を進めないと困るので、「向こうも仕事だし、だいじょうぶ、だいじょうぶ」と心に声をかけながら、番号札を取って椅子に座ることがあった。

実際は大丈夫なのだけど、わからないことだってたくさんある。それが、今になって「会えない」ことで、非対面でしか申請や相談ができない状況が、人を救ったり世の中を変えたりしているんだなぁ、と思ったりしたのだった。

最近、AIチャットボットをつくっている人の話を聞いたけれど、カスタマーサポートとAI応答はとても相性がよいそうだ。「会う」「話す」までの心のハードルがある人に、行政に限らずに、さまざまな領域で広がっていけばいいのにな、とおもう。

そのとき、AIは、テクノロジーは、きっと温度を持った他人として、やさしく機能していくはずなのだ。世の中のあちこちで。


2020年5月1日(金)そばにやばいもの

オンライン飲み会を経て、某所ビジネスホテルで目醒める。うっかり朝8時くらい。大浴場もないし、朝食もないので、だらだらしていても仕方なかろうと、シャワーを浴びてさくっとチェックアウトする。

帰り道で開いていた立ち食いそば屋があったので、喜びのままにそばをたぐる。おいしい。

空っぽの胃に、あたたかいそばがすべりこんでいくと、なんだか優しい気持ちになってきた。お出汁のおかげだ。あぁ、おいしくてあたたかい、あぁ、こんなにも……と、ひとりでしみじみとそばを食べていくと、急に自分を取り巻くすべてに感謝する気持ちになってきた。

……なんか、そばにやばいものでも入ってるんじゃないか、と思ったけれど、この不思議な高揚感と共に幕開ける5月もいいじゃないか。陰鬱気味な4月とは打って変わって……。

in living.さんの動画が、ちょっと見ないうちに自撮りから他撮りに変わっていて、その距離感が実に心地よいというか、「同棲している感」もあって、僕はとてもよかった。

髪の毛が外ハネになったまま味噌汁をつぐ彼女の姿を見て、なんだかめちゃくちゃ恋人が欲しくなるような夜だった。


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